第44話 論理の迷宮と、カエルの一撃
エレベーターを降りた俺たちの前に広がっていたのは、かつてのブリッジへと続く長い回廊だった。
だが、そこは異様な空間に変貌していた。
床も壁も天井も、鏡のようなヴォイド金属で覆われ、無数の幾何学模様が明滅している。
そして、通路の中央には、半透明の障壁が何重にも展開されていた。
「……トラップか」
カトレアが剣で障壁を突くが、バチッと弾かれる。
「物理攻撃は通じないようだ」
その時、通路のスピーカーから、サレクの声が無機質に響いた。
『ようこそ、アラン総裁。そしてスペック副長。……この障壁は、私の思考回路と直結している。通過したければ、私が提示する「問い」に論理的に答えよ』
「クイズかよ……」
ルナが呆れた声を出す。
『問い1:全宇宙の生命を救うために、半分の生命を犠牲にすることは正しいか?』
障壁に文字が浮かぶ。
究極のトロッコ問題だ。
「論理的には肯定される」
スペックが即答しようとする。
「種の存続が最優先事項であり、50%の損失で100%の絶滅を回避できるなら……」
「待て!」
俺が止めた。
「サレクは今、ヴォイドの論理に染まっている。……奴らが求めている答えは、我々の倫理観とは違うはずだ」
俺は考えた。
ヴォイド・イーターにとっての正解。それは「捕食」と「同化」だ。彼らにとって個体の死は意味を持たない。
「……答えは『否』だ」
俺はマイクに向かって言った。
『理由は?』
「生命を『数』で換算すること自体が、経営の放棄だからだ。……俺なら、残り半分も救うために残業してでも第三の案を出す。……それが『業務責任』ってもんだ」
ブブーッ。
不正解音が鳴るかと思いきや、障壁がスゥッと消滅した。
『……興味深い。非論理的だが、貴方らしい回答だ』
サレクの声に、わずかに感情の色が混じった気がした。
俺たちは第一関門を突破した。
だが、次の障壁には、より複雑な数式と、奇怪な図形が表示されていた。
『問い2:この波動関数の解を導き出し、ヴォイド空間の位相を安定させよ』
「うげっ、数式……。無理っす」
ルナが白旗を上げる。
「私の専門外だわ」
パンドラも首を振る。
スペックが前に出る。
「……これはヴァルカン科学アカデミーの難問だ。計算には時間がかかる」
「時間がない!」
背後からヴォイド・ドールの追手が迫ってくる音がする。
焦る俺たちの前で、俺の肩に乗っていたカエル(クローネ博士)が、ピョンとコンソールに飛び乗った。
「ゲロゲロ!(どけ、凡人ども!)」
博士は舌を伸ばし、目にも止まらぬ速さでキーを叩く。
バババババ!
画面の数式が次々と埋まっていく。
「そっか、博士は元々この艦の設計者だ!」
俺は手を打った。
「ゲロッ、ゲロゲロ!(この程度の式、私の美学に基づけば一瞬で解けるわ!)」
ターンッ!
博士が舌でエンターキーを強打すると、第二の障壁も消滅した。
『……正解。クローネ博士、貴方の知性は健在のようですね』
俺たちは次々と現れる「論理の罠」を、チーム全員の知恵(と俺のへ理屈と博士の舌)で突破していった。
サレクの出題する問いは、次第に哲学的になり、そしてどこか……「助けを求めている」ようにも感じられた。
そして、ついに最後の扉の前へ。
『最後の問いだ。……私は、何者か?』
扉には何も書かれていない。ただの鏡だ。
そこに映るのは、俺たちの姿と、歪んだヴォイドの空間。
スペックが静かに前に出た。
「……君はサレク。私の部下であり、優秀な科学士官だ。……それ以外の定義は不要だ」
彼は鏡に手を触れた。
パリン。
鏡が砕け散り、ブリッジへの道が開かれた。
そこには、玉座のように変形した艦長席に座り、半身を機械と結晶に侵食されたサレクが待っていた。
「……よく来ましたね。スペック副長、そしてアラン総裁」
彼の瞳は銀色に輝いているが、その奥には確かな「意思」の光が残っていた。
対話か、戦闘か。
緊張の糸が張り詰める。




