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第17章 思い出

熊本城は、少しずつ元気を取り戻している途中、という印象だった。

大天守はきれいに復旧され、白と黒の外観が青空によく映えていて、遠くから眺めるだけでも気持ちが明るくなる。

一方で、石垣の周りにはまだ工事中の場所もあり、震災からの歩みが今も続いていることが自然と伝わってくる。


内覧では、歴史だけでなく、当時の被害や修復の様子も分かりやすく展示されていて、堅苦しさはなく、むしろ親しみやすかった。

歴史ある城を身近に感じながら、静かに応援したくなるような見学だった。


ただ、思い出として残るのは、準備された見どころよりも、その場で偶然立ち会う、ささやかな出来事なのかもしれない。

そのきっかけとなったのが、途中、内覧で歴史解説に少し肩が凝ってきた頃に目に入った、肥後にゆかりのあるわらべうたの説明書きだった。


ふっと力を抜かせるように置かれていたその展示だけが、なぜか日本語で掲示されていた。

武士と狸が仲良く手を取り合うイラストが添えられ、その前を行き交う老若男女が、思い出したように歌を口ずさみながら通り過ぎてゆく。

熊本出身でなくとも、日本で幼少期を過ごした者なら一度は耳にしたことがあるだろうその歌を、海外からの観光客らしき人々は、互いに顔を見合わせながら、好奇心を滲ませて耳を傾けていた。


ふたつ前の解説に足を止めていた雪乃は、蒼汰より少し遅れて、わらべうたの展示の前に辿り着いた。

どうやら隣にいた欧米系の観光客に声をかけられているらしい。


「ああ、この歌ね?」


相手の意図をすぐに汲み取ると、雪乃は日本語で一通り歌ってみせた。

「あんたがったどこさ――」


歌い終える頃には、いつの間にか七、八人ほどの外国人観光客が周囲を囲み、自然と拍手が湧き起こる。


続けて彼女は、淀みのない英語でその歌詞を直訳していった。

すると、武士と狸が仲良く手を取り合うイラストからは想像もつかない関係――食う側と食われる側――を聞かされ、雪乃の冗談ではないかと訝しむ者もいれば、日本にもグリム童話のような感性があったのかと感心する者もいて、その場は小さなどよめきに包まれた。



――――――

約半世紀もの歳の差があるふたりは、個包装のおかきをひとつずつ大事そうに口へ運びながら、この十年のあいだにそれぞれに起きた出来事や、出会った頃の思い出を掘り起こしていた。

午後の光に包まれ、時の流れがゆるやかにほどけていく。


「あはは。コウちゃん、あなたって本当に面白い子ね」


「からかわないでくださいよ。私なりに、真剣に悩んだり、悔やんだりしたこともあるんですから」


「ごめんなさいね。そうよね。でも今は、こうして笑って話せている。それだけで、より良い方へ進んできた証拠なんだと思うわ」


「ありがとうございます。私もそう思います。それに、電話番号を変えただけで、見える景色や世界がこんなにも変わるなんて、今でも不思議です。今日、こうしてアツ子さんとまたお会いできたことも」


「本当ね。蒼汰さんが戻っていらしたら、今度はあらためて、きちんとお礼を言わせていただくわね」


少し間を置いて、小平は照れたように笑った。


「アツ子さん、また震災のときみたいに、私ばかり話していますね。せっかく会えたんですから、ぜひアツ子さんのお話も聞かせてください」


「はいはい。そうね。実はね、今回コウちゃんに来てもらったのには理由があるの。私、『終活』をはじめたのよ」


「『終活』、ですか。どんなことを?」


「一言で言ってもね、医療や介護、お葬儀、財産の整理とか、人それぞれやることがあるのよ。私はその中で、まずは介護は“通う”んじゃなくて、ここで暮らすことにして、一歩前に進んだの」


小平は、アツ子の意思を尊重するかのように頷く。


「それにね、去年からは、これまで出逢ってきた人たちに、生きているうちにもう一度、ちゃんと直接感謝を伝えたいと思うようになって」


「じゃあ、今回私を誘ってくださったのも……?」


「そう。震災のときは、今より若かったし、体も元気だった。それでも、先の見えないあの環境の中でひとりでいると、孤独や不安に押しつぶされそうだった。そんなとき、あなたがいてくれたのよ。それが、どれだけ心強かったか」


「いえいえ。私は教授のつてでボランティア活動に参加していただけで……ただの偽善者みたいな――」


「どんな背景だったとしても、私はあなたが居てくれて心強かった。その事実は変えられない。たとえ、あなたでさえね」


「大げさですよ。でも……そう言っていただけて、嬉しいです。

あ、ただ、それとお金の話は別です。今回の費用は私が持ちますから、お支払いは結構です」


「私が誘ったのに?それは気が引ける提案――」


「ダメです。終活の一環として、万一体調を崩したときのための費用、ちゃんと考えていますか?

逆に、『私はあと数年だから』なんて言う人に限って、百歳を過ぎてもピンピンしているものです。

あと二十年近く生きる前提で、きちんと計画は立てていますか?」


「それは……別に」


「ほら、そういうところです。自分は例外だ、なんて思い込みは危なっかしいですよ。

だからこそ、いろいろなリスクを踏まえたうえで、お金も大切に使ってください」


「はあい。でも、一部は負担させていただきますからね」


お互い一歩も引かない金銭のやり取りは、ようやく落ち着こうとしていた。


「そろそろ、ふたりが帰ってくる頃かしら。

コウちゃん、私にとってあなたが大切な存在であるように、あなたにとっても、あの子たちが人生を彩るひとかけらになっているのかもしれないわね。

素敵な出逢いに、乾杯!」


そう言って、アツ子は手元に残っていた最後のおかきを大げさに掲げ、そのまま頬張った。


小平は、学生時代に出会った頃のアツ子と、今のアツ子は変わらないと思った。

ただ、彼女の言葉がこれほど深く胸に刺さるようになったのは、自分もまた、多少なりとも人生を重ねてきたからなのだろう――そんなことを考えていた。




「佳澄ちゃん、アツ子さん、ただいま戻りました!熊本城、すごくかっこよかったです!」


「おかえりなさい。ちょうど帰ってくる頃だと話していたのよ。満喫できたようでなにより」


雪乃に続いて蒼汰も談話室に足を踏み入れ、軽く会釈をした。


「やば、もうこんな時間」


壁掛け時計に目をやって小平がそう言うと、蒼汰が反応した。


「すみません、結構お城の建築や歴史の説明が面白くて読みいってしまって」


「ううん違うの。私もすごくアツ子さんと盛り上がっちゃって、気付いたらこんな時間で驚いただけ!」


「じゃあ、そろそろ行きましょうか」


名残惜しそうに次回の再会を約束し、アツ子と小平は別れを告げた。

たった数時間。それでもふたりにとっては、かけがえのない時間が流れていたに違いない。

ふと、蒼汰も柏崎とこんな素敵な関係になれたらいいなと思った。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
楽しく読ませていただきました……! 電話番号を変えたことから物語がはじまり、様々な人々の出会いとともに謎が解けていく構成が秀逸だと思いました。まるで糸電話みたいに、電話番号は人と人とを繋ぐ糸になってい…
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