天翔ける落とし物
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふ~ん、今日は月が出てないけれど、星も出ていないねえ。それでいて、雲が出ている様子でもない。
明かりが増えたこの現代では、街中だとこういうことも珍しくないかもね。けれども、ここはキャンプに適した自然の中。そうそう雲も光源もない中で、さえぎるものない空に星が浮かばないことがあるだろうか?
君はどれくらい経験をしたことがあるかな。僕は小さいころから、ときどきこの手の空を眺めたことがあったよ。どうしてこのような空になるのか、母親に尋ねてみたこともあった。
そうして、どうやら話の通りだったくさい思い出があってね。そのときのこと、聞いてみないかい?
「空をお船が通っているんだよ」
星たちさえ見えない空に対して、母はそのように理由を語ってくれた。
当時からこざかしかった僕は先回りして、SFの宇宙船やファンタジーの天翔ける船のこと? などとネタ潰しにかかったっけ。
母は怒ることはなかったけれど、それに近しいようなものだよ、と話してくれたな。今の技術で観測ができないような存在が、ああも目立つ形で空を横断している証拠なのだと。
彼らは人の世を知っている。昼間に比べれば、夜間の活動量は減りがちになることを把握しているから、ああしたものが現れるのは夜のことが多いのだと。昼間に現れる連中はその分別を知らないものが多くて、いわば野蛮だから、怪談として語り継がれてしまうのだろう、ともね。
「ま、おとなしく暮らしている分には、互いに得もしないが損もしない。『そんなときもあるさ』と見て見ぬふりをしてあげるのが、賢いやりかた……」
と母が言いかけたときだった。
家の屋根に、コツンと何かが当たる音がしたんだ。そこへ続いて、熱したフライパンにバターを乗せたような加熱音が響いた。
後者まで来たら、ただ事ではないだろう。しかもその音は聞いた限り、屋根をすべってウチの庭へ落ちるような軌道をたどったように思われたよ。すぐに僕と母は現場であろう庭へ駆けつけた。
庭へ出てみると、音の出どころと思しきものはすぐに見当がついた。
地面の一ヶ所から、煙がひとすじ立っているのだ。夜間だけに、それはひときわ目立つもので、母はそれを見るやいったん家の中へ引っ込み、ゴム手袋がいっぱい入ったビニールを持ってきた。
「もし、あれに触りたいと思ったら、こいつを何重もかぶせるようにね」
手慣れている。母はおそらく似たような経験があると見えた。
指示通りにゴム手袋を四重、五重と身に着けた僕と母は、煙をじょじょに薄めていく源へと向かっていった。
不思議だったよ。地面に手のひらほどのクレーターができていて、煙もいまだその中央から立ち上っているものの、肝心の出どころがよく見えない。
でも、いざ煙の立つ源へ手を伸ばしてみると、先ほどのようなフライパンとバターのハーモニーが奏でられる。触れる手袋の先っちょから。
ある。確かにここにはつまめるほどの大きさの何かがあった。けれどもそれは想像通りの高熱で、みるみるうちにゴム手袋は黒く焦げ付きながら穴を開けていってしまう。
「あんた風にいうなら、天翔ける船の落とし物ってところだね。ときには、こういうことも起こるのさ」
存在を確かめたあと、僕たちは二階へあがって最初にぶつかった屋根のあたりを調べる。
案の定、赤銅色の屋根の一部が真っ黒に焦げ付きながら、庭へ向かって一本の筋を垂らしていたよ。
「あしたいっぱいは、身の回りに気を付けときな。おそらく、あの落とし物に気づいた連中が探しに来るだろうから。
昼間であっても分別のある連中だろうから、じかに見ることはできないだろう。でも、確実に彼らは『そこ』にいる。あんたももしかしたら、それを知るかもしれないね」
実際、母のいった通りのようになった。
朝の登校時から、僕は何もない空間にぶつかられることがあったんだ。誰とも、何ともすれ違うことがない場所で、出し抜けに肩へ衝撃を受ける。
かなりの力で、尻もちをつくことは免れたけれども遠慮がなかった印象だ。あたりを見回したけれども、これほど体勢を崩してきそうな要因はない。
もっとひどいのは、学校へ行ってから。特に体育の時間だ。
このときは短距離走がメインだったのだけど、走っている途中でいきなり転倒する人が続出する。横から突っかかられるならまだよくて、どうやら足を引っかけられたらしい転び方をする人もいた。
はた目には、何もないところで転ぶというギャグに見えるかもしれないが、やられた側からするとトラウマものだ。また引っかけられるかも、という恐怖を植え付けられて全力を出すのがはばかられ、記録どころの話ではなくなる。
そして午後。授業中に校舎全体が揺れた。
地震かと思われたけれど、後で原因は校舎外側に設置されていた高所の時計が外れたためと分かった。そこには時計を貫いて、なお校舎に穴を開ける何かしらの力がかかっていたと思われたけれど、原因は判明しないまま。
家に帰って例の庭を確かめると、煙はもう上がっていないばかりか、あの陥没さえもきれいになくなっていた。
念のため、手袋越しにそのあたりを触ってみようとしたけれど、もうあの透明な物体は指に触れることはなかったんだ。