表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/31

突然魔法少女? 5

「珍しいじゃないの。あなたが一人なんて……他の連中は?」 

 アイシャに笑いかけられて照れるヨハン。そしてすぐに一階の奥の資材置き場を指差した。

「昨日、西の野郎が怪我しましてね。それを島田がレベッカをだましてごまかそうとしたもんだから許大佐が切れちゃって絞られてるんですよ」 

 そう言うと苦笑して軽く両手を広げるヨハン。

「西きゅんが怪我したって……大丈夫なの?」 

 アイシャが食いつくようにヨハンを睨みつけた。西高志兵長は保安隊でも数少ない十代の隊員である。アイシャ達ブリッジクルーが弄り回し、技術部整備班の班長島田正人准尉と副班長レベッカ・シンプソン中尉が目をかけている少年兵である。特にレベッカとは非常に親密と言うより、『シンプソン中尉のペット』と呼ばれるほどで、ほとんど彼女の手足として動いている西に嫉妬する隊員も多く存在した。

「なんてことは無いんですよ。手袋使わずにアクチュエーターの冷却材を注入しようとして低温火傷しただけですから。でもまあ、たまにはああいう風に姐御にシメてもらったほうが……ってそれに書くんですか?さっきのアンケート」 

 そう言うと誠の手からアンケート用紙を奪い取るヨハン。

「姐御がからんでるとなると半日は説教が続くだろうな。じゃあ、ヨハン。そいつを頼んだぞ」 

 要の言葉に空で頷きながら用紙を見つめるヨハン。その顔には苦笑いが浮かんでいた。その隣で頷くカウラ。アイシャはぐるりとカウラの周りを回ってヨハンのふくよかな胴体を見て大きくため息をついた。その視線がカウラの平坦な胸を見つめていたことに誠はすぐに気づいた。

「アイシャ。私の胸が無いのがそんなに珍しいのか?」 

 こぶしを握り締めながらカウラの鋭い視線がアイシャを射抜く。

「誰もそんなこと言ってないわよ。レベッカが仕事の邪魔になるほど胸があるのにカウラ・ベルガー大尉殿のアンダーとトップの差が……」 

 そこまで言ったアイシャの口を押さえつける要。

「下らねえこと言ってないでいくぞ!」 

 そう言うと要はヨハンに半分近くのアンケート用紙を渡してアイシャにヘッドロックをかける。

「わかった!わかったわよ。それじゃあ」 

 要に引きずられながら手を振るアイシャ。誠とカウラは呆れながら二人に続いて一階の資材置き場の隣の廊下を進んだ。中からは明華の罵声が切れ切れに聞こえてくる。

「島田の奴。今日はどんだけ絞られるのかな」 

 そう言いながら残ったアンケートを誠に返す要。咳き込みながらも笑顔で先頭を歩くアイシャが資材置き場の隣の警備部の部長室のドアをノックした。

「次はマリアの姐御か」 

 大きくため息をつく要。

「開いてるわよ」 

 中から良く響く女性の声が聞こえる。アイシャは静かに扉を開いた。嵯峨の隊長室よりも広く見えるのは整理された書類と整頓された備品のせいであることは四人とも知っていた。マリアは先ほどの映画制作で隊長に頭を下げられたさまを見ているだけに呆れた様子でニヤニヤ笑っているアイシャを見つめた。

「好きだなあ、お前等は」 

 そう言うとマリアは机の上の情報端末を操作する手を止めて立ち上がった。

「でもこの映画、節分にやるんですよね。姐御達は豊川八幡の節分はまた警備ですか?」 

 要が警備部のメンバーの数だけアンケート用紙を数えている。

「まあな。一応東都では五本の指に入る節分の祭りだからそれなりの事故防止が必要だろ?」 

 そう言うと要から一枚アンケート用紙を取り上げてじっと見つめているマリア。

「マリアさんなら鎧兜似合いそうなのに、残念ね」 

 アイシャのその言葉に誠は不思議そうな視線を送った。

「ああ、神前君は今年がはじめてよね。豊川神社の節分では時代行列と流鏑馬をやるのよ」 

「流鏑馬?」 

 東和は東アジア動乱の時期に大量の移民がこの地に押し寄せてきた歴史的な流れもあり、きわめて日本的な文化が残る国だった。誠もそれを知らないわけでもないが、流鏑馬と言うものを実際にこの豊川で行っていると言う話は初耳だった。

「流鏑馬自体は東和独立前後からやってたらしいんだけど、保安隊が来てからは専門家がいるから」 

 そんなカウラの言葉に誠は首をひねった。

「流鏑馬の専門家?」 

「隊長だ」 

 アンケート用紙をじっくりと眺めながらマリアが答える。

「胡州大公嵯峨家の家の芸なんだって流鏑馬は。去年は重さ40キロの鎧兜を着込んで6枚の板を初回で全部倒して大盛り上がりだったしね」 

 アイシャはそう言うとマリアの机の上の書類に目を移した。誠達はそれとなくその用紙を覗き込んだ。何本もの線が引かれた大き目の紙の脇にはカタカナで警備部の隊員の名前が記入されている。

「シフト表ですね。警備部は休むわけには行かないから大変そうですよね」 

「その大変なところに闖入してきていると言う自覚はあるならそれにふさわしい態度を取ってもらわないとな」 

 明らかに不機嫌そうなマリアの言葉に誠は情けない表情でアイシャを見つめた。タレ目の要はようやく警備部の人数分のアンケート用紙を取り上げるとマリアに手渡した。

「まったく隊長には困ったものだな。市だって『嫌だ』って言えばこんな話は持ってこないのになあ」 

 そう言いながら再びシフト表に視線を落すマリア。

「じゃあ、失礼します」 

 とっとと部屋を出て行こうとするアイシャと要を引き戻そうとするカウラ。誠はそんな女性上司のやり取りに冷や汗をかきながら扉を閉めた。

「鎧兜ですか?そんなものが神社にあるんですか?」 

 誠の言葉を白い目で見る要達。

「叔父貴の私物だよ。胡州の上流貴族の家の蔵にはそう言うものが山とあるからな」 

 そう言ってそのままブリッジクルーの待機室に向かおうという要。誠は感心するべきなのかどうか迷いながら彼女のあとをつける。

「そう言えば今度二人新人が配属になるって本当?」 

 カウラはそれとなくアイシャに声をかけてみる。だが、アイシャはどうでもいいというようにそのまま歩いていく。

「あれ?四人おそろいで何をしようって言うんですか?」 

 その声の主は保安隊の運用艦『高雄』のブリッジを模したシミュレーションマシンから出てきた技術部の火器整備班の班長キム・ジュンヒ少尉だった。保安隊二番狙撃手である彼が明らかに同情をこめた視線で誠達を見つめていた。先ほどのメールで誠の手にあるものの意味がわかっているのだろう。だがアイシャはそんなことを気にする様子もなくシミュレータの扉を開けて中を覗き込んでいる。

「エダと何やってたの?」 

 ニヤニヤと笑いながらキムを見つめるアイシャ。彼女の部下で正操舵手のエダ・ラクール少尉とキムが付き合っていることは誠も知っていた。左右を見れば要とカウラが興味津々と言うようにキムを見つめている。だが、いじられるのがあまり好きでないキムはすばやく敬礼してそのまま早足で自分の持ち場である技術部の格納庫にある小火器管理室へと去っていった。

「かわいそうになあ、明華の姐御の説教が待っているって言うのに」 

 そう言いながら要もアイシャに付き合うようにしてシミュレーションルームを覗き込んだ。

「なんだ、エダは居ねえじゃん」 

 要のその言葉に興味を失ったアイシャは隣の自分の机のある運行班の詰め所に向かおうとする。

「チョイ!」 

 そう言いながら遅れて歩き出そうとする誠の袖を引いた要。誠が振り向くとそこにはシミュレーションルームから顔を出すエダの姿があった。入り口からは陰になるコンソールにでも隠れていたらしく要を見つけると驚いたような表情を浮かべる。

「そのまま隠れてな」

 そう小声でエダに言うと要はそのままシミュレーションルームを後にした。何事も無かったように誠はアイシャ達についていった。彼女はすでにノックもせずに運行班の扉を押し開けていた。

「今のうちだ!」 

 そんな要の合図に頭を下げながら廊下を走り出したエダ。

「何しているのよ!」 

 部屋から顔を出すアイシャに愛想笑いを振りまく要。彼女は廊下で突っ立っているカウラの肩を叩きながら部屋の奥に鎮座しているリアナを見つつ部屋に入った。実働部隊の次に階級の高い将校が多いことと全員が女性と言うこともあり、かなり落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 誠は良く考えればこの部屋には二、三回しか来た事が無かった。だが一つ、部屋の奥にある大き目の机の持ち主が誰かと言うことはわかった。机の上には同人誌やフィギュアが正確な距離を保って並んでいる。その主の几帳面さと趣味に傾ける情熱が見て取れた。

 アイシャは自分の席に特に仕事になるようなものが無いことを確認する。そんなアイシャのところにニコニコといつものように笑う部隊の女性士官唯一の既婚者。鈴木リアナ中佐がやってきた。

「ご苦労様ねえ。じゃあ私も手伝うわね配るの」 

 そう言って誠の手のプリントをリアナは取り上げようとする。

「いいですよお姉さん!私達の仕事ですから!」 

 そう言ってリアナを座らせようとするアイシャ。

「そう?別にたいしたことじゃないから手伝ってあげても……」 

 残念そうに机に座ると、サラがリアナに入れたばかりの日本茶を運んでくる。

「それじゃあお茶くらい飲んで行かない?誠君達にこういうことばかりさせてるのも悪いし」 

 その言葉にサラは奥の給湯室へと消えていく。

「別に気を使わなくても……」 

 カウラはそう言いながら誠の後頭部を叩く。それがお前も同意しろと言う意味なのもわかってきた誠も手を大きく振る。

「そんな気を使わせるなんて悪いですよ。それに管理部とか配るところが結構ありますから」 

「大変ねえ。がんばってね!」 

 そう言うリアナに要がアンケート用紙を渡す。そして愛想笑いを浮かべつつリアナに頭を下げるアイシャを残して誠と要、そしてカウラは廊下へと退散した。

「じゃあ、あとは上の茜さんのところと実働部隊と管理部だけね」 

 そう言いながら意気揚々と階段を上がるアイシャ。

「そう言えばよう。この階段上がるの久しぶりだな」 

 要がそんなことを口にした。日中とはいえ電気の消された北側の階段には人の気配も無く、初冬の風が冷たく流れている。

「私は時々上るぞ。まあ確かに出勤の時は直接ハンガーに顔を出すのが習慣になっているからな、私達は」 

 カウラも頷きながらひやりとするような空気が流れる寒色系に染められた階段を上る。彼女達の言うように、誠もこの階段を上ることはほとんど無かった。上がればすぐ更衣室であり、本来ならそれなりに使うはずの階段だった。この階段の前の正面玄関のそばにカウラのスポーツカーが毎朝止まるのだから、それで通う誠と要、そしてカウラとアイシャにとって駐車場から更衣室にはこちらを使う方がはるかに近道だった。

「まあ、それだけ整備の人達とのコミュニケーションが取れているから良いんじゃないの?そう言えば私も誠ちゃんの家にお世話になるようになってからだわね、整備のメンバーの顔と名前が一致するようになったの」 

「神前の家じゃねえだろ!ありゃ元は保安隊の男子寮だ」 

 アイシャは要の突っ込みを無視しながら階段を上りきり、踊り場の前に張られたポスターを見る。

『ストップ!喫煙!ニコチンがあなたの心臓を!』 

 そう書かれたポスターとその隣の扉。じっとアイシャが要を見たのは要のヘビースモーカー振りを非難してのことなのだろう。要はまるっきり無視すると言う構えで誠のうち腿に軽く蹴りを入れる振りをしている。

「そう言えばドクターのってあるの?」 

 アイシャはそう言いながら後に続いてきた要と誠の顔を見つめる。

 保安隊付きの医務官。ドム・ヘン・タン大尉。小柄で気さくな軍医だが、健康優良児ぞろいの保安隊では健康診断の時にしか活躍しないと思われていた。

「あるんじゃないですか?それに今朝会いましたよ、男子トイレで。もしはぶられたら怒るでしょうから……」 

 誠のその言葉に不思議そうな顔をする要。そのままノックもせずに扉を開いた誠はぼんやりと天井を見上げているドムを見つめることになった。

「おう、先生。元気か?」 

 要の声でようやく状況をつかめたと言うような表情を浮かべて手にしていた競馬雑誌をデスクに置くドム。

「お前等も大変だねえ……さっき吉田から連絡があった奴か……うちに電話して決めてもらうよ」 

 そう言いながら誠からアンケート用紙を受け取る。

「でも本当にこれでいいのか?」 

 ドムはシンやマリアほどではないが常識人である。一応所帯持ちなのでそれなりの体面もある。

「そう言えば先生の家って娘さんが……」 

「違う。息子が二人だ」 

 アイシャの言葉をさえぎるように言うドム。その視線はアンケート用紙と誠を行ったり来たりしていた。

「まあいいや、どうせ次があるんだろ?早く行けよ」 

 そう言って再び競馬情報誌を手に取るドム。追い出されるようにして誠達は男女の更衣室が並ぶ廊下へと放り出された。

「相変わらず愛想のねえオヤジだな」 

 要はそう言うと何度かドアを蹴る真似をする。

「たぶん次のレースの締め切りが近いんじゃないのか?」 

 そんなことを口にしたカウラをアイシャと要が驚愕の目で見つめる。無趣味で知られて仕事以外の知識は無い。そう言う風にカウラを見ていた道楽組みのアイシャと要だがドムの無類のギャンブル好きを知っていることに目を見開く。その驚いた顔が面白くて誠は微笑みながら言葉を継いだ。

「そう言えばこの前二人で日野競馬場に行ったんですよね」 

 誠がカウラに向けてはなったこの言葉が、要の手を操るようにして誠にチョークスリーパーをかけさせた。

「おい、先週の話か?先週だな?実家に戻るって話しは嘘だったんだな?しかもこいつと競馬場デートか?おき楽なもんだな……」

 ぎりぎりと締め上げる要。誠は息もできずにただばたばたと手を振り回すばかり。 

「止めなさいよ!」 

 頚動脈の締め付けられる感覚で気を失いかけていた誠をアイシャが要から引き離した。

「それで、二人で何をしていたわけ?」 

 膝をついて呼吸を整えようとする誠に顔を近づけて詰問するアイシャ。

「カウラさんが競馬を見たいと言うから行っただけの話ですよ」 

 息を切らしながら答える誠。カウラも大きく頷いている。

「シャムが乗馬が楽しいと言うからな。それに節分の時代行列でまた馬が乗れるお前達に大きな顔をされたくないからな」

 そう言うカウラだが、アイシャと要は信用するそぶりも無く頭を横に振る。

「日野って行ったらホテル街で有名だよなあ。その後テメエが『ラブホテルの中が見たい』とか言い出したりしてるんじゃねえのか?」 

 そう言って特徴のあるタレ目でカウラを見つめる要だが、カウラは要の言いたいことがわからないというように首をひねっていた。

「まあいいわよ。それよりあれはなあに?」 

 アイシャはそう言うとまっすぐハンガーへと続く長い廊下の途中にある巨大な茶色い塊を指差した。時々ひょこひょこと動きながらゆっくりと実働部隊の詰め所に向かっている巨大な猛獣。

「アイシャ。現実を認めろ。あれはグレゴリウス13世だ」 

 要がアイシャの肩に手を置いて慰める。グレゴリウス13世と言うすさまじい名前を持つコンロンオオヒグマの子供がこの保安隊に住み着くようになってからもう二ヶ月が経っていた。

 シャムの遼南内戦の時の相棒であるコンロンオオヒグマの熊太郎と言う雌熊は、遼南人民軍のマスコットとして人民英雄章を受けた名熊である。その息子のこの熊グレゴリウス13世は、シャムが自然に帰った熊太郎から未熟で野生では生きていけないという熊太郎の判断で預けられた小熊だった。小熊と言ってもコンロンオオヒグマは地球の熊の比ではなく大きいもので10メートルを超えるものもいると言う熊である。グレゴリウス13世もまた、生まれて2歳くらいと言う話だがすでに体長は3メートルを軽く超えていた。

「でも誰だよ。あれにグレゴリウス13世なんていかつい名前をつけたのは……」 

 そう言って笑う要の頭が軽く小突かれた。

「んだよ!」 

「何?俺のネーミングセンスに文句があるの?」 

 要が振り向いたところにいたのは嵯峨だった。グレゴリウス13世の母の熊太郎と言うネーミングも、オスかメスかを確かめないで嵯峨がつけたのは有名な話だった。だが強気な要は不機嫌そうな様子の嵯峨を見てもひるむどころか逆に皮肉めいた笑みを浮かべて睨み返した。

「いや、叔父貴を見てると茜や楓が普通の名前でよかったなあと思うけど……エリーゼさんがつけたのか?」 

「ああ、そうだ……俺のセンスについちゃあ自信がないからな。何とでも言えよ」 

 死んだ妻の名前を告げられて口をへの字に曲げた嵯峨はそう言うとそのまま隊長室に消えていく。そのドアの音を聞いてグレゴリウス13世とその継母であるシャムが誠達の存在に気がついたと言うように駆け足で近づいてきた。

「みんな!元気してた!」 

 さっき分かれたばかりだと言うのに元気にアイシャとハイタッチをするシャム。なぜか猫のような長い尻尾を制服のタイトスカートからはやしているわけだが、いつものことなので誰一人突っ込まない。

「元気って……さっき別れたばかりだろうが!」 

 そう言ってそのままシャムの頭を抱えようとした要にグレゴリウス13世が体当たりをかました。

 要の130kg以上ある軍用の義体も相手が巨大なひぐまとなればひとたまりも無く、顔面から保安隊に間借りしている遼州同盟機構司法局法術特捜隊の壁に激突する。

「なにをしていらっしゃるの!?」 

 そう言いながら顔を出したのは保安隊隊長嵯峨惟基の娘であり、法術特捜主席捜査官の嵯峨茜警視正だった。

「ああ、アンケートを配りに来たんだけど」 

 そう言って倒れている要から二枚のアンケート用紙を奪い取って渡すアイシャ。それを受け取った茜はそのまま倒れこんでいる要を無視して要がぶつかった壁を丹念に点検した。

「それにしてもこの二枚の紙を渡すために壁にひびを入れるとは……経済観念と言うものが無いのかしらね、要さんには」 

 そう言って口に手を添えて笑う茜。その独特のポーズに誠の目が集中する。だが、すぐにいぶかしむような茜の目が突き刺さり誠は頭を掻いた。

「何ですの?神前曹長。私の顔に何かついていて?」 

「いやあ、口にそう言う風に手を添えて笑うお嬢様をはじめて見たもので……」 

 その一言に凍りつく茜。

「ああ、そうね。私もはじめて見たわ……要!いい加減に起きなさいよ!」 

 そう言って転がっている要を蹴るアイシャ。

「……っテメエ等!」 

 要がすばやくアイシャの足を取ろうとするが、すばやくアイシャはその手をかわす。

「じゃあそこの壁の修理に関する書類は実働部隊で作ってシン大尉に出しておいてくださいませね」 

 そう言って扉を閉める茜。

「ああ、どうすんのよ。これ」 

 そう言って壁に入ったひびを撫でてみせるアイシャ。

「大丈夫ですか?」 

 誠はようやく立ち上がった要に手を寄せる。だが、元々格闘戦を前提に製造された体の持ち主である要にダメージがあるはずも無かった。要のにらみつけた先では、継母であるシャムを守って見せたと得意げに彼女に甘えた声ですり寄るだすグレゴリウス13世がいる。

「オメエ等……!」 

 そう言ってシャム達に襲い掛かろうとする要。今度は不意を打てないと踏んだグレゴリウス13世とシャムはそのまま廊下を駆け抜け、実働部隊の詰め所に飛び込んだ。彼女達を追って要が部屋に飛び込む。

 呆然とその有様を見つめていた誠とアイシャとカウラの耳にすぐさま二代目実働部隊隊長に就任予定のクバルカ・ラン中佐の怒鳴り声が響いてきた。

「神前!……来い!」 

 ランの怒鳴り声にカウラも責任を感じたように誠を呼びつける。誠も走り出す彼女にしたがって実働部隊の詰め所に飛び込んだ。そして目の前にある黒い塊を仁王立ちしている小さなランが睨みつけている様が二人の目に飛び込んできた。

「オメー等!馬鹿だろ!ここは幼稚園でも遊園地でもねーんだってのがわかんねーのか?追いかけっこが好きなら東都警察の警邏隊に行け!すぐ転属願いの書類を作れ!作り方教えてやるから!」 

 グレゴリウス13世の首輪をマウントポジションで締め上げている要、それを振りほどこうと要の背中にしがみついているシャムの二人がランを悲しげな瞳で見つめる。元々睨んでいるような目が特徴のランが明らかに怒気を放つ気配を撒き散らしながら怒鳴りつける様を見ると彼女の見た目が年端も行かない少女であっても圧倒されるような迫力があった。

「なんじゃ?ワレ等もおったんかい」 

 その様子を眺めているだけの、明石清海あかしきよみ中佐が大判焼きを頬張っている。彼はまもなく部外者になると言うこともあって気楽そうにニヤニヤと笑っている。

「クバルカ中佐。こいつ等に学習能力が無いのはわかってることじゃないですか?」 

 そう言いながらこれも保安隊のあるこの豊川八幡宮前のちょっと知られた大判焼きの店『松や』の袋を抱えながら言ったのは吉田だった。傍観を決め込む隊員達の姿を見て立ち上がる姿もあった。

「要お姉さま!やめた方が良いですよ」 

 そう言いながらこちらも大判焼きを飲み込んだのは嵯峨楓少佐だった。あまりのランの剣幕に口をつぐんで楓の袖を引いているのは楓の部下の渡辺かなめ大尉。

「あーあ。何やってんの」 

 のんびりと歩いてきたアイシャがこの惨状を見てつぶやいた。

「モノが壊れてないだけましじゃないですか?こいつ等の起こすことでいちいち目くじら立ててたら身が持ちませんよ」 

 他人事のようにそう言った吉田につかつかと歩み寄るラン。誠はどう見ても小柄というよりも幼く見えるランの怒った姿に萌えていた。

「おー、言うじゃねーか!だいたいだな、オメーがこいつを甘やかしているからこんなことになるんだろ?違うか?おい」 

 椅子に座っている吉田はそれほど身長は高くは無いが、それでも1メートル20センチ強と言う小柄なランである。どうしてもその姿は見上げるような格好になった。

「俺は甘やかしてるつもりは無いですがね。それに俺はシャムの保護者じゃないし。それを言うなら相手はタコでしょ?一応現在の上司と言うことで」 

 そう言うと吉田は明石の方を指差した。

「ワシ?」 

 そう言って磨き上げられた坊主頭を叩く明石。だが、さすがに前任の副長である明石を怒鳴りつけるわけには行かないと言うように大きく深呼吸をして気を静めるラン。

「あ!僕の大判焼きが!」 

 突然の叫び声に一同はギリギリとグレゴリウス13世の首を締め上げている要の向こうの小柄な少年兵に目をやった。保安隊の十代の隊員の二人目、アン・ナン・パク。そしてそこにはいつの間にか要とグレゴリウス13世とのレスリングから抜け出していたシャムがムシャムシャと大判焼きを食べている。涙目で要達を見つめるアン。さすがにそれを見て要はグレゴリウス13世の首輪から手を離して何もしていないと言うように両手を広げておどけて見せる。

「お……お……オメー……!」 

 下を向いて怒りを抑えているラン。その姿を見て後ずさる誠の袖を引くものがいた。

「今のうちに隣の管理部に配ってきちゃいましょうよ」 

 こう言う馬鹿騒ぎに慣れているアイシャの手には嵯峨の作ったアンケート用紙が握られていた。

「じゃあ後できますね」 

「おう、その方がええじゃろ」 

 二人に手を振る明石を置いて、誠とアイシャは廊下に出てすばやく隣の管理部の扉を開けた。

 カオスに犯された実働部隊の詰め所から、秩序の支配する管理部の部屋へと移って誠は大きくため息をついた。

「ああ、神前か。隣は相変わらず見たいだな」 

 そう言って笑うのは管理部部長アブドゥール・シャー・シン大尉だった。目の前の書類に次々とサインをしていく彼の前には、明らかに敵意を持って誠を見つめる菰田邦弘主計曹長が立っていた。

 誠はこの菰田と言う先輩が苦手だった。第二小隊隊長カウラ・ベルガー大尉には、菰田達信者曰くすばらしい萌え属性があった。

 胸が無い。ペッタン娘。洗濯板。

 要はほぼ一日にこの三つの言葉をカウラに浴びせかけるのを日常としていた。だが、そんなカウラに萌える貧乳属性の男性部隊員を纏め上げた宗教を拓いた開祖がいた。

 それが菰田邦弘曹長である。彼と彼の宗教『ヒンヌー教』の信者達はひそかに隠し撮りしたカウラの着替え写真や、夏服の明らかにふくらみの不足したワイシャツ姿などの写真を交流すると言うほとんど犯罪と言える行動さえ厭わない勇者の集う集団で、誠から見て明らかに危ない存在だった。

 しかも、現在カウラは誠の護衛と言う名目で誠の住む下士官寮に暮らしている。誠がその特殊な能力ゆえに誘拐されかかる事件が二回もあったことに彼女が責任を感じたことが原因だが、菰田はその男子寮の副寮長を勤める立場にあった。誠の日常は常にこの変態先輩の監視下に置かれていた。

「なんだ、神前か。またくだらない……」 

 誠を嘲笑するような調子で言葉を切り出そうとした菰田の頬にアイシャの平手打ちが飛んだ。

 誠の護衛は一人ではなく、アイシャと要も同じく下士官寮の住人となっていた。菰田達の求道という名の変態行為への制裁はいつものことなのでシンも誠も、管理部の女性隊員も別に気にすることも無くそれぞれの仕事に専念していた。そのような変態的なフェチズムをカミングアウトしている菰田達が女性隊員から忌み嫌われているのは当然と言えた。

 いくらアイシャは女性の保安隊の隊員ではもっとも萌えに造詣の深いオタクとはいえ、目の前にそんな変態がいることを看過するわけも無かった。しかも菰田は自分のペットと認識している誠に敵意を持っている。戦闘用の人造兵士の本能がそんな敵に容赦するべきでないと告げているようにアイシャの攻撃は情けを知らないものと化していく。

「あんた、いい加減誠ちゃんいじめるのやめなさいよ。それと……」 

 そう言うとアイシャは口を菰田の耳に近づけて何かを囁いた。菰田はその声に驚いたような表情をすると今度はアイシャに何か手で合図をする。それにアイシャが首を振ると今度は手を合わせて拝み始めた。二人の間にどんな密約が結ばれたのか定かではないがそれまで敵意をむき出しにしていた菰田がにやりと笑って恍惚の表情に変わるのを誠はただいぶかしげに見つめていた。

 そして誠と同じように二人のやり取りに呆れているこの部屋の主が口を開いた。

「おい、その紙を配りに来たんだろ?人数分俺が預かるから隣の騒ぎを止めてきてくれよ」 

 管理部部長の肩書きのシンが誠に手を伸ばす。誠は用紙をシンに渡すと部屋を見回した。

「そう言えばスミスさん達はもう出たんですか?」 

 保安隊の実働部隊。アサルト・モジュールと言う名のロボット兵器での戦闘を主任務とする部隊は第四小隊まで存在した。

 第一小隊はちっこい姐御ことクバルカ・ラン中佐と壊れた電卓と陰口を叩かれている吉田俊平少佐、そしてちっこくて馬鹿な農業コスプレ少女ことナンバルゲニア・シャムラード中尉で構成されている。

 誠が所属する第二小隊は小隊長がカウラ、そして要と誠が小隊員だった。

 第三小隊は要に虐げられることを願って止まない嵯峨楓少佐が隊長を勤め、その愛人と呼ばれる渡辺かなめ大尉と以前女性隊員がアイシャの扇動で行った部隊の美少年コンテスト一位に輝いたアン・ナン・パク軍曹がいた。

 そしてもう一つの小隊。隊内では『外様小隊』と呼ばれるロナルド・J・スミス特務大尉の部隊があった。彼らは現役のアメリカ海軍の軍人であり、『技術支援』の名目で隊に所属しているが、支援とは名ばかりであり、事実上小規模アサルト・モジュール部隊による強襲作戦を得意とする保安隊隊長嵯峨惟基特務大佐の戦術の吸収がその主任務だった。

 そんな彼らは今は長期休暇中。隊員のスケジュール管理も引き受けているシンが彼らからの定時報告の窓口になっていた。

「ああ、このままクリスマス休暇明けまで戻ってこないって話だぞ。まあおかげでお前等は正月ゆっくり休めるわけだろうけどな。新暦の正月は彼らが待機任務を引き受ける予定だからな」 

 シンはそう言って笑う。敬虔なイスラム教徒で『保安隊の良心』と呼ばれる彼が今年度でこの保安隊を去ることを思い出して誠は複雑な思いで敬礼した。

「まあしばらく俺もまとめておきたい資料とかあるから4月半ばまでは東和にいるんだ。その間にいろいろ神前曹長には教えておきたいこともあるしな」 

 法術と言う新たな人類の可能性が公にされた今の世界で、その一つ炎熱系空間干渉のスペシャリストであるシンの言葉に誠は心強く思った。そして同時にまた何かがぶつかる音が隣の実働部隊詰め所から聞こえてきた。

「ああ、それじゃあ隣の騒動止めに行かないといけないんで!」 

 菰田との交渉が成立したアイシャは立ち上がると誠の手を引いて管理部の部屋を出た。

 廊下に出たアイシャと誠の前にぼんやりとたたずむのはグレゴリウス13世だった。そのしょんぼりとした瞳がアイシャと誠に注がれる。

「わう」 

 悲しげにつぶやくグレゴリウス13世の後頭部に延髄切りが叩き込まれた。驚いて振り返るグレゴリウス13世だが、明らかにランからしつけられていて好戦的な表情の要を見ても黙ってうなだれている。

「誰のせいだ?え?」 

 誠はグレゴリウス13世の後ろを覗き込むと、水のなみなみと入れられたバケツを両手に持っている要がいた。

「なに、要ちゃんすごく古典的な罰ゲームね」 

 そう言いながら要を携帯端末で撮影しようとしたアイシャの顔面に要の蹴りが炸裂する。

「おい、写真撮ったら殺すからな!」 

 いつものタレ目が殺意を帯びていることに気づき、誠は愛想笑いを浮かべながら詰め所の扉を開く。

「おう!ご苦労さん」 

 明石はそう言いながら二人を迎えた。ひしゃげた椅子が一つ、その隣には折れた竹刀が放置されている。

「ランちゃんまたやったの?」 

「おい、アイシャ。上官にちゃん付けか?」 

 ロナルドの不在を良い事に彼の席を占領して端末を叩いていたランが視線をアイシャに向ける。

「いえいえ、中佐殿の判断は実に的確であります」 

 完全に舐めきった口調でランをからかうアイシャだがランはそうやすやすと乗るわけも無く、すぐに視線を端末の画面に移した。

「楽しみだね!どれに決まるか!」 

 ニコニコ笑いながら吉田の向かいの席に座ってアンケート用紙の裏に漫画を書いているシャム。見た目はランより少し年上、中身は中学生と言うシャムだが書いている戦隊ヒーローの絵は躍動感のある見事なものだった。

「俺はどれでもいいよ。でもさあ、誰が脚本書く……アイシャか?」 

 足を机の上に投げ出してぼんやりと天井を眺めていた吉田の視線がアイシャに向かう。明らかにアイシャは自分が書くんだ!と言うように胸をはっていた。

「僕は出ないぞ」

 ぼそりとつぶやくのは楓だった。 

「えー!楓ちゃんが出てくれないと困っちゃうじゃない」 

 第三小隊の机の一群でポツリとつぶやいた楓にアイシャがすがり付いていく。自分が女であるにもかかわらず『フェミニスト』を公言している楓。アイシャに身体を擦り付けられると顔を赤らめて下を向いてしまう。

「困るもなにもこれは職務とは関係が無いじゃないか!」 

「それはちゃうやろ?」 

 そう言ったのは黙って静観を決め込んでいた明石だった。こういうことには口を出さないだろうと言う上官の一言に楓が顔を上げて明石を見る。

「何も暴れることだけがウチ等の仕事やないで。日ごろお世話になっとる町の方々に感謝してみせる。これも重要な任務や」 

「そうそう、それもお仕事なんだよー」 

 風船ガムを膨らませながら投げやりに言葉を継いだ吉田。

「ですが、僕は……」 

「大丈夫!どのシリーズでも私が楓ちゃんのかっこよく見える見せ場を作ってあげるから。そしたら要ちゃんも喜ぶわよ!」 

「喜ばねえよ!」 

 半開きの扉から顔を出す要。だが次の瞬間にはその額にランの投げたボールペンがぶつかった。

「立たされ坊主はそのまま立ってろ」 

 しぶしぶ要は顔を引っ込めて、足で器用に扉を閉めた。だが一人晴れやかな顔でまとわり付くアイシャの身体をがっちりと握り締めている楓だけが晴れやかな表情で何も無い中空を見つめていた。

「お姉さま!要お姉さま!僕はやりますよ!お姉さま!」 

 まず誠が、続いてラン、カウラ、明石、吉田。次々と恍惚の表情を浮かべる楓に気づく。

「大丈夫か?正親町三条?」 

「楓様……」 

 家督相続前の苗字を呼んでみる明石。心配そうに見上げるかなめ。

「やります!なんでも!はい!」 

 楓はそう言うとアイシャを抱擁した。

「あ!えー!ちょっと!離してってば!」 

 抱きしめられて顔を寄せてくる楓を避けながらアイシャが叫ぶが、彼女を助ける趣味人は部隊にいないことを誠は知っていたので黙ってそのまま押し倒されそうになるアイシャに心で手を合わせていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ