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四話

「おはようございます」

 店の裏口から入ったヴァレリウスは、中にいた店の主に挨拶してからいつもの仕事を始めようとする。ここは酒問屋で、何十種類もの酒を取り扱う中規模な店で、昨夜のうちに届いた酒瓶や酒樽を店内に運び入れるのがヴァレリウスのいつもの仕事になっていた。

「おう、ヴァレリウス、ちょっとこっち来てくれ」

 酒瓶の詰まった木箱に手をかけていたヴァレリウスは、不意に呼ばれて主の元へ向かう。

「……何かご用で?」

 大柄な主が振り向くと、その奥に見知らぬ青年が立っているのが見えた。

「こいつはロアニス・スーツォス。先週辞めたやつの代わりに今日から働いてもらうことになったから」

「よろしく、お願いします」

 紹介された青年は緊張気味の笑みを浮かべると、小さく会釈した。その姿をヴァレリウスは眺める。年齢は二十代半ばぐらいと若く、横に流した金髪の下の顔立ちは草食動物を思わせる大人しさや穏やかさを感じさせる。だが視線を下へずらせば、その体形も草食動物ばりに大人しい。腰回りは細く、手足も筋肉が少なそうだった。それを見てヴァレリウスは表情をしかめる。

「……こいつに、荷運びをやらせるんですか?」

「当たり前だろ。そのために雇ったんだ」

「使えるんですか?」

「それはお前次第だ」

「は……?」

 主はロアニスの腕を引くと、自分の横に立たせる。

「ここでの仕事はお前が教えてやれ」

「な、何で俺が? 他のやつらでも――」

「他は駄目だ。仕事はできても無口だったり短気なやつらが多い。何か教えるのには向いてない。けどお前は口数は少なくても、言うべきことは言うし、報告も真面目にしてる。何よりこの店じゃ一番常識がありそうだからな」

 重い酒を運ぶのだから当然腕力や体力が必要になる仕事だ。それらに自信がある男性というのは、この街では押し並べて過去に悪さをしていたり、外からの流れ者だったりする。彼らは決して常識がないわけではないが、主の言う通り少し喧嘩っ早い者が多い。それに比べてヴァレリウスは、いわゆるワルさが感じられず、仕事をそつなくこなしていた。その真面目さから教育係に適任だと思われたのだろう。

 しかし本人はやりたくなかった。ここには金を稼ぐためにだけ来ているわけで、新人に仕事を教えるという面倒な仕事までしたくなかった。そんな気持ちがヴァレリウスの顔に浮かぶ。

「そんな顔するなよ。新しい仲間なんだ。じゃあ後は頼んだからな」

「え、俺はまだ……」

 主はヴァレリウスの肩をポンと叩くと、そのまま店を出て行ってしまった。強引に任されたヴァレリウスは、その後ろ姿に抗議することもできず、諦めの溜息を吐くしかなかった。雇い主でなければ断固拒否するところだが、これが雇われの身の辛いところでもある。

 そんな困惑を見せるヴァレリウスを、来たばかりのロアニスは申し訳なさそうな顔で見ていた。

「その、迷惑をかけるようで、ごめん。ある程度教えてくれれば、あとは放っておいてくれても……」

「いや、そういうわけにはいかない。俺に任された以上はな。……ロアニス、だっけ?」

 確かめると、ロアニスは柔らかな笑みを見せた。

「うん。君は?」

「ヴァレリウスだ」

「わかった。これからよろしく。……歳、近そうだね。僕は二十六なんだけど」

 実年齢はまったくもってかけ離れているが、容姿年齢は確かに近く、ヴァレリウスは不死者であることを伏せて教えた。

「俺は二十五だ」

「一歳しか違わないのか。じゃあ同年代として話は合うかもね」

 それはどうだろうと思いつつ、ヴァレリウスは愛想笑いを浮かべる。

「……それにしても、何でここで働こうと思ったんだ? ここの仕事がどんなものか、知らなかったわけじゃないんだろう?」

「もちろん、お酒を運ぶ仕事だってことをわかった上で来たよ」

「もしかして、前に荷運びの経験があるのか?」

 ロアニスは首を振って否定する。

「いいや。こういう仕事は初めてする」

「だよな。その細腕だし。もっと他に身に合った仕事がある気がするが……」

「いろいろ探したけど、僕が働ける場所で、ここの仕事が一番給料がよかったから、仕方なく……。自分でも合ってない仕事だってわかってるよ」

「何か事情でもあるのか?」

 聞かれたロアニスは笑いながら言う。

「そんなのは何もないよ。ただ最近、この街に引っ越してきたばかりで、早く仕事を見つけなきゃいけなかったから、あまり選り好みできなかったってだけのことだよ」

「だとしても結構な力仕事だぞ? 長続きしないと意味ないんじゃないか?」

「引っ越し直後に無職は困るからね。やる気だけは切らさないように頑張るつもりでいる。最初は遅い仕事しかできないかもしれないけど、少しずつ腕を鍛えれば皆と同じように働けると思うから」

 そう言うロアニスの口調は力強い。言葉通りやる気は十分あるようだった。これで即戦力と呼べる力が備わっていれば文句なしだったのだが、それを嘆いても現状は変わらない。

「早く筋肉が付くのを願ってるよ。それじゃあ始めるか」

 ヴァレリウスはロアニスを連れて仕事の指南を始めた。まずは仕事の半分を占める荷運び――店の裏にある酒を店内へ運び入れ、出し入れしやすいように綺麗に並べ置く。酒瓶の入った木箱は瓶が割れないよう丁寧に、大きな酒樽は持ち上げられないので斜めに傾けてコロコロ転がして運ぶ――方法やコツを順番に教え、拙い手際ながらもロアニスは懸命に覚えようとしていた。翌日は酒を卸している店へ荷馬車での配達――ロアニスは馬を操るのも初めてで、ヴァレリウスは手綱の握り方も教えた。配達は決まった時間までに終わらせないといけないので休憩はそこそこに安全かつ速やかに――額に汗しながらてきぱきと動こうとするロアニスに、ヴァレリウスは焦らなくていいと落ち着かせる。それらが終わって店へ戻れば、各場所の掃除や酒の整理などをし、日が暮れた頃に仕事は終了する――数週間の指南の日々が続き、ロアニスも仕事のやり方を覚え、手際もよくなってきた。配達はまだ二人でないと心配だったが、荷運びは何の助言もなく一人で運び、並べられるようになっていた。それなりの覚えのよさと素直な態度は、面倒くさがっていたヴァレリウスをわずらわせることなく、仕事は順調にこなされていった――そんな日々を送っていたある日だった。

「……よし、じゃあこれで終わりだ。お疲れ」

 店内を掃除し終え、雑巾やモップを片付けようとすると、横からロアニスが手を伸ばした。

「これ、僕が片付けるからいいよ」

「そうか? じゃあ頼む」

 手渡すと、ロアニスは掃除用具を用具入れに戻しに小走りで向かう。その背中を眺めながらヴァレリウスは、頼りないと思っていた新人のわずかな成長に、ほんの少しだけ微笑むのだった。

「……ん? どうかした?」

 戻って来たロアニスに聞かれ、ヴァレリウスはすぐに微笑みを消す。

「別に。最近お前、仕事がはかどり始めたなって思っただけだ」

「だとしたら、それはヴァレリウスのおかげだよ。君の教え方が上手いからじゃない?」

「俺は大したことは教えてない。お前が努力してるからだ」

 ふふっと笑ったロアニスははにかむ。

「そう言ってくれると、嬉しいけど……」

「でも無理に重い物は持つなよ。たまにそんな時があるだろう。頑張るのはいいが、自分の力量は見誤るな。それで酒瓶割ったら給料減るんだからな」

「すごいな。気付いてたの? 持てるかなって思ってやってたんだけど、給料が減らされるならもうやめておくよ」

「そうしたほうがいい。……じゃあ帰るぞ」

 ヴァレリウスは店の裏口へ向かう。

「あっ、あのさ」

「何だ」

 足を止めてヴァレリウスは振り返る。

「これから君のこと、ヴァリーって呼んでもいいかな?」

 思わぬ要望にヴァレリウスの眉間にしわが寄る。

「いきなり何だ?」

 これにロアニスは慌てたように言う。

「気に障ったならごめん。でも、君とは歳も近いし、もう少し親しくなれたらなって思って……ああ別に、嫌なら呼ばないよ。ちょっと馴れ馴れしかったかな……」

 苦笑いを浮かべながらロアニスは金の頭を指先でかく。ばつが悪そうに視線を泳がせる彼にヴァレリウスは言った。

「いや、気に障ったわけじゃない。少し驚いただけだ。何て言うか、そんなこと言ってくるやつは久しぶりだったんでね」

「え、それじゃあ、呼んでも?」

「好きに呼べばいい」

「本当? よかった! 一瞬怒らせたかと思ったよ」

 安堵したロアニスはニコニコ笑う。

「もういいか? さっさと帰るぞ」

「待って。ついでにもう一つ……」

 一歩を踏み出そうとしたヴァレリウスは、じろりとロアニスを見やる。

「まだ何かあるのか……?」

「もし時間があったらでいいんだけど……」

 ちらりとヴァレリウスを見てからロアニスは言った。

「街の中を、案内してくれないかな」

 再びヴァレリウスの眉間にしわが寄った。それを見たロアニスはすぐさま言う。

「前に言った通り、僕は最近ここに引っ越して来た身で、まだ街をよく見て回れてないんだ」

「仕事が休みの日にでもゆっくり見て回ればいいだろう」

「それはそうなんだけど、知ってる人に案内してもらったほうが安全で確実でしょう? 治安の悪い場所に入り込まなくて済むし、それと美味しい料理を出す店なんかも教えてほしいし。この間、食事をしようとして入った店がひどいところだったんだ。良心的な値段だと思って入ったのに、出されたのは焦げた小さい肉にクズ野菜を入れただけのスープで、味はほとんどないようなものだった。あの食事代は無駄にしたよ。だからヴァリーの知ってるお薦めの店を教えてほしくて……駄目かな?」

 ロアニスは子供が親にねだるような目をして見つめる。それを受けてヴァレリウスの眉間のしわは一層深くなった。新人教育の次は街の案内……面倒事ばかり頼まれてヴァレリウスは胸の中で溜息を吐く。他人とはあまり関わりを持ちたくない彼にとって、仕事場の外でも関わることは断りたい話だった。街見物ぐらい一人でやってくれ――と言おうとしたヴァレリウスだったが、その頭に以前の言葉がよぎった。

『――あなたはもっと他人と関わるべきよ。――』

 セオニの強い口調が何度も響く。自分に言い聞かせるように。彼女は死にたいことを忘れさせるためにそう言ったのだが、その目的よりも彼は女性の気を引く手段として考えていた。人助けをすれば、その優しさに惚れた女性が近付いて来るかも――この世を去るにはどうしても恋人が必要なのだ。それを得るには避けたいことでも、我慢してやるしかない。望む死のために。だからと言ってロアニスを案内することに劇的な効果があるわけではないだろう。しかし断れば微々たる効果も得られない。面倒ではあるが、何もしないよりはいい――そう考え直したヴァレリウスは、不安そうに答えを待つロアニスを見据えて言った。

「……まあ、時間ならあるし、案内してやってもいいが」

 そう言うと、ロアニスは驚いたような顔で見ていた。

「何だよ。何か不満か?」

「てっきり断られると思って……すごく嫌そうな顔してたからさ」

「面倒には違いない。だから街の案内なんてこれ切りにしてくれよ。それと、俺もいい店をよく知ってるわけじゃない。大体決まったところへしか行かないし。それでもいいなら――」

「お願いするよ。今はヴァリーしか頼める人がいないからね」

 笑顔を見せるロアニスに、ヴァレリウスは小さく肩をすくめた。

「そうかい。それなら……夕食がてら、早速行くか」

 喜ぶロアニスを連れて、ヴァレリウスは日の暮れかけた街中へ向かった。

 仕事帰りや夕食を買う人々で大通りは賑やかだった。香ばしい匂いや甘い匂いがあちこちから空腹を刺激し、向かう足を引き止めようとしてくる。しかしヴァレリウスはその誘惑を振り払い、大通りから外れた道へ入る。そこにも腹を満たしてくれそうないい匂いが漂っており、それをたどるように進めば、十字路の角にある小さな料理店にたどり着いた。

「あ、ここ……」

 ロアニスは店の看板を見つめて呟いた。

「もしかして、知ってるところだったか?」

「店自体はね。でもまだ料理は食べたことないんだ」

「ならよかった。俺はここで食べることが多くてね。味はなかなかいいと思う」

「へえ、楽しみだ」

 二人は中へ入った。外観通りの小さな店だが、ほとんどの席は客で埋まっていた。それでも空いていたテーブル席を見つけて二人は座る。

「美味しそうな料理だね」

 ロアニスは隣の客が食べるものを見ながら言う。

「メニューはあの壁に書かれてるが、食べたいものはあるか?」

「ヴァリーは常連なんでしょう? 君に任せるよ」

「そうか。それなら……おーい、こっち注文」

 ちょうどカウンターの奥から出て来た給仕の女性を呼ぶと、その姿は小走りでやって来た。

「はあい、注文ですね。何に――」

 小柄な女性は急に言葉を止めると、水色の瞳を真ん丸にしてロアニスを見た。その様子にヴァレリウスは思わず聞く。

「……こいつが、何か?」

「お、驚いた……何でいるの?」

 給仕はロアニスに聞く。どうやら二人は知り合いらしい。

「何でって、料理を食べに来たに決まってるだろう」

 笑顔でロアニスは答える。ヴァレリウスは彼に視線でたずねた。

「紹介するよ。僕の妹のエリンナ」

「あ、初めまして……」

 エリンナはペコッと頭を下げた。兄と同じ金髪や、くりっとした目元などは、確かに兄妹らしく似ていた。

「さっき店の看板を見て、エリンナが働いてる店だって気付いてたんだけど、こうして実際に働いてる姿を見るのは初めてで……」

「兄さん、私にも紹介してよ」

「ああ、そうだった……彼は同僚のヴァレリウスだ。仕事を教えてくれて、街の案内もしてくれる優しい人だよ」

 するとエリンナは姿勢を正すと、ヴァレリウスを見据えて言った。

「兄がお世話になってるんですね。これからもどうぞよろしくお願いします」

 礼儀正しく言われてヴァレリウスは少し戸惑った。

「い、いや、そんなにかしこまらなくていいから。もっと気軽に」

「でも……」

 これに横からロアニスが言う。

「僕と彼は一歳しか違わない同年代なんだ。教えてもらう立場ではあるけど、友達みたいなものだから」

「そうなの? じゃあ……これからも兄と仲良くしてやってくださいね」

「あ、ああ、わかった」

 返事をしたヴァレリウスに、エリンナは嬉しそうに笑って見せた。その可愛らしくも美しい笑顔に、ヴァレリウスは一瞬気を引かれた。

「エリンナ! 注文はどうした?」

 厨房の奥からの大声にエリンナはハッとして二人に向き直った。

「早くしないと怒られちゃう。……それで、何にするの?」

「ええと、そうだな……ロアニス、俺と同じものでいいか?」

「うん、構わないよ」

「それじゃあ、ビーフソテーとエールを、二つずつ」

「わかったわ。待っててね」

 注文を取ったエリンナは伝えに戻って行く。それを見送ってからヴァレリウスは言った。

「まさかお前の妹が働く店だったとは……こんな偶然もあるんだな」

「ここがヴァリーの行き付けの店だったなんて、僕も驚いてるよ」

「でも彼女、以前は見かけなかったと思うが。最近ここで働き始めたのか?」

「エリンナもついこの間、故郷の村を出て来たばかりで、実は今、僕と一緒に暮らしてるんだ。まだ部屋を借りる金がないみたいでね」

「そうだったのか。じゃあ彼女もここの新人ってわけだな」

「まだこの街じゃ右も左もわからないから、妹でも、いてくれれば心強いよ」

「兄妹で実家を出て来て、親には何も言われなかったのか?」

「それは、まあ……」

 ロアニスは急に表情を曇らせ、言葉少なになってしまった。聞いてはまずいことだったのだろうかとヴァレリウスが怪訝に思っていると、横から明るい声がやって来た。

「エール二つ、どうぞ」

 エリンナがなみなみと注がれたエールのコップを二人の前に置く。

「もうすぐ料理はできるから、もうちょっと待ってね」

 そう言って再び戻って行く。店内は多くの客で騒がしいのに、二人の間にはしばし静寂が漂った。ヴァレリウスは親の話を続けるべきか迷ったが、それを察したかのようにロアニスが口を開いた。

「親とはあまり上手くいってなくて……あ、妹は違うけど、エリンナはいつも僕に味方してくれてたから、僕がこの街に引っ越すって決めた時、自分も後から行くって言ってくれてたんだ。僕はともかく、妹が家を出る時は、両親はきっと引き止めたんじゃないかな」

「何か、悪いこと聞いたみたいで、すまない」

 これにロアニスはブンブンと首を横に振る。

「そんなことないから。よくある、親子喧嘩みたいなものだよ。こっちこそ、暗い空気にしてごめん」

 ロアニスはコップをつかみ、グビッとエールを飲む。

「……この店以外にも、ヴァリーが通ってるところはあるの? そろそろ服を買わないと、着るものがなくなりそうだから、そういう店も探してるんだけど、知ってる?」

「ああ、服なら店で買うより、月に一回開かれるバザールで買ったほうが安く済む」

「へえ、そんなのがあるんだ。もっと詳しく教えて――」

 二人が街の店やその情報を話していると注文したビーフソテーが来て、ひとまずその味を堪能した。その最中もロアニスは質問を続け、ヴァレリウスがそれに答えているうちに食事は終わり、二人の腹は満たされた。

「……さて、この後はどうする? 少し街を見て回るか?」

「そうしてもらおうと思ったけど、もう暗いし、話はたくさん聞けたから、また今度――あっ、案内はこれ切りなんだっけ……」

 残念そうなロアニスに、ヴァレリウスは小さな溜息を吐いて言う。

「確かにそう言ったが、今日は案内らしいことはしてないし、まあ、改めて案内してやってもいいよ」

「いいの? それは助かるよ。じゃあ次は明るい時間に行けるように休日にでも頼もうかな。それともヴァリーは休日、忙しい?」

「俺は兼業も副業もしてないから暇だ」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 ヴァレリウスは首をかしげる。

「君はモテそうだから、恋人ぐらいいるんじゃないかと思って……」

「ああ、そういうことか。なら大丈夫だ。今はその恋人を探し中だから」

「そうなの? 意外だな。女性が君を放っておくなんて」

「おいおい、褒め過ぎだろう。俺よりいい男なんてごまんといるんだ。そう言ってる目の前にもいるし」

「え……?」

 ロアニスは一瞬瞠目するも、すぐに破顔した。

「真に受けそうになったよ。君ってそういう冗談も言うんだね」

「冗談と言うか、客観的に見ればお前のほうが断然いい男だと思うけどな」

「あ、そ、そうかな……? 何か、照れるよ」

「ははっ、真に受けたか?」

 いたずらな目がロアニスを見やる。

「ヴァリー……!」

「素直で大人しいお前も怒る時は怒るんだな。さあて、帰るか」

 ヴァレリウスが懐から金を出そうとすると、ロアニスはその手を押さえて止めた。

「……もしかして、本気で怒らせたか?」

「違うよ。ここは僕が支払うよ。付き合ってくれたお礼だ」

 そう言うとロアニスは自分の財布から二人分の代金を出し、テーブルに置いた。

「いいのか? こっちは助かるが……」

「僕も余裕はないから、次は払えないけどね」

 ニコリと笑い、ロアニスは入り口へ向かう。

「……あ、兄さん、帰るの?」

 気付いたエリンナが声をかけた。

「ああ。ここの料理、美味しかったよ。ヴァリーに連れて来てもらってよかった」

「私は八時に終わるから、それまで寝ないでね。鍵かけられて、閉め出されるのは困るから」

「わかってるよ。ちゃんと待ってる」

 エリンナの水色の瞳がヴァレリウスに向く。

「あの、兄と一緒に来てくれて、ありがとうございます」

「こちらこそ、美味しいもの食べさせてくれてありがとう。また近いうちに来るよ」

「ええ、ぜひ。待ってます。……兄を、どうかお願いしますね」

 優しくも力のこもった言葉に見送られ、二人は店を後にした。

 すっかり夜のとばりが下りた道を歩きながら、ヴァレリウスは脳裏に残った声を聞きつつ話しかけた。

「お前の妹、随分と兄思いなんだな」

「昔からあんな感じなんだ。本当に、いい妹だよ。……もしかして、惚れた?」

「そうだって言ったら、許せないか?」

 ロアニスはフフッと笑う。

「君なら許せるかな。でももうちょっとヴァリーを知っておきたいな」

 するとロアニスはふとヴァレリウスに振り向いた。

「……あれ? エリンナに気がある素振りも冗談?」

「さあね。どっちかな」

 それは彼の本音だった。少し気を引かれる部分もあるが、まだ気持ちは定かではない。彼女を恋人候補として視野に入れるべきかどうか……ここで判断はできなかった。しかしそんな女性と会えたのは運がよく、セオニの言葉に従ってみてよかったと思うヴァレリウスだった。

 その後、酒問屋の仕事をしながら、二人は互いの予定を合わせ、休日に街を見て回ることになった。よく行く店や気を付けたほうがいい場所など、ヴァレリウスは案内しながら自分の知る限りのことを教えてやった。ロアニスはそれらの情報を頭に入れ、わからないことは質問する。

「さっき、あの道の先にも食料品店があったけど、ヴァリーはどっちがお薦め?」

 買い物客でにぎわう商店通りにはいくつも類似の店が並ぶ。まだ店の特徴を知らないロアニスにはどこがいい店と言えるのか判断がつかなかった。

「この通りの店は商品はいいのを揃えてるが、少し値段が高めだ。だが向こうの店の商品はここより品質は下がって、品数も少ない。その分安めじゃあるが……俺は懐の具合を見て、どっちの店へ行くか決めてるよ。腐ってさえなきゃ、そんなにこだわりがないんでね」

「なるほど。それはいいかもね。覚えておこう。金欠の時はそうやってやり繰りして――」

「あっ、兄さん!」

 驚いた高い声が聞こえ、二人が振り向けば、そこには買い物かごを提げたエリンナが立っていた。

「出かけるって言ってたけど、ここに来てたの?」

「ああ。今日はヴァリーに改めて街の案内をしてもらってて……エリンナは買い物か?」

「うん。石鹸とか油とか、なくなりそうな物を買っておこうかと思って」

「金は大丈夫か?」

「大丈夫じゃないけど、ないと困るし……」

 するとロアニスはヴァレリウスに顔を向けた。

「そうだヴァリー、安く買える店を教えてくれないかな。品質は多少落ちてもいいから」

「石鹸と、油か?」

 兄に視線で聞かれた妹は、小さく頷いて見せた。

「その、知ってればでいいんですけど、ありますか? そういう店」

 何でも知ってるヴァレリウスではなかったが、それでも記憶をたどり考える。

「道を一本入ったところに、油を扱った店があった気がするな……石鹸は、悪い。安い店はわからない」

「石鹸なんて、どこも大して値段は変わらないしね。とりあえず、その油を売ってる店に行ってみたらどうだ?」

「うん。そうしてみる。……ヴァレリウスさん、ありがとう」

 エリンナは笑顔で礼を言う。

「俺のことはヴァリーでいいよ。よければ案内するけど?」

「でも、今は兄と……」

「同じ街の中なんだ。ついでだよ。……ロアニス、いいだろう?」

 聞くとロアニスはすぐに頷いた。

「ああ。ヴァリーがそう言ってくれるなら頼もうかな。エリンナ、遠慮なんていらないから、さあ行こう」

「本当にいいの? それじゃあ、お願いしようかな……」

 兄妹を連れて、ヴァレリウスは記憶にある店へ向かった。商店通りから道を一本入り、右へずっと進むと、そこには記憶通りに油を売る店があった。何種類か並んでいたが、エリンナは木の実油を購入した。

「それで、よかったか?」

 ヴァレリウスが聞くと、エリンナは満足げに微笑む。

「ええ。前に買ったところより少し安かったし、おまけもしてもらって……ヴァリーさんに教えてもらってよかったわ」

「街のことでわからないことがあったら、何でも彼に聞けばいいよ。親切に教えてくれるから」

「何でもは困る。わかる範囲でなら教えるが……」

「それなら、もう一つ、教えてもらいたいんですけど」

 エリンナはヴァレリウスを控え目に見ながら言う。

「殺鼠剤を売ってる店、知ってますか?」

「殺鼠剤……? 部屋にネズミがいるのか?」

「部屋ではまだ見てないんですけど、外をチョロチョロ走ってるのはいて、早めに対処しないと何かかじられそうだと思って。兄さんも見たことあるでしょう?」

「暗い時間に見かけはしたな。確かに、被害が出る前に対処したほうがいいか」

「どこで売ってるかわかりますか? ヴァリーさん」

「買う必要はない。俺のをやるよ」

 兄妹の目が丸くなる。

「え? 分けてくれるってことですか?」

「ああ。俺の部屋にも以前、ネズミが出てね。大家に言ったら殺鼠剤をくれたんで、それを撒いたら姿を見なくなった。その時に余ったのがあるから、それをやるよ」

「ヴァリー、ありがとう」

「ありがとうございます! 何か、貰うなんて申し訳ないけど……」

「困った時はお互い様。人の親切は素直に受けるべきだ。じゃあ、ちょっと取りに戻るよ」

「え、いえ、今じゃなくても後日に……」

「そうだよヴァリー。仕事場で僕に渡してくれればいいから」

「いいんだ。走ればすぐ取って来られる。心配事は早く片付けたほうがいいだろう? 二人は商店通りの入り口で待っててくれ」

 そう言ってヴァレリウスは走って家へ戻る。普段の彼ならここまで他人の世話を焼いたりしない。だがそうするのはすべて恋人作りのためだ。エリンナはこの優しさに少しでも興味を向けてくれるだろうか――それを見極めるために、ヴァレリウスはひた走った。

 十五分後、言った場所で待っていた兄妹に殺鼠剤を渡すと、二人は礼を述べて喜び、そして感謝した。

「これでネズミは一網打尽だ。もし足りなかったら言ってくれ。また持って来るから」

「本当にすまない。ヴァリーには世話になりっぱなしだね」

「妹の私まで世話になってしまって、ただお礼を言うだけじゃ物足りないわ……あの、よかったら私達の部屋へ来ませんか? 狭いし、綺麗とは言えないけど、でもヴァリーさんのために何か料理を作って食べてもらったり……」

「うん。僕もそのぐらいしないと気が済まないよ。……ヴァリー、これから部屋に来てくれないか? ごちそうは出せないけど、僕達のささやかな気持ちを受け取ってほしい」

「いいのか? 余裕ないんだろう?」

「客人一人ぐらいをもてなす余裕はあるよ。そこでまた街についていろいろゆっくりと教えてくれ」

「親切は素直に受けるべき……そう言ったのは俺だ。じゃあ、二人の親切を素直に受けるとするか」

 これに兄妹は顔を見合って喜ぶ。

「兄さんはいい人に出会ったみたいね。本当によかった」

 エリンナは兄に笑いかけ、次にヴァレリウスにも笑みを向けた。少し照れたような笑顔にヴァレリウスは薄い微笑みを返す――反応は悪くないように思えた。恋人候補にしてもいいだろうと、密かに決めるヴァレリウスだった。

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