第45話 論理の暴走、感情の逆流
変貌したブリッジの中央。
サレクは艦長席から立ち上がることはなかった。いや、できなかったのだ。
彼の下半身はヴォイド金属の触手と完全に同化し、床やコンソールと一体化していた。
「サレク……」
スペック副長が、いつもの無表情を崩し、わずかに眉を顰める。
「近づかないでください」
サレクが冷徹な声で制止する。
「私の論理回路は、現在98%までヴォイド・ネットワークに接続されています。……残り2%の自我で、貴方たちと会話しているに過ぎません」
彼の背後にあるメインスクリーンには、膨大なデータが流れていた。
それは、奪われたフェイザー技術と、ヴォイドの増殖プログラムを融合させた、最悪の侵略計画書だった。
「私は計算しました。……この銀河の『混沌(争い)』を終わらせるには、全ての意思を一つに統合するしかない。ヴォイド・イーターの一部となれば、争いも、差別も、不平等も消滅する」
「それが貴様の言う『論理的平和』か!」
カトレアが剣を構え、叫ぶ。
「個を捨てた平和になど、何の意味がある! それはただの『死』だ!」
「否定します。……意識は共有され、永遠に存続する。個体としての死は、全体としての生への昇華です」
サレクが手を振ると、ブリッジの床から武装したヴォイド・ドールたちが現れた。
対話は決裂した。
「……やるしかないのか」
俺はアサルトライフルを構えた。
「総員、戦闘開始! ただし、サレク本体への攻撃は待て! ……あいつをシステムから引き剥がす方法があるはずだ!」
戦闘が始まる。
カトレアとガルド(通信越しのドローン操作)がドールたちを抑え込み、ルナが聖銀弾で援護する。
その隙に、俺とスペック、そしてパンドラがサレクの攻略法を探る。
「パンドラ! あいつの精神にダイブできるか!?」
「やってるわよ! でも……堅い! ヴォイドの精神防御壁が何重にも張り巡らされてる!」
パンドラが苦悶の表情を浮かべる。
「物理的な接続も不可能です」
スペックが端末を操作しながら首を振る。
「彼の神経系は艦のコアと融合している。無理に引き抜けば、彼の脳が焼き切れる」
詰んだか?
物理的にも精神的にも、彼を救う手立てがない。
その時、サレクが苦しげに頭を抱えた。
「う、うぅ……! 排除……排除シろ……!」
彼の銀色の瞳が明滅する。ヴォイドの支配が強まり、自我が塗りつぶされそうになっている。
同時に、艦内の防衛システムが暴走し、無差別にビームを乱射し始めた。
「くそっ、時間がない!」
俺は必死に周囲を見渡した。
何か、何か使えるものはないか?
事務屋の目は、戦場の隅々まで観察する。
そして、俺の目はある一点に釘付けになった。
サレクと融合しているコンソール。その脇に、小さな「外付けデバイス」が刺さったままになっている。
あれは……以前、宴会の時に彼が持っていた、連邦艦隊の携帯端末だ。
「スペック! あの端末だ!」
俺は叫んだ。
「あれはヴォイドに侵食されていない! あそこからなら、サレクの『個人的なログ』にアクセスできるんじゃないか!?」
「……!」
スペックが目を見開く。
「可能性はある。……だが、そこまで近づくには弾幕が厚すぎる!」
ビームの雨あられ。
俺たちには防ぐ手立てがない。
「私が道を開ける!」
カトレアが前に出た。
「ルナ殿、私に『加護』を! パンドラ殿、全シールドを一点に集中させてくれ!」
「了解っす! 【聖域】!」
「わかったわ! 持ってけドロボウ!」
カトレアの全身が光に包まれる。
彼女は咆哮と共に突進した。
ビームが彼女の鎧を焦がし、シールドを削り取る。だが、彼女は止まらない。
「届けぇぇぇッ!」
彼女は大剣を振り抜き、ドールたちを薙ぎ払うと、サレクの懐へと飛び込んだ。
そして、その手で端末を引き抜き、スペックへと放り投げた。
「スペック殿! 今だ!」
スペックが端末をキャッチし、自分のパッドに接続する。
高速でデータが展開される。
そこに残されていたのは、ヴォイドの論理ではなく、サレク自身の「秘めた思い」だった。
『ログNo.402:……アラン総裁の言う「安眠」という概念。……興味深い。私もいつか、論理の鎖から解き放たれ、何も考えずに眠ってみたいものだ』
『ログNo.405:……宴会の料理。成分は劣悪だが、皆と共有する空間には、数値化できない「暖かさ」があった』
それは、感情を持たないはずの彼が、ユニオンでの生活を通じて抱き始めていた、小さな「感情の芽」だった。
「……サレク。君は、論理だけで動いていたわけではなかったのだな」
スペックは端末のデータを、艦のメインシステムへと「逆流」させた。
ヴォイドの冷徹な論理コードの中に、サレクの人間臭いログがノイズとして混入する。
「ガ……アァァァァ!」
サレクが絶叫する。
論理の矛盾。感情の逆流。
ヴォイドの支配システムが、エラーを起こして崩壊を始める。
「今だ! パンドラ、精神ダイブ!」
「了解! ……捕まえた!」
パンドラがサレクの意識に潜り込み、ヴォイドの鎖を断ち切る。
サレクの目から銀色の光が消え、本来の黒い瞳が戻った。
「……副長……総裁……」
彼は力なく崩れ落ちた。
ヴォイドの触手が枯れ落ち、彼を解放する。
「作戦成功だ……!」
俺たちは歓声を上げた。
だが、艦のシステムがダウンしたことで、別の問題が発生した。
『警告。動力炉臨界。……自爆シークエンス、作動』
ヴォイド・デーモンが最期に残した置き土産。
この艦ごと俺たちを消滅させるつもりだ。
「脱出だ! 急げ!」
俺たちはサレクを担ぎ、崩壊するプロト・ディーヴァからの脱出走を開始した。




