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二話

 窓から差し込む朝日の眩しさにヴァレリウスは強引に目覚めさせられる。一応カーテンが引かれているのだが、生地が薄過ぎてまったくカーテンの役目を果たしていなかった。だが元から付けられていたものだし、彼には今さら買い換える気もなかった。

 ギシギシと鳴るベッドを降り、寝ぼけ眼のまま身支度を始める。その間に頭も目覚め、昨日買ったパンを朝食に食べる。硬い歯ごたえを水で流し込み、さて行くかと玄関を出る。

 古く薄汚い民家が立ち並ぶ通りを眺める。朝日が当たって明るく照らされているこの時間帯だけが、辛気臭いこの一画を綺麗に見せる瞬間かもしれない。でこぼこに張られた屋根板の上では小鳥達がピヨピヨと鳴き、その下では住人の老婆が井戸で水汲みをしている。普段はもう少し人影が見られるのだが、今日は休日ということで、早起きして出かける人の姿は少ない。ヴァレリウスも今日は仕事がないのだが、その足は家を離れ、通りを歩き始める。

 街の大通りに出る頃には、まばらだった人通りも増え始め、休日を楽しむ者や買い物客が目立ち始めた。しかし彼は買い物をする気も、羽を伸ばす気もない。賑やかな中心部を通り過ぎると、再び人通りの少ない道に入り、どこかを目指して歩く。借家を出て四十分、たどり着いたのは薄暗い路地に面した石造りの家だった。ヴァレリウスはその扉を叩き、中からの反応を待たずに勝手に開けて入って行った。

「おはよう。いるか?」

 ずかずかと入ったヴァレリウスは、本や書類が所狭しと置かれた部屋を見回す。一体ここには何百冊の本があるのか……壁際の本棚にはもはやわずかな隙間もなく、入り切らなかった本達は床に山積みになって、いくつもの塔を作っている。机の上は雑に重ねられた紙の束が占領し、ペンで何かを書けるような空間は残されていない。そんなだからろくに掃除もできていないのだろう。漂う空気は埃っぽいが、ヴァレリウスはもう慣れてしまったことだった。見慣れた光景に目当ての姿が見えないと、奥にある扉に向かってその名を呼んだ。

「ペトロス、起きてるか? おい、ペト――」

「聞こえてる! 朝っぱらからやかましいぞ」

 奥の部屋から出て来た老人――ペトロスは、自分を呼んだ男をねめつけて言った。

「まったく、こっちは忙しいのに……今日は随分と早いじゃないか」

「太陽に起こされたんだ。働けってね」

「休日だろ? 休んでればいいものを」

「貧乏暇なしってやつだ」

 これにペトロスは鼻で笑った。

「ふんっ、よく言う。いつも暇だ暇だと言ってるやつのセリフか?」

「たまには暇な時だってある。……で? いつもの仕事はあるか?」

「悪いがないよ。今は研究のまとめ中なんだ」

「それ、俺は手伝えないか?」

「無理だ。これは私しかできない」

「そうか……残念」

 ヴァレリウスは肩をすくめる。

「次に協力してもらうのは、もう少し先になるだろう。今の研究をまとめて発表し終えるまでは、こっちから頼むことはないと思ってくれ」

「先っていつだ」

「そうだな、二ヶ月か三ヶ月ぐらいだな」

「まあまあな時間だな」

「仕方ないだろう。研究ってのは時間がかかるもんだ。不死者のお前にしてみれば、大した時間じゃないだろう。それとも何か? 私の小遣いがなきゃ生活できないぐらい困窮してるのか?」

「そこまでじゃないが、この小遣いを当てにしてるところはあるよ。何せ今やってる仕事の給料がいいとは言えないからね」

「ほお、なら別の仕事を探したらどうだ」

「どこも似たり寄ったりだよ。まあ、長く働く気もないけど」

「せっかく二十代で老化が止まったんだ。枯れない体力使って、いろんな場所で働けばいい」

「ああ。そのつもりではいるよ……」

 ヴァレリウスがこの場所に来るようになったのは百年前――ある募集の張り紙を見たのがきっかけだった。

『本格的な研究のため、協力してくれる不死者を募集。応じてくれた方にはその都度、謝礼金を支払います』

 この当時、すでに不死者研究は始まってはいたものの、本格的と銘打ち、表立って研究を明かす者は少なく、どちらかと言うと陰で細々と行われている印象だっただけに、ヴァレリウスはこの堂々と書かれた文章を読んで、ほのかな希望を見い出したのだった。研究が進めば、不死者が死なない理由が解き明かされ、さらには命が尽きる方法や手段がわかるかもしれないのだ。もちろん謝礼金も魅力的だったが、それよりも研究が進むことを期待し、ヴァレリウスはすぐに書かれた住所へ向かった。それがこの研究所だった。

 そこで出会った研究者に協力し、ヴァレリウスを始め募集で集まった不死者達は質問に答えたり実験に参加したりして貢献した。そのおかげで不死者の老化が止まりやすい年代や遺伝で生まれるのではないことがわかり、この時代が不死者研究の出発点とも言われるようになった。

 ヴァレリウスの協力はそれからも続き、最初の研究者からその助手が引き継ぎ、そしてまた助手が引き継ぎ……と、そうして現在のペトロスまで続いている。代々の研究者に協力してきたヴァレリウスは暇を見てはここに通うのが長年の習慣になっていた。

「……どうした。そんな暗い顔して。不安でもあるのか?」

 ペトロスはしわだらけのズボンのポケットに両手を突っ込んで聞く。

「不安というか……疲れててさ」

「だったらよく眠れ。不死者なら疲労ぐらい、一晩で消えるだろう」

「そういう疲れじゃない。毎日同じことの繰り返しで、俺はそれが永遠に続くんだ。嫌気が差すだろう? でも飢えを逃れるには働く必要があるし、かと言って非日常を求めて旅をするにも、そんな金はない。ペトロスにも会えなくなるしね」

「何だ、私がいるから旅ができないとでも言うのか?」

「あんたは大事な金づるだ」

 ヴァレリウスはいたずらな笑みを見せる。

「金づるってほどの額は払ってないがな。……また、死にたいとか思ってるんじゃないだろうな?」

「またじゃない。常にそう思ってるよ。死ねるなら今すぐそうしたいぐらいだ。研究で早く解明してくれないか? 不死者が死ねる方法ってやつを」

「残念だが、大半の研究者は不死の仕組みを研究して、それを人々に応用するのを目標にしてる。つまり人為的な不死者を作り出すことに懸命になってる。不死を打ち消す方法など、真逆の研究をする者はいない。無意味だからな」

「無意味か……皆わからないんだろうな。実際に不死の身体を持てば、死にたくなる気持ちも理解できるはずだ。何度も訪れるむなしさや孤独、その辛さをね」

「お前は我々研究者の夢を壊す気か?」

「俺は実感してることを言ったまでだ。不死になったからって、誰もが幸せを感じたり、不安から解放されるわけじゃないってね。むしろ孤独感の増した人生を送ることになる」

 ペトロスは伸びた白髪頭をワシャワシャとかきむしる。

「お前はどうしても我々の研究を否定したいようだな」

「否定はしてない。だが夢を見過ぎるなってだけだ」

「まあ、言ってることは少しわかる。自分が不死者になれば、周りの人間は先に死んでしまう。大事な家族も愛する人も。新たにそういう人を作ったとしても、彼らはまた先に死んでしまう。不死者はどうしたって孤独になる……ってことだろう?」

「永遠に付きまとうことになる。不死者にはね」

「そこは前向きに考えたらどうだ? お前は若い容姿だ。女と遊び放題だと思えれば楽しくならないか?」

「女遊びをしたって一時の孤独は埋められるだろうが、後で一気にむなしくなるだけだ。でもまあ、恋人を作ろうとは思ってるが」

「ほお? 何だ。結局女に慰めてもらおうとしてるのか」

「そうじゃない。恋人を作るのは俺を殺してもらうためだ」

 これにペトロスはしかめた顔を向ける。

「……はあ? 何を言ってる?」

「言葉通りの意味だ」

「なぜいきなり恋人なんだ? 恋人になった者なら不死者を死なせられるとでも?」

「以前、本である言い伝えを見たんだ。そこには深く愛してくれる者なら不死者を殺せると書いてあった。だからそれを――」

 ヴァレリウスがふと見ると、ペトロスは呆れたような、憐れむ目で彼を見ていた。

「……そんな顔で見るなって。あんたの言いたいことはわかるよ」

「死にた過ぎて、そんなことを信じるまでになったか」

「俺だって本当に信じたわけじゃない。ただ書いてあった以上、試すぐらいはしてもいいかと思って……本当だったら、目っけ物だろう?」

「私には時間の無駄にしか思えないがな。だったら下心なく、真面目に恋人を探すべきだと思うが」

「確実に独りになると知りながら真面目に恋人なんか作れないよ。不死者を嫌がる者も多いし」

 ペトロスは腕を組んで言う。

「孤独を味わいたくないというなら、同じ不死者を恋人にすればいいじゃないか」

「俺と同じ人を……?」

「聞いた話じゃ、不死者同士の夫婦もいるという。これなら孤独にならなくて済むだろう」

 同じ不死者なら死による別れはなく、孤独感もない。共に長い時間を歩めるいい相手に思えるが、ヴァレリウスは首を横に振る。

「俺は、同じ不死者とはあまりつるみたくないんだ。どんな時代に、どんな生き方をしてきたかわからないし……」

「わがままだな。そんなこと、相手に聞けば済む話だろう。話をしてお互いにわかり合って情を深める。それが基本だろう?」

「それはそうだが、不死者は遠慮したい」

 するとペトロスは大声を張り上げて言った。

「何を言ってる! 食わず嫌いをしてると、永遠に孤独のままだぞ。いいのか?」

「いいも何も、これまでずっとそうだったし……」

「これを機会に変えればいいだろう。一人よさそうな女性を知ってる。お前と同じ、研究の協力者なんだが――」

「お節介はいらないよ。恋人ぐらい自分でどうにか――」

「駄目だ。紹介してやるから。私はお前のために言って――」

「おはようございます」

 その時、入り口のほうから声がして二人は揃って顔を向けた。

「扉、叩いたんだけど、反応がなくて……」

 そこには長い黒髪の、長身ですらっとした女性が立っていた。話に没頭していたせいで、彼女が扉を叩いた音が聞こえなかったらしい。そんな二人に見つめられて、女性は少し戸惑った表情を浮かべている。

「おお! ちょうどよかった!」

 すると笑顔になったペトロスは彼女に歩み寄り、そしてヴァレリウスに振り向く。

「この彼女が紹介したかった女性だよ」

「え? 紹介って……?」

 状況のわからない女性を無視してペトロスは続ける。

「名はセオニだ。……セオニ、ヴァレリウスとは初めてか?」

「あ、え、ええ、彼とは初対面だけど……何の話なの?」

 首をかしげるセオニの横で満面の笑みを浮かべるペトロスを見て、ヴァレリウスは密かに溜息を吐くのだった。

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