第27話 後方の憂鬱、あるいは「集団サボり病」
ヴォイド・イーターとの全面戦争が始まり、持久戦に突入してから三ヶ月。
戦線は膠着状態にあった。
リサイクル・ユニオン軍は、奪還した資源惑星を防衛ラインとし、敵の進撃を食い止めている。
本社(旧帝都)の執務室。
俺、アラン・スミシーは、いつものように報告書の山と格闘していたが、最近どうも様子がおかしい。
「……リズ。第4艦隊からの定期報告、まだ来てないのか?」
「あ、はいぃ……。催促してるんですけどぉ、『なんかダルいんで明日でいいっすか』って返信が……」
「はあ? ダルい?」
俺は耳を疑った。
第4艦隊は、真面目なカトレアが鍛え上げた精鋭部隊だ。そんなふざけた理由で報告を遅らせるはずがない。
「それだけじゃありません、CEO」
リズが困ったようにタブレットを見せる。
「兵器工場の生産ラインも、稼働率が50%まで落ち込んでます。作業員たちが『どうせ作っても壊されるし』『俺たちの人生って何だろう』とか言って、座り込んで動かないそうで……」
「なんだそれは。五月病か?」
俺は眉をひそめた。
戦時下のストレスはあるだろう。だが、これほど大規模な士気低下は異常だ。
まるで、伝染病のように「ネガティブ思考」が広がっている。
「……気になるな。パンドラ、どう思う?」
俺は背中に(相変わらず)張り付いているパンドラに声をかけた。
彼女は最近、やけに無口だった。
いつもなら俺の生気を吸いながら軽口を叩くのに、ここ数日はじっと空間の一点を凝視していることが多い。
「……臭うわ」
パンドラがポツリと呟いた。
「臭う? 俺、ちゃんとシャワー浴びたぞ」
「違うわよ、バカ。……『腐った魂』の臭いよ」
彼女は窓の外、本社の空を指差した。
「空間の裂け目から、ドロドロした汚物が垂れ流されている。……マスターには見えないの? あの気持ち悪い影たちが」
「影?」
俺が窓の外を見ても、いつもの星空と、忙しく行き交う輸送船が見えるだけだ。
だが、パンドラの瞳は、この次元のものではない「何か」を捉えていた。
その時。
バンッ! と執務室のドアが開いた。
入ってきたのは、前線から一時帰還していたガルドだった。
「しゃ、社長! 大変だ!」
「どうしたガルド。またヴォイド・イーターか?」
「いや、違う! ……カトレアの旦那が、おかしいんだ!」
「カトレアが?」
「ああ。自室に引きこもって出てこねぇ。『私は無力だ』『剣など捨ててしまいたい』ってブツブツ言ってて……。あの戦闘狂の姫様がだぞ!? ありえねぇだろ!」
俺は立ち上がった。
カトレアまで?
これはもう、ただのストレスや疲労じゃない。
何らかの「攻撃」を受けているとしか思えない。
「……パンドラ。お前の言ってた『影』と関係があるのか?」
「ええ、間違いなくね。……行きましょう、カトレアの部屋へ。正体を暴いてやるわ」
***
カトレアの自室前。
ドアの隙間から、陰鬱な空気が漏れ出している気がする。
俺たちは中に入った。
部屋の中は真っ暗だった。
隅のベッドで、カトレアが膝を抱えて座っている。
かつての凛とした姿は見る影もない。
「……カトレア」
「……主よ。申し訳ありませぬ……。私のような無能者が、貴殿の側にいる資格など……」
彼女は虚ろな目で俺を見た。
その肩に、何かが乗っている。
パンドラに言われて目を凝らすと、うっすらと黒い霧のようなものが、人の形をして彼女に囁きかけているのが見えた。
『そうだ……お前は無力だ……。誰も救えない……』
『死ねば楽になるぞ……』
幻聴じゃない。
直接、脳内に響いてくる粘着質な声。
「なっ、なんだアレは!?」
ガルドが叫ぶ。俺にも見えた。
あれがパンドラの言う「影」か!
「ふふ、見つけたわよ。……『精神体悪魔』」
パンドラが冷ややかに笑う。
「悪魔……だと?」
「ええ。別次元から湧いて出た、精神寄生体よ。人の心の弱みに付け込んで、宿主を廃人にする。……ヴォイド・イーターが物理的な捕食者なら、こいつらは精神の捕食者ね」
影がこちらに気づいた。
ニタリ、と裂けた口が笑う。
『おやおや……見つかってしまいましたか。……だが遅い。この女の心はもう我々のものだ。絶望に染まった魂は、実に美味……』
「ふざけるな!」
俺は怒鳴った。
カトレアは俺の大事な部下だ。それを勝手に絶望させて、餌にするだと?
「出て行け! ここは俺の会社だ! 無断欠勤させる奴は許さん!」
『ククク……威勢がいいですね。ならば、貴様の心も喰らってやりましょう……!』
影が膨れ上がり、俺に向かって飛びかかってきた。
物理的な実体がないため、避けることも防御することもできない。
影が俺の胸をすり抜け、心臓を鷲掴みにするような感覚が襲う。
ドクンッ!
視界が暗転する。
冷たい闇の中で、悪魔の声が響く。
『さあ、思い出せ……。日々の辛さを。将来への不安を。逃げ出したいという欲求を……!』
俺の脳裏に、過去のトラウマが走馬灯のように駆け巡る。
上司からのパワハラ。
終わらない残業。
減らされるボーナス。
休日の緊急呼び出し。
ああ……辛い。苦しい。
もう何もかも投げ出してしまいたい……。
――と、なるはずだった。
『……ん?』
悪魔の声が止まる。
『おい、なんだこの記憶は。……毎日深夜2時まで残業? 休日出勤が年間100日? 上司の横領の尻拭い? ……こ、こいつ、こんな地獄のような生活を10年も続けていたのか!?』
悪魔がドン引きしている。
『うわっ、マズッ! なんだこの魂! ストレスが凝縮されすぎて毒素になってるじゃないか! 苦い! 渋い!』
「……悪いな」
俺は意識の中でニヤリと笑った。
「俺の心は、とっくの昔に『社畜』化してるんだよ。……今さら絶望の一つや二つで、味が変わると思うなよ?」
『ギャアアアア! お腹壊すぅぅぅ!』
ボンッ!
俺の体から黒い煙が噴き出し、悪魔が弾き飛ばされた。
奴は床を転げ回り、苦しんでいる。俺のストレス耐性が高すぎて、食あたりを起こしたらしい。
「……あー、スッキリした」
俺は肩を回した。悪魔が出て行ったおかげで、逆に肩こりが治った気がする。
「す、すげぇ……。社長、悪魔を吐き出しやがった……」
ガルドが口をあんぐりと開けている。
「パンドラ! 今のうちに捕まえろ!」
「了解! 【霊縛】!」
パンドラが紫色の鎖を放ち、弱った悪魔をがんじがらめにする。
カトレアも正気を取り戻したようだ。
「はっ! 私は何を……?」
「大丈夫だ、カトレア。……どうやら、新しい『敵』のお出ましのようだぞ」
俺は捕獲された悪魔を見下ろした。
物理攻撃無効、精神攻撃特化の厄介な相手。
だが、俺には「社畜魂」という最強の抗体があることがわかった。
「ようこそ、リサイクル・ユニオンへ。……お前ら『精神体』も、有効活用してやるから覚悟しろよ?」
俺の不敵な笑みに、悪魔はブルブルと震え上がった。
こうして、対ヴォイド戦と並行して、見えない敵との「メンタル防衛戦」が幕を開けたのだった。
(続く)




