第32話 「推し」の力で世界を救え
リサイクル・ユニオン領内で同時多発的に発生した「認識災害(集団幻覚)」。
その被害は甚大だった。
工場では作業員が機械を怪物だと思って破壊し、家庭では家族が互いに疑心暗鬼になり、軍隊ですら同士討ちが起き始めていた。
「どうする!? このままじゃ自滅だぞ!」
ガルドが悲鳴を上げる。
「ルナ! お前のそのアプリで、全域浄化できないのか!?」
俺はすがるように聞いた。
「無理っすよー」
ルナはスマホを見ながら首を振る。
「ウチの術式は『個体狙い撃ち』なんで。こんな広範囲にバラ撒かれた呪いは、一個一個消してたらキリがないっす」
「じゃあどうすれば……」
「……『上書き』するしかないわね」
パンドラが口を開いた。
「上書き?」
「ええ。人々の脳内に植え付けられた『恐怖の幻覚』を、もっと強力な『ポジティブなイメージ』で塗りつぶすのよ」
パンドラは続ける。
「私の精神感応波を使えば、全域にイメージを送信することは可能。……でも、私一人じゃ出力不足だし、何より『みんなが共感できる強力なイメージ』が必要だわ」
「みんなが共感できるイメージ……?」
俺は考え込んだ。
恐怖に打ち勝つほどの強い感情。
希望? 愛? ……いや、そんな抽象的なものじゃ、パニック状態の人々には届かない。
その時、ルナがスマホの画面を見ながら、ガムを膨らませて言った。
「あー、それってさ、『推し』っしょ」
「推し?」
「そうそう! ライブで盛り上がってる時とか、尊い画像見た時って、嫌なこと全部忘れて脳汁出るじゃん? あれこそ最強のポジティブパワーっしょ!」
彼女の軽いノリに、俺の中で何かが閃いた。
そうだ。悪魔は「負の感情」を餌にする。なら、その逆の「熱狂的で幸福な感情(推しへの愛)」をぶつければ、奴らは消化不良を起こすはずだ!
「……パンドラ。お前、歌えるか?」
「は?」
パンドラが怪訝な顔をする。
「歌? 機能としては実装されてるけど……。深海で歌ったあの騒音のこと?」
「違う! もっとこう……アイドルソングだ!」
俺は立ち上がった。
「作戦名『オペレーション・ギャラクシー・アイドル』! パンドラを銀河のトップアイドルとしてプロデュースし、その歌声(精神波)に乗せて『萌え』と『尊さ』を全宇宙にばら撒く!」
「はあああ!? 私が!? アイドル!?」
パンドラが顔を真っ赤にする。
「冗談じゃないわよ! 私は古代の生物兵器よ! そんな恥ずかしい格好できるわけ……」
「限定スイーツ一年分」
ルナが横から囁く。
「……やるわ」
即答だった。チョロい。
***
数時間後。
リサイクル・ユニオンの全通信回線がジャックされた。
暴動が起きている街頭ビジョン、家庭のテレビ、兵士のヘッドセット。
すべての画面に、キラキラしたステージ衣装(リズの手作り)を着たパンドラが映し出された。
『……あー、テステス。聴こえてる? 愚かな人類ども』
第一声がそれかよ!
俺は袖で指示を出した。「もっと可愛く! 笑顔で!」
『コホン。……銀河のみんな、こんにちわっ☆ 超時空アイドル、パンドラちゃんだよっ☆』
パンドラが引きつった笑顔でウインクをする。
背後では、ルナがDJブースで古代の祝祭音楽をリミックスした爆音EDMを流し始めた。
『みんなの心の闇、私が食べてあげる! それじゃあ聴いてください、新曲『ラブリー・ハザード(生物災害)』!』
♪ズンズンチャッ! ズンズンチャッ!
パンドラの歌声が響き渡る。
それはただの歌ではない。彼女の強力な精神感応波が乗った、強制的な「幸福信号」だ。
効果は劇的だった。
暴動現場にて。
「うおおお! 隣人が怪物に見えるぅぅ!」
「死ねぇぇぇ!」
↓
♪(パンドラの歌声)
↓
「……はっ! なんだこの尊い生き物は!?」
「パンドラちゃん……! 俺、何て無駄な争いをしていたんだ……! 推さなきゃ!」
「隣人さん、ペンライト持ってますか? 一緒に振りましょう!」
恐怖の幻覚が、「アイドルのライブ映像」に上書きされていく。
悪魔たちが植え付けた「疑心暗鬼」は、「一体感」によって駆逐された。
一方、人々の心に寄生していた悪魔たちは――。
『ギャアアアア! なんだこの波動は!』
『甘い! 甘すぎる! 砂糖を吐くような幸福感が……体が溶けるぅぅ!』
『推しへの愛が……重すぎて……押し潰されるぅぅ!』
悪魔たちが次々と爆散していく。
負の感情しか消化できない彼らにとって、純度100%の「萌えエネルギー」は劇薬だったのだ。
「すげぇ……。暴動が沈静化していく……」
ガルドがモニターを見て呆然とする。
「戦争を止めたのは、ミサイルじゃなくて『アイドル』だったか……」
「計算通りだ」
俺はガッツポーズをした。
パンドラのライブは大成功。
これにより、リサイクル・ユニオン領内の精神汚染はほぼ浄化された。
だが。
この騒動を、冷ややかな目で見つめる存在がいた。
亜空間の深淵。
悪魔公爵たちの上に立つ、最上位の存在。
『魔王』が、玉座で静かに立ち上がったのだ。
『……ほう。面白い芸当を見せる。だが、所詮は小手先の誤魔化しに過ぎぬ』
魔王の手には、ヴォイド・イーターの破片が握られていた。
『物理と精神……二つの脅威を融合させれば、貴様らごとき、ひとたまりもないだろう』
魔王は破片を飲み込んだ。
その体が変異し、金属と霊体が混ざり合った、異形の姿へと変わっていく。
最悪のハイブリッド種、『ヴォイド・デーモン』の誕生だった。
(続く)




