突然魔法少女? 1
一頭の葦毛の馬が疾走していた。背には大鎧を着込んだ平安武将のような兵が一人。手には弓と二本の矢を握る。間合いを計って矢を番え、引き絞られた弓。それも一瞬、番えた矢は放たれる。一の矢が木の板をすぐさま二の矢が放たれすぐ隣の板を貫く。馬上の武者はすぐ背の打保から矢を二本取る。集まった観衆の前に気を良くした武者はさらにしばらくおいた二つの板をみごとに矢で貫いてみせた。
神社の奥の広場までたどり着いた馬上の武者は速度を緩め、境内に集まった観客がどっと沸くのに手を振って見せる。
「ああ、本当に隊長は何でもできるんですね」
鎌倉時代の徒歩侍を思わせる胴丸を着込み、頭には鳥烏帽子。手には薙刀を持たされている遼州保安隊実働部隊第二小隊三番機パイロットの神前誠曹長は観客に見送られて本殿の裏へと馬を進ませる保安隊隊長、嵯峨惟基特務大佐を見送った。
誠も同僚達も遠い昔の鎧兜の姿で警備の警察官などが観衆を見回るのをぼんやりと眺めていた。それが24世紀の地球を遠く離れた殖民惑星での光景だなどとは思いもつかない。
「ああ、流鏑馬は嵯峨家の家芸だからな。ああ見えて茜や楓も同じことが出来るんだぜ」
そう言って笑うのは紺糸縅の大鎧に大きな鍬形のついた兜の女武者。平安武将を思わせる姿の遼州保安隊実働部隊第二小隊の二番機担当、西園寺要大尉だった。
「しかし……」
「なんだよ……てあれか?オメエが気にしているのは」
タレ目の要の目じりがさらに下がる。
その視線の先には桜色の紐でつづられた盾が目立つ大鎧に鉢巻を巻いたエメラルドグリーンの髪をなびかせている第二小隊隊長、カウラ・ベルガー大尉が椅子に座って麦茶を飲んでいた。すぐに要は優越感に浸りきったような表情でカウラに向かって歩み寄っていく。
「そんな格好で馬にも乗らずに時代祭りの行列。もう少し空気読めよ」
誠の所属する遼州同盟の司法局特別機動部隊の保安隊は、豊川神社の節分の時代行列に狩りだされていた。士官は基本的には馬に乗り、嵯峨の家の蔵にあるという色とりどりの大鎧を着こんで源平合戦を絵巻を演出していた。伝統を重んじる外惑星のコロニー国家の胡州帝国出身組の嵯峨や要にとっては乗馬など余技に過ぎないものだが、カウラ達東和出身組みには乗馬は難関であった。
「でも、本当にカウラちゃんは馬と相性が悪いわね」
そう言って近づいてきたのは保安隊運用艦、『高雄』の副長、アイシャ・クラウゼ少佐だった。しかし、彼女の鎧姿には他の隊員のそれとは違って明らかに違和感があった。要はアイシャの頭の先からつま先までに視線を走らせた後大きなため息をついた。
平安・鎌倉時代の武将を髣髴とさせる大鎧や胴巻き、鳥烏帽子を着込んだ隊員たちの中、一人で戦国末期の当世具足に十文字槍という姿は明らかに違和感があった。さらにその桃成兜の前面にはトンボを模した細工が際立って見えているのがさらに場の空気とは隔絶したものに誠からも見える。
そんな格好をアイシャがしている理由はわかっていた。アイシャにそう言う知識が無いわけがない。誠は年末のコミケで彼女が原作を書いた源平絵巻物のBL漫画の絵を描かされていたのでよくわかっていた。自分の作品となれば小道具や歴史監修にすさまじいこだわりを見せるアイシャである。絵を描けと言われて教えられた平安武具のサイトの緻密なこだわりで頭がとろけそうになったことも今の格好がわざとであることを証明していた。
「おめえ、ちっとは空気読めよ。それにあちらの人達に誤解を与えるじゃねえか」
そう言って要が指を差すのは大鎧姿でお互い写真を取り合う第四小隊組み、ロナルド・J・スミス大尉、ジョージ岡部中尉、フェデロ・マルケス中尉の三人を指差した。米軍からの出向の彼等はまるで子供のようにカメラを構える東和陸軍と共通の保安隊の勤務服を着たレベッカ・シンプソン中尉と胴丸姿の西高志伍長の前で刀を抜いてポーズを決めている。
「いいじゃないの、私の趣味よ」
そう言って鎧をガチャガチャとゆすらせながら誠に近づくアイシャ。
「ジャンジャジャーン!」
そう叫び声を上げて急に誠に抱きついてきたのは同じく大鎧に兜を被った第一小隊三番機担当のナンバルゲニア・シャムラード中尉だった。一見小学生に見える小柄なシャムだが重いよろいを着た誠にはさすがに堪える。
「あのー!重いんですけど」
誠は鎧姿で抱きついてきたシャムを押しのけようとするが、20kgはあろうかと言う鎧の重さについよろめいた。
「ここにいたのか」
二人がじゃれ付いているのを眺めながら黒糸縅の渋い大鎧を着込んだ美しい面差しの女性士官が現れる。嵯峨惟基隊長の双子の娘の妹、実働部隊第三小隊隊長嵯峨楓少佐である。そして当然のように付き従うのは彼女の愛人と噂になっている渡辺かなめ大尉。こちらは桜色の大鎧に烏帽子姿で楓に従ってくる。
「やはり似合いますね、要お姉さま」
そう言って楓は自然な風を装い要に手を伸ばそうとするが、要は逃げるように思い切り後ろに身を引いた。その姿を確認する楓の頬が赤く染まる。幼少のみぎり、要に散々いじられているうちにそれを愛と勘違いして一途に要を思い続けている楓。二人の関係は明らかに泳いでいる目をしている要と濡れた瞳でしつこく要の姿を嘗め回すように眺める楓を見ればすぐに想像がつく。周りでささやきながら要と楓を見比べている観光客を見ながら誠は大きくため息をつく。
「向こう行けよ。アタシはもうすぐ着替えるんだから……」
誘惑するような楓の視線から逃げようとする要だが、楓はあきらめようとはしない。
「それなら僕がお手伝いしますよ」
そう言って楓は要の後ろについていこうとする。
「だあ!オメエは誠の着替えでも手伝ってやれ。それにシャムとかカウラとか鎧の脱ぎ方もわからねえだろうから教えてやれ」
そう言うと一気に人ごみに飛び込んでしまう要。ガチャガチャと響く鎧の擦れる音だけが残される。
「神前君」
要にかけられた素直な言葉の色と誠に向かう氷のように冷たい言葉の温度に、いつものことながら誠は冷や汗を流した。明らかに敵意に満ちた楓の冷たい視線に誠は諦めだけを感じていた。
「はい!なんでしょう!」
こういう人種にはなぜかすぐに目をつけられる。誠は自分の不運を呪った。
「君は道場の跡取りだと聞いたからベルガー大尉とクラウゼ少佐の着替えを手伝ってやってくれ。僕はあの観光客気分の連中を何とかする」
そう言ってじゃれあうロナルド達に向かっていく楓。ため息をついてカウラとアイシャの顔を見る。誠は楓がどうも苦手だった。一部の整備員に「僕っ娘萌え」として人気のある彼女だが、要に苛められることに喜びを見出すと言う楓。要のサディスティックな好意と自称しての酒の強要や鉄建制裁がひたすら注がれている誠は完全に目をつけられていた。時々彼女の視線に殺気が混じっていることもあるくらいだった。
しかし、さすがに東都西部を代表する地球系住民の移住とともに立てられた格式を誇る豊川八幡宮の節分、観光客に囲まれれば他人の目もあることもあって楓は何もせずに抱きつこうとするフェデロを投げ飛ばし、そのままロナルド組を連れて運営本部に向かった。
「よかったわね、なにも起きなくて」
そう言うとアイシャはカウラの肩を叩く。カウラも気付いたように太刀を抜いたり差したりして遊んでいるシャムを取り押さえる。
「ちゃんと着替えましょうね」
微笑みながらアイシャはそう言うとシャムもようやく諦めたように舌を出してカウラについて時代行列を支える裏方達の群れる境内の裏手の広場に足を向けた。
そこには仮装をしない裏方役の技術部の整備担当の面々や管理部門の女性下士官達が行列を終えて帰ってきた隊員の着ている鎧が壊れていないかチェックしたりすでに着替えを終えた隊員に甘酒振舞ったりと忙しい様子を見せていた。
「アイシャさん!」
そんな忙しく立ち働く面々の中からそう言って技術部整備班班長島田正人准尉と運用艦ブリッジクルーのサラ・グリファン少尉が駆け寄ってくる。二人ともすでに東和陸軍と同じ深い緑色の勤務服に着替えていた。
「早く着替えた方がいいですよ。何でもあと一時間で豆を撒きにきたタレントさんが到着して場所が取れなくなるみたいですから」
そう言うと島田はきょろきょろと人ごみを見回す。
「そう言えばクバルカ中佐、見ませんでした?」
島田の言葉にアイシャもカウラも、誠ですら首を横に振った。保安隊の主力人型兵器『アサルト・モジュール』を運用する実働部隊の最高任者で保安隊の副長でもあるクバルカ・ラン中佐。重鎮の行方不明に島田は焦ったように周りを見回していた。
「なんかあのジャリがいねえと困ることでもあるのか?」
にやけている要がランを『ジャリ』と呼ぶのにカウラは難しい顔をして要をにらみつける。そのとなりで立ち働く隊員に挨拶しているシャムも十分子供にしか見えないが、ランはどう見ても小学生にしか見えない。この雑踏に鎧兜姿の小さい子が歩き回っているシュールな光景を想像して誠は噴出しそうになる。
「いやあ、祭りの場には野暮なのはわかっているんですが……進藤が急ぎの決済の必要な書類をここまで持ってきてしまいましてね。それでなんとか見てもらえないかなあと……」
島田の言葉に要は大きなため息をつく。
「仕事が優先だ。神前曹長、探すぞ」
そう言うとサラに兜を持たせて歩き出すカウラ。仕方がないというようにアイシャも島田に兜を持たせる。
「私の勘だと……あの椿の生垣の後ろじゃないかしら?」
明らかにいい加減にアイシャが御神木の後ろの見事に赤い花を咲かせている椿の生垣を指差した。
誠は仕方なく生垣に目をやる。その視界に入ったのは中学生位の少年だった。誠達はそのまま早足で生垣を迂回して木々の茂る森に足を踏み入れる。そこには見覚えのある中学校の学ランのを着た少年達が数名こそこそと内緒話をしているのが目に入った。
「ああ、西園寺さん達はそのまま着替えていてください。僕がなんとかしますから」
そうカウラ達に言うと誠は少年達の後をつけた。
常緑樹の森の中を進む少年達。誠は彼のつけている校章から保安隊のたまり場であるお好み焼きの店『あまさき屋』の看板娘、家村小夏の同級生であるとあたりをつけた。
「遅いぞ!宮崎伍長!ちゃんと買ってきただろうな!」
そう言って少年を叱りつけたのは確かに小夏である。そして隣にメガネをかけた同級生らしい少女と太った男子生徒。そしてその中央にどっかと折りたたみ椅子に腰掛けているのは他でもない、緋色の大鎧に派手な鍬形の兜を被ったランだった。
「クバルカ中佐!何やってるんですか?」
声をかけられてしばらくランは呆然と誠を見ていた。しかし、その顔色は次第に赤みを増し、そして誠の手が届くところまで来た頃には思わず手で顔を覆うようになっていた。
「おい!」
そう言うと130センチに満たない身長に似合わない力で誠の首を締め上げた。
「いいか、ここでの事を誰かに話してみろ。この首ねじ切るからな!」
そう言うランに誠は頷くしかなかった。
「それと小夏!あの写真は誰にも見せるんじゃねーぞ!」
「わかりました中佐殿!」
そう言って敬礼する小夏。彼女の配下らしい中学生達も釣られるようにして敬礼する。
「もうそろそろ時間だろうとは思ってたんだけどよー、どうも餓鬼共が離してくれねーから……」
ぶつぶつと文句を言いながら本部への近道を通るラン。獣道に延びてくる枯れ枝も彼女には全く障害にはならなかった。本殿の裏に設営された本部のテント。そこに立っている大柄な僧兵の姿に思わずランと誠は立ち止まった。
その大男。どこからどう見ても武蔵坊弁慶である。
「なんじゃ?誠。アイシャ達が探しとったぞ」
武蔵坊弁慶がそう言った。保安隊実働部隊の前隊長で、現在は同盟司法局で調整担当のトップを勤めている明石清海中佐は手にした薙刀を天に翳して見せる。
「着替えないんですか?」
そう言う誠にしばらく沈黙した明石だがすぐに気が変わったとでも言うように本部に入っていった。
「それじゃあアタシ等もいくぞ」
ランの言葉につられるようにして本部のテントに入る誠。
「良い所に来たわね誠!とりあえず鎧を片付けて頂戴」
そう言ったのは誠の母、神前薫だった。剣道場の女当主でもある彼女はこう言うことにも通じていて、見慣れた紺色の稽古着姿で手際よく鎧の紐を解いていく。
「俺、この格好なんだけど……」
「胴丸なら自分で脱げるでしょ?文句は言わないで手を動かして!」
そう言って要の小手を外していた。
「いつもお母様にはお世話になってばかりで……」
要の声に着替えを待っているカウラ達は白い目を向ける。いつものじゃじゃ馬姫の日常などをすっかり隠し通そうと言うつもりで要は同盟加盟の大国胡州帝国宰相の娘、四大公家の跡取りの上品な姫君を演じていた。隊で一番ガサツ、隊で一番暴力的、隊で一番品が悪い。そう言われている要だが、薫の前ではたおやかな声で良家の子女になりきっている。
誠からの話で要の正体を知っているはずの彼女は笑顔で見上げながら手を動かす。そんな母が何を考えているのか誠には読めなかった。
「大変ねえ、なにか手伝う?」
呆然と上品なお姫様を演じている要を見つめていた誠にそう言ってきたのは小手を外してくれる順番待ちをしていたアイシャだった。
「ああ、お願いします。そこの打保を奥の箱に入れてください」
「いいわよ」
そう言って弓を抜き終わったうつぼを取り上げたアイシャだが、まじまじとそれを覗き込んでいる。
「私はあまり詳しいこと知らないんだけど、高いんでしょ?これ」
そう言いながら手にしたうつぼを箱の仲の油紙にくるむアイシャ。
「まあな。それ一つでテメエの十年分の給料くらいするんじゃないか?」
脛当てを外してもらいながらにやにやと笑う要。地が出てはっとする要だが、まるでそれがわかっていたように薫は笑顔を浮かべていた。
「そんなにしないわよ。まあ確かにかなり本格的な複製だけど……じゃあここから先はご自分でね」
そう言って主な結び目を解いた要を送り出す薫。すぐさまアイシャが立ち上がって薫に小手を外してもらう。
「模造品だって高けえんだぜ。さすがは嵯峨家。胡州一の身代というところか?」
要はそう言うと誠の隣で兜の鍬形を外していた。
「そう言えば叔父貴はどうしたんだよ。それに茜は?」
流鏑馬で観客を唸らせた保安隊隊長嵯峨惟基特務大佐。彼は要の家の養子として育ったこともあり、要はいつも嵯峨を『叔父貴』と呼ぶ。しかしその口調にはまったく敬意は感じられない。
「ああ、嵯峨君は外で整備班の胴丸を脱がせてたわよ。それに茜さんは自分で脱げるからって……」
ちょうどそんな噂の茜と双子の妹の楓が保安隊の制服で更衣室に入ってくる。
「なんだ、要お姉さまはもう脱いでしまったのか……」
ぼそりとつぶやいて瞳を潤ませて要を見つめる楓に思わず後ずさる要。
「神前君、あなたも着替えなさいよ。それと薫さんも私が代わりますから休んでください」
そう言ってアイシャの左腕の小手を外しにかかる茜。
「そうね、誠。外に出てなさい」
「いいんですよお母様、私は見られ……ごぼ!」
満面の笑みを浮かべて話し出した胴を脱いだばかりのアイシャの腹に要のボディブローが炸裂する。
「邪魔だ!出てけ」
そう言ってまた部屋の隅に戻り、カウラが着ていた大鎧を油紙に包む要。さらに奥のテーブルで制服姿のカウラと談笑している大鎧を着たままのサラとパーラの冷たい視線が誠を襲う。
「それじゃあ着替えてきますね」
そう言って二月の寒空の中に飛び出した誠。
先ほどまでの祭りの興奮で寒さを忘れていた誠だが、最高の見せ場の流鏑馬も終わって豆まきの準備に入った人々の中に取り残されると寒さは骨に染みてきた。テントを出るとさすがに明石も着替えに向かったようで、森の中で談笑しながら鎧を脱いでいる整備班の中に混じろうと誠は歩き始めた。
観光客のあふれた石段の隣の閑散とした生垣の中に足を踏み入れると、誠の前にはどう見ても時代を間違えたとしか思えない光景が広がっていた。木に立てかけられた薙刀。転がる胴丸、烏帽子、小手、わらじ。
「おう!来たんか」
黒糸縅の大鎧を着込んでいた明石が技術部の隊員に手を借りながら鎧を脱いでいるところだった。
「まるで源平合戦でもするみたいじゃのう」
そう言って笑う明石。裏表の無い彼らしいドラ声が森に響く。
「沼沢!エンゲ!こっち来い!」
すでに着替え終えている島田が部下の名前を呼ぶ。ワイシャツを着込もうとしていた沼沢と、髪を整えていたエンゲが慌てて上官の下へと向かう。
「そう言えば吉田のアホは市民会館の方なのか?」
ようやく鎧を外して小手に手を移しながら明石が尋ねてくる。
「ああ、あの人は祭りが嫌いだとか言ってましたから」
吉田俊平少佐。映像音響関係の仕事もしていたことがある変り種の元傭兵は次のイベントの準備のために市民会館に詰めているはずだった。誠はうなづいている明石を見ながら脱いだ烏帽子と胴丸を地面に置いた。しばらく部下達の手で鎧をはずされた明石は自分で次々と鎧を脱いでいく誠に感心したような表情で視線を送る。
「あいつが祭りが嫌い?嘘じゃろ、そりゃ。どうせあのアホのことじゃ。あの作品の最終チェックで隊長が駄目出ししたシーンをいじったりしとるんちゃうか?」
そう言いながら小手を外した明石は、部下を制止して自分で脛当てを外しにかかった。
「でも、あれで本当に良かったんですか?」
誠は恐る恐る明石に尋ねた。明石は明らかに『ワシに聞くな』というような表情で目を逸らす。
「おう!自分ひとりでやってる割には早えじゃねえか!」
その声を聞いて振り返った誠の視界には要とアイシャ、カウラが制服に着替えて立っていた。
「変態!」
「痴女よ!痴女!」
「スケベ!」
半裸の整備班員が要達に向かって叫ぶ。明石と誠はあきらめたというような顔で隊員の顔を眺めていた。
「急いで着替えろよ!上映会まで後2時間無いんだからな」
そう言って気持ちの悪い罵声を浴びせる整備員達を無視して、近くの石に腰を下ろして着替えている誠を見つめる要。
「あのー」
誠は脛当てを外す手を止めて要に目を向けた。
「なんだ?」
「少し恥ずかしいんですけど……」
そう言って視線を落とす誠。すぐさまその頭はアイシャの腕に締められた。
「何言ってるのよ、誠ちゃん。同じ屋根の下暮らしている仲じゃないの!」
ぎりぎりと誠にヘッドロックをかますアイシャ。隣でカウラは米神に手をあててその様子を眺めていた。
「ちょっと!着替えますから止めてくださいよ!」
そう叫んだが、誠はアイシャよりも周りの整備員の様子が気になっていた。そこからは明らかに殺気を含んだ視線が注がれている。ようやく鎧を脱ぎ終えた明石も、その視線をどうにかしろと言うように眼を飛ばしてくる。誠の眼を使っての哀願を聞き入れるようにしてアイシャが手を離す。誠は素早くワイシャツのボタンをかけ始めた。しかし、周りからの恫喝するような視線に手が震えていた。
「大丈夫か?神前」
小隊長らしく気を使うカウラだったが、その声が逆に周りの整備員達を刺激した。着替え終わって立ち去ろうとする隊員すらわざと殺気のこもった視線を送る為だけに突っ立っているのがわかる。
「おう!皆さんおそろいで」
そう言って現れたのはロナルド、岡部、フェデロのアメリカ海軍組。一緒にいるのはレベッカと薫だった。
「やっぱり神前はもてるなあ、うらやましいよ」
そう言いながら兜の紐に悪戦苦闘するフェデロ。岡部は慣れた手つきで大鎧を解体していく。
「それにしてもシンプソン中尉。君も鎧を着てみればよかったのに」
そう言いながら脱いだ兜を足元に置く岡部。
「レベッカはスタイルがのう……。クラウゼみたいに当世具足なら着れるんちゃうか?」
明石は今日は休暇と言うことで紫色のワイシャツに黒いネクタイと言ういかにも極道風な格好へと着替えていく。
「そういえばアタシも胸がきつくてねえ。良いなあカウラは体の凹凸が少なくて……」
そう言った要だが、いつもなら皮肉を飛ばすカウラが黙っているところで気づくべきだった。
「おー、言うじゃねーか。それにはアタシも当てはまるんだな?」
恐る恐る要が視線を下げるとそこにはどう見ても8歳くらいに見える制服姿のランが立っている。その手にいつもどおり竹刀が握られていた。
「いえ、姐御。そう言う意味では……」
「じゃあどういう意味なのか言ってみろよ!」
ランの竹刀が要の足元を叩く。誠はうまいことそのタイミングを利用してすばやく上着を着込み、帽子をかぶった。
「じゃあ、クバルカ中佐。私達は先行ってますからその生意気な部下をボコっておいてください」
敬礼をしたアイシャが誠とカウラを引っ張って境内に歩き始める。その要の色気のあるタレ目が誠に助けを求めているような様子もあったが、満面に笑みを浮かべたアイシャは彼の手を引いてそのまま豆まきの会場に向かう観光客の群れに飛び込んだ。
「それにしても混みますねえ。なんか東都浅草寺より人手が多そうですよ」
アイシャの手が緩んだところで自分を落ち着かせるためにネクタイを直そうとしてやめた。恐怖すら感じる数の人の波を逆流するためにはそんなことは後回しだった。そのまま三人は押し負けてそのまま道の端に追いやられて八幡宮の階段を下りていく。人ごみを抜けたと言う安堵感でアイシャとカウラは安堵したような笑みを誠に投げかける。
そのまま群集から見放されたような階段が途切れ、コンクリート製の大きな鳥居が見える広場に出た。
「隊長の流鏑馬は去年も好評だったからな……去年よりかなり客は増えたようだな」
そう言ってようやく人ごみを抜け出して安心したというように笑うカウラ。
「しかし、今度の『あれ』。良かったんですか」
上着の襟が裏返しになっていたのに気づいた誠がそれを直しながらそう言った。誠の『あれ』と言う言葉に自然とカウラの笑いが引きつったものになり、そのままアイシャに視線が向いていた。
カウラの視線で『あれ』が何かを悟ったアイシャの顔が明らかに不機嫌そうになったので、誠は自分の言葉が足りなかったことを悟った。
「いえ!自主制作映画と言う発想は良いんですよ……でも……あの主役がナンバルゲニア中尉なのが……」
アイシャの顔がさらに威圧的な表情へと変わる、それを見て言葉をどう引っ張り出そうかと誠の頭は高速で回転し始めた。
「あー!こんなところにいた!」
すでに制服に着替え終わっていたシャムと綿菓子を手にそれに従う小夏と同級生達。
「シャムちゃん。誠君が話があるそうよ」
そう言って軽くシャムの頭を叩いて立ち去ろうとするアイシャ。当然のように右手でカウラを引っ張って行く。
「お話……何?誠ちゃん?」
小柄なシャムが誠を見上げてくる。小夏達も不思議そうに誠を見上げている。
「別にそんな……なんでもないです!」
そう言うと誠はアイシャの後に続いた。
「待ってくださいよ!アイシャさん!カウラさん!」
走り出す誠。振り向けばシャム達も走ってついてくる。一本の社へ向かう道の両脇には店が並び、広場には屋台が出ている。不思議そうにそれを見回すカウラ。
「別に珍しくないでしょ。私達ももう慣れてきても良い頃よ」
そう言うアイシャに追いついた誠は少し心が動いた。アイシャ、カウラ。二人とも普通にこの世に生を受けた存在では無かった。
全地球圏とかかわりを持つ国家が争った第二次遼州大戦。その中で国力に劣る遼州星系外惑星の国家ゲルパルト帝国が発動した人工兵士製造計画。それが彼女達を生み出した。戦うため、人を殺す兵器として開発された彼女達だが、結局大戦には間に合わず戦勝国の戦利品として捕獲されることになった。
この誠が生まれ育った国、東和はその戦争では中立を守ったがそれゆえに大戦で疲弊しなかった国力を見込まれて彼等の引き受けを提案されてもそれを拒むことができなかった。そしてそれ以上に疲弊した国家の内乱状態を押さえつけることで発言権を拡大しようとする東和政府は即戦力の兵士を必要としていた。
そんな経歴の二人のことを考えていた誠だが、すっかり東和色に染められたアイシャはいつの間にかニヤニヤ笑いながらお面屋の前に立っている。
「ねえ、誠君。これなんて似合うかしら」
そう言って戦隊モノの仮面をかぶるアイシャ。妙齢の女性がお面を手にしてはしゃいでいるのが珍しいのか、お面を売っているおじさんも少しばかり苦笑いを浮かべている。
「あのなあ、アイシャ。一応お前も佐官なんだから……」
説教を始めようとするカウラの唇に触れて指を振るアイシャ。
「違うわよ……市民とのふれあい、協力、そして奉仕。これが新しい遼州同盟保安隊の取るべき……」
そこまで言ったところで飛んできた水風船を顔面に浴びるアイシャ。その投げた先には両手に水風船を買い込んだシャムが大笑いしている姿があった。