第16話 決戦前夜、給湯室での密談
決戦まであと48時間。
ネメシス要塞内は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
なにせ相手は、銀河最強の帝国正規軍1万隻。
対するこちらは、要塞2基と、かき集めた海賊船や鹵獲艦を合わせても、せいぜい300隻程度だ。
「戦力差30倍……。普通に考えれば詰みだな」
俺は廊下の自販機で買った安っぽい紙コップのコーヒーを啜りながら、ため息をついた。
場所は給湯室。
CEO(皇帝)たるもの、部下の前で弱音を吐くわけにはいかないので、こうして隠れて胃を休めているのだ。
「……お疲れのようですね、アラン様」
背後から声をかけられ、ビクッとしてコーヒーをこぼしそうになる。
振り返ると、そこにいたのはリズだった。
彼女もまた、手には書類の束を抱え、目の下に薄っすらとクマを作っている。
「ああ、リズか。……君こそ、働きすぎじゃないか? ちゃんと寝てる?」
「えへへ、大丈夫ですぅ。……CEOこそ、パンドラちゃんにおんぶされてて、肩凝りませんか?」
「凝るどころか、生命力を吸われてる気がするよ。あいつ、俺が寝てる時だけ離れてくれるんだけど、起きてる間はずっと背中にいるんだ」
俺は苦笑した。
パンドラは今、ヴィクトリアとタルタロスと一緒に、作戦会議室で「三位一体攻撃」のシミュレーション中だ。
珍しく俺が解放された自由時間だった。
リズは少し躊躇うように視線を落とし、それから小さな声で言った。
「……アラン様。もし、この戦いに負けたら……どうしますか?」
「負けたら? まあ、処刑だろうな。公開処刑か、あるいはパンドラと一緒に実験動物にされるか」
「逃げないんですか? ……今ならまだ、個人用の高速艇で、誰も知らない星系へ逃げることも可能です。アラン様の『へそくり』があれば、一人くらいなら一生遊んで暮らせますよ?」
リズの言葉には、妙な切実さがあった。
彼女は知っているのだ。俺が本当はただの小市民で、平和を愛する事務屋であることを。
そして、彼女自身が帝国のスパイ(二重スパイだが)として、この戦力の絶望的な差を誰よりも理解しているからこそ、俺に逃げ道を示してくれているのだろう。
俺は少し考えて、首を横に振った。
「逃げないよ」
「どうして……?」
「社員を見捨てられないからな」
俺はコーヒーを飲み干し、ゴミ箱へ投げ入れた。
「俺は確かに、面倒ごとは嫌いだ。責任も取りたくない。……でもな、俺が逃げたら、カトレアも、ガルドも、ヴィクトリアも、そして君も、全員帝国に消される。それだけは、俺の『計算(帳尻合わせ)』が許さないんだ」
俺はリズに向かって、下手くそなウィンクをした。
「それに、俺には秘策がある。……『ピンチをチャンスに変える』のが、優秀な経営者ってやつだろ?」
リズは呆気にとられたように目を見開き、それから、ふわりと柔らかく微笑んだ。
いつものドジっ子の演技でも、スパイの冷徹な顔でもない。素顔の少女の笑顔だった。
「……はい。信じてます、CEO」
彼女は抱えていた書類の中から、一枚のデータチップを取り出し、俺のポケットに滑り込ませた。
「これ、帝国艦隊の配置データと、旗艦『グラン・アーク』の構造図です。……『たまたま』拾ったので、お役に立ててください」
「ありがとう。……ボーナス査定に反映しておくよ」
俺たちは共犯者のように微笑み合い、それぞれの戦場(執務室)へと戻っていった。
***
そして、運命の時が来た。
要塞の全周モニターに、星を埋め尽くすほどの光点が現れる。
帝国軍主力艦隊、1万隻。
その中央には、全長50キロメートルを超える超巨大戦艦、皇帝座乗艦『グラン・アーク』が鎮座している。
『……アラン・スミシーよ。余興は終わりだ』
通信が入る。
皇帝ギルバート4世だ。今回は映像なし。声だけで、その圧倒的な威圧感が伝わってくる。
『貴様の小細工も、プロパガンダも、ここまでだ。圧倒的な「暴力」の前には、知恵など無意味であることを教えてやろう。……全艦、ファイア!!』
問答無用の開戦合図。
1万隻の主砲が一斉に火を噴いた。
宇宙空間が閃光で白く染まる。
「シールド展開! 最大出力!」
ヴィクトリアが叫ぶ。
ネメシスの青い障壁と、タルタロスの赤い障壁が重なり合い、紫色の絶対領域を作り出す。
ズズズズズズ……!!
激しい振動。
司令室が揺れる。コーヒーカップが床に落ちて割れた。
「シールド残存率、一撃で80%まで低下! 次の一斉射撃には耐えられません!」
「さすがは1万隻……。単純計算で出力が桁違いね」
俺の背中のパンドラが冷静に分析する。
「マスター、反撃しますか? タルタロス姉さんの主砲なら、数千隻は道連れにできますが」
「ダメだ! 撃ち合いになったら数で負ける!」
俺は叫んだ。
正面からの撃ち合いは自殺行為だ。
俺が狙うのは、敵の「頭(皇帝)」だけだ。
「作戦開始! 『オペレーション・トロイの木馬』!」
俺はリズから貰ったデータチップをコンソールに叩き込んだ。
それは、帝国旗艦『グラン・アーク』の内部システムの裏口情報。
「ヴィクトリア、通信回線をジャックしろ! 全艦隊に向けて『偽の命令書』を送るんだ!」
「了解! 内容は?」
「『皇帝陛下より緊急勅命! 敵は新種のウイルス兵器を使用した! 全艦、直ちにハッチを閉鎖し、艦内浄化モードへ移行せよ!』」
嘘八百だ。
だが、パンドラの存在を知っている帝国兵たちは、この情報を信じやすい心理状態にある。
「送信完了! ……敵艦隊、混乱しています! 攻撃の手が止まりました!」
よし、第一段階クリアだ。
敵が防衛態勢に入った一瞬の隙。
ここしかない。
「パンドラ! 出番だ!」
「了解よ、マスター」
俺の背中で、パンドラが妖しく目を光らせた。
「見せてあげるわ。私の『愛』を」
彼女が両手を広げる。
ネメシスの外部スピーカーから、歌声のような、奇妙な周波数が放射された。
それは物理的な攻撃ではない。
帝国兵たちの脳に直接作用する、大規模な「精神感応波」だ。
その効果は――
『う、うわあああ! モニターから触手が出てくるぞおおお!』
『隣の席の奴が、カエルに見える! ケロケロ言ってる!』
『ママ……ママ助けて……!』
集団幻覚。
1万隻の艦内で、兵士たちが一斉にパニックを起こし始めたのだ。
指揮系統はズタズタに寸断される。
「よし、今だ! カトレア、ガルド! 突入部隊、発進!」
「承知ッ!!」
混乱の極みにある敵艦隊の中を、カトレア率いる精鋭部隊(ステルス機)が一直線に翔ける。
目指すはただ一つ。
皇帝のいる旗艦『グラン・アーク』のブリッジだ!
俺たちの「逆買収(乗っ取り)」作戦が、いよいよクライマックスを迎える!




