第13章 会議
金曜の午後、会議室はまるで週末に片足を突っ込んだ幸せゾンビの巣窟と化していた。
内容の薄い2つ目のアジェンダが終わり、3つ目に差し掛かったところで、いつも論点をずらす課長補佐・高峯が、案の定ずらし攻撃を仕掛けてきた。
しかし、他のゾンビたちは幸せオーラに守られて、軽やかに攻撃をスルーしていく。
そもそも攻撃と気づいていない者すらいるほどだった。
おかげで高峯は、珍しくリズムを崩していた。
そんな中、ひときわゾンビ化が進んでいたのが小平だった。
オフィス近くで、行列のできるチャイ専門店。
早めに昼休憩に入り、混雑前に人気No.1マサラチャイをゲットした小平は、追加料金で増量したシナモンパウダーの香りを楽しみながら、会議などそっちのけで、最近の出来事について思いを巡らせていた。
小平佳澄、32歳。後厄に突入中。
運気が底値を打った2024年。
そこを抜けた今の私は、上昇トレンドの真っただ中にいる。
ここから先、連日のストップ高が起こると言っても過言ではない。
もはや私の運気上昇を止められる者など、誰一人としていない。
そうだ。失うものさえなくなった私にチャンスをくれたのは、清酒ではなくこの電話番号だ。
変えた直後は正直そわそわしたが、特に不審な電話やメッセージは来なかった。
強いていえば、この前に一度だけ、宛先を間違えて送ったであろうハッピーバースデーの留守電が入っていたくらい。
なんと可愛い間違い電話だろうか。
はぁ、このシナモンもすごく良いけど、昨夜のシナモンロールも絶品だった。
もちろん財布にはそれなりの痛手だった。
次に足を運ぶのは、しばらく先のことになりそうだ。
私にも歳上の兄弟がいれば雪乃ちゃんのようにタダで食べられたんだろうか。
いや、きっと兄弟だっていたらいたで大変なこともあるだろう。
いなきゃいないで自分で買うか、かじる脛を探すかの戦法を取れば良い。
小平にとって、田尻兄妹との出逢いは刺激的なものだった。
わざわざ前の所有者宛の電話を親切に、しかも、私の次の所有者のいる栃木まで行って解決しようとするとは、どんな良心の持ち主なんだろう。
擦れていない優しい人間が同じ世界にいるとは、まだこの世も捨てたものじゃない。
小平は、チャイを買いに行く際に、アツ子に電話を入れた。
一度は出なかったものの、数分以内に折り返しの電話があった。
アツ子は変わらず元気にやっていた。
元々、震災前から旦那に先立たれて独り身だったことや、郊外に住み続けるには足がなく生活に不便があったことからも、この数年で今の施設への入居を決めたという。
そんなアツ子から、小平は再会にあたって提案を受けていた。
「え?熊本に無料招待?2、3人ですか?」
「ええ、飛行機もホテルも、全部私が持つから。とにかくぜひ来て欲しいの。良かったらあなたのご両親とか」
「両親ですか。さすがにこの歳で両親とはちょっと…」
「そう?なら親しい人でも誰でも、あなたが連れてきたい人を誘ってちょうだい。できればお天気の良い3月末から4月の桜や新緑の季節なんてどうかしら?私ももう81になって、この後どのくらい生きられるかも分からないし。待ってるわね!」
熊本への無料旅行。
思いがけない朗報だった。
しかし、それにもまして、変わらぬ健やかさで自分の名前を憶えていてくれたアツ子の思いが、じんわりと身に沁みた。
そう言えば、雪乃ちゃんたちのお兄さんは福岡にいるって言ってたっけ。
しばらく会えてないみたいだし、熊本から福岡なら、彼らもお兄さんのところに立ち寄ることもできるよね?
それぞれの”再会の旅行”ということで誘ってみようかな。
「よし、そうしよう!」
唐突に声を上げた小平に、会議室の空気がわずかに揺らいだ。
だが、久しく誰からも賛同を得られずにいた高峯だけは、満ち足りた笑みを浮かべていた。
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