映画感覚
今日の空は雲ひとつない、見事な晴天だった。俺は自宅から徒歩5分の距離にある映画館、ラ・ヴィ映画館へと足を向けていた。
この映画館にはいくつかの奇妙な特徴があった。例えば、チケット代やサービスが人によって無料で、俺はその「無料な人」の一人だった。その理由はわからない。加えて、劇場内にスタッフの姿を見たことがない。正確に言うと、目に見えない。初めてここに来たのは中学2年の頃、友達だと思っていた奴に彼女を奪われ、傷心の帰り道だった。
あの日、傷心のまま家に帰ろうとしていた。ふと、目に留まったのはあの映画館だった。周りの喧騒と無縁の場所に、何か引き寄せられるように足を踏み入れてみた。中に入ると、俺の両親が激しく口論している映画が上映されていた。だが、不思議なことに、周りの観客は怒りを露わにしているのに、俺自身は何も感じなかった。何も考えず、無表情でその映画を見続けていた。90分があっという間に過ぎ、家に帰った。
それ以来、俺はラ・ヴィ映画館の常連となった。未だにスタッフの姿を見たことはない。チケットやポップコーンは電話で注文するシステムで、何度か「なぜ俺は無料なのか」と尋ねたことがあるが、返ってきた答えはいつも同じだった。
「それは、あなただからです。」
その答えに、俺は何度も疑問を抱いたが、結局その問いを繰り返すことを諦めた。だって、何を聞いても同じ答えが返ってくるだけだと、最初からわかっていたから。
さて、今日も俺はラ・ヴィ映画館へ向かう。チケットを頼むと、料金も払わずに手元にチケットが出てきた。ポップコーンも同じように無料だった。スクリーン19と書かれたチケットを手に、いつものように映画が始まるのを待った。
座った席は後ろから4番目、真ん中より少し左側の席。お気に入りの場所だ。映画が始まると、またしても見知らぬ会社が製作した映画が映し出された。主人公の視点で描かれているこの映画の中で、部屋の中にはフィギュアやアニメグッズが並んでおり、男がスマホで時間を確認しようとしたその瞬間、後ろから女性の怒声が響く。
「あんた、昨日一緒にいた女、誰なの?」
男が言い訳しようとするが、女性の声が容赦なく追い打ちをかける。画面の中で繰り広げられる家族の争いに、俺は再び映画に引き込まれた。けれど、相変わらず感情は揺さぶられなかった。周りの観客は怒りや不快感を露わにしているが、俺はただ静かに見つめていた。ポップコーンを食べても、何も感じなかった。淡々とした味が口の中で広がるだけだ。
そして、その瞬間、俺は気がついた。映画の中に入り込んでいる。これも何度か経験している現象だ。主人公の感情が高ぶると、俺はその映画の主人公になってしまう。
「またこれかよ…」と心の中で呟くが、冷静さを取り戻そうと必死に瞑想を始めた。呼吸を整え、心を落ち着けようとする。何度か深呼吸を繰り返すと、現実の感覚が戻ってきた。しかし、映画が進むにつれて、俺は再びその映画の主人公の視点に引き込まれていった。母親が涙ながらに荷物を詰め込んでいるシーンが映し出され、やがて母親は言った。
「お父さんとは離婚するから、荷物をまとめて。」
その瞬間、俺は映画の中にいる主人公の部屋に戻っていた。慌てて瞑想を試みたが、今回は効果がなかった。何度試しても、現実には戻れなかった。
主人公はためらいながらもカバンに荷物を詰め始めた。衣服や教科書を詰め込みながら、ふと目が本棚に向かう。そこにはフィギュアやアニメグッズが並んでおり、彼の手が止まった。こんな状況でアニメグッズを持って行く必要はないと思いつつも、なぜか手が止まらない。次々と、それらをカバンに詰め込んでいく自分がいる。
その瞬間、俺は気づいた。涙が溢れ出していた。
「そりゃねえだろ…」
思わず呟いたその言葉。映画の中の出来事なのに、なぜか自分のことのように感じてしまう。涙が止まらなかった。こんなことで泣くなんて、何かがおかしい。映画の中でこんなに感情が揺さぶられるなんて、全く予想していなかった。
そして、気づけば劇場内に戻っていた。映画のエンドロールが流れ、無言のまま観客たちも立ち上がり、席を立つ。しかし、今日は何かが違った。いつも通りに映画を観ていたつもりが、今日は初めて感情が揺さぶられた。
家に戻ると、両親の離婚が決まったと告げられた。母親が親権を取り、父親は養育費を払うことになった。俺は母親について行くことを決めた。父親への未練はなかった。
引っ越しの前夜、俺は最後の映画を観るためにラ・ヴィ映画館へと向かった。ポップコーンを手に、いつもの席に座る。映画が始まると、今度は家族の食卓のシーンだった。父親が不意に言った。
「離婚はやめにしないか?」
母親は食器を投げつけ、激しく感情を爆発させた。突然、額に鈍い痛みを感じた。映画の中の主人公に投げつけられた皿の破片が、まるで俺に刺さったかのように感じた。その瞬間、俺ははっきりと理解した。
「あっ…これ、俺だ。」
映画の中で自分を見つめていた。その瞬間、俺は現実から逃げていたつもりだったが、ついにその現実と向き合わせられたのだ。今まで目を背けていた感情が、全て一度に押し寄せてきた。
その瞬間、映画の中の世界が現実と重なり、俺の中で何かが大きく変わった。それは、逃げられない現実との対面だった。
この作品は自分の実体験を元に、感じたことや思ったことを書きました。作品自体には多くの変更がありますが、最後に少しでも何かを感じてもらえたら嬉しいです。
関係のない話ですが、人に興味を全く持てない状態で大人にはなりたくなかったです。