第六章 喋るオウム
客足も途絶えた静かな昼下がり。これからもうすぐおやつ時になるし、そうなったらまた学校が終わった子供達が遊びに来るだろうと、倫子は店の奥で一息つく。
子供達が来るまでの間、少し休んでもいいかと座ったまま少しうとうとしていると、突然外から大きな声が聞こえてきた。
「オハヨーウ!」
少ししゃがれたその声に驚いて顔を上げ、入り口の方を見る。するとそこには、ガラス戸を少し開けて覗き込んでいる、白藍色の髪を短く切った女がいた。彼女は着物を着た肩に、白くて大きなオウムを乗せたまま悪びれる様子もなく良い笑顔だ。
「あら樹さんこんにちは。よかったら中に入って」
樹と呼ばれた女は、ガラス戸を大きく開けて中へと入ってくる。当然のことのように、肩にはオウムを乗せたままだ。
「オハヨッ! オハヨーウ! オハッ!」
肩の上で喋り続けるオウムを樹が撫で、口元に指を当てる。すると、大きな声でしゃべっていたオウムがすっと静かになった。
オウムが足で顔を掻いているのを見て、倫子はくすくすと笑う。
「白蝋君もあいかわらず元気ね」
「そうなんだよ。元気すぎて朝から大騒ぎ。
まぁ、おかげで寝坊しないですんでるけどね」
白蝋と呼ばれたオウムは、顔を掻くのをやめて首を傾げながら倫子のことを見る。くちばしをぱくぱくと動かしているけれども、それを気にせずに樹が倫子に話し掛ける。
「ところで倫子さん、最近なにか珍しいものは入ってない?」
その問いに、倫子は店内をぐるっと見回して返す。
「そうねぇ、舶来品が珍しいと言えば珍しいかもしれないけれど。
まぁ、ゆっくり見ていって。もしかしたら樹さんからすれば珍しいものがあるかもしれない」
「そう? じゃあ見せてもらうよ」
樹は早速舶来品が並んだ棚に近づき、ひとつずつ手に取って品物を見る。真鍮の鏡、刺繍のハンカチ、細かい柄の更紗、それにオルゴール。
樹がオルゴールを手に取ると、白蝋が肩から首を伸ばしてきて頭を回してじっと見る。樹もつられるようにじっと見て、付いている螺子をなんとなくといったようすで巻く。すると、オルゴールが甲高く澄んだ音で歌い出した。
「オアッ!」
「うわっ、なんだこれ!」
白蝋と樹が驚いて声を上げるので、倫子はくすくすと笑って声を掛ける。
「それはオルゴールっていう楽器みたいなものなの。きれいな音でしょ」
「はぁなるほど。こんなもんがあるんだねぇ」
樹は感心してそう言うけれども、白蝋はよっぽど驚いたのだろう。樹の肩の上でわなわなと震えている。
白蝋の様子を見た樹は、このまま舶来品の棚を見ていたら白蝋がオルゴールに噛み付いて壊しかねないと思ったのか、反対側にある文房具の棚に向き直る。すると、そこですぐに気になるものを見つけたようだった。
「倫子さん、これはなに?」
二本の棒を片側だけ螺子で繋ぎ、片側には一本だけ針が付いているそれを、樹は開いたり閉じたりしながら倫子に見せる。それを見た倫子は、奥から身を乗り出して簡単に説明をする。
「それは文廻しっていうきれいな丸を描くための道具なの。
片方の棒に輪っかが付いてて、もう片方に針が付いてるでしょう? 輪っかの方に筆を付けて、もう片方の針を紙に刺してくるって回すのよ」
「へぇ、そんな便利なもんがあるんだね」
樹は文廻しをじっと見てから、倫子の方へと持って行く。
「それじゃあ、これをいただこうか」
「まいどあり」
手早く勘定を済ませ紙で包んで樹に文廻しを渡す。すると、白蝋がまたくちばしを開いて喋りはじめた。
「オーハッ。オハヨーォオハヨッ」
それを聞いて倫子はくすくすと笑う。
「あらあら、白蝋君までご機嫌になっちゃって」
肩の上でぐいんぐいんと頭を上下させる白蝋に樹が言う。
「白蝋、これはお前のおもちゃじゃないからね?」
するとその言葉がわかったのか、白蝋はしゅんとしたようすで下を向いてしまった。
そんな白蝋を見て、倫子は樹にに訊ねる。
「それにしても、白蝋君を連れて歩いてたら子供達に囲まれて大変でしょう」
すると樹は、にっと笑って返す。
「その時はその時さ。子供達が飽きるまで付き合うし、白蝋も子供は嫌いじゃないみたい」
「あらそうなの?」
「子供達が白蝋をちやほやしてくれるから、うん」
そういうものなのかと倫子が納得していると、樹は溜息をついて白蝋を撫でる。
「子供達より、厄介なのは大人の方だよ。
白蝋はよく喋るから、珍しがった金持ちが欲しがることが多くてね。困ったもんさ」
「ああ、それは困るわね」
最近にはじまったことではないけれども、横浜にはだいぶ成金が増えた。倫子の家もそのうちのひとつではあるけれども、珍しいものはなんでも金で買って欲しがる成金も少なくはない。
樹は余程成金をあしらうのが大変なのだろう、少しだけ暗い顔をして白蝋のくちばしを突いて言う。
「でも、白蝋はあたしに懐いてるから他のやつには絶対やれない。いくら積まれてもね」
「そうよね。樹さんだって、白蝋君が大好きでしょう」
その言葉を聞いてか、白蝋がぱっと顔を上げて言葉にならない声を上げる。おそらくこれが本来の鳴き声なのだろう。うっとりとした表情になって、白蝋が足で顔を掻きはじめる。それを見た樹は、苦笑いをして倫子に言う。
「まぁ、こいつは気に入らないやつには思いっきり噛み付くから、下手なやつには会わせられないってのはあるね」
樹の言葉に、倫子は改めて白蝋のことを見る。そんな風に噛み付くとは思えないほど、樹の肩の上で大人しくしている。でも、実際はどうなのだろう。
くすくすと笑って倫子が樹の言葉に返す。
「白蝋君って意外と暴れん坊なのね。それじゃあ私も、噛み付かれないように気をつけなきゃ」
「あー、白蝋が倫子さんにそんなことしたら、こっぴどく叱るよ」
顔を掻くのをやめてきょろきょろしている白蝋を、樹がちらりと見て笑う。
ふと、倫子がそういえばと思いだして樹にこう訊ねた。
「そういえば樹さん、文廻しはなにか使うあてがあるの? あれはたまに絵師さんとかが使ったりするけど」
すると樹は、先程の文廻しをもう一度見て返す。
「まぁ、なにかときれいな丸を描かなきゃいけないことはあるからあると助かる」
「そうなの?」
「結構ね、いざ描こうとすると上手く描けないもんなんだ」
樹はなぜ、そんなに丸を描く機会があるのだろう。樹が絵を描くという話は聞いたことがないし、なにか建築に携わっているという話も聞かない。
それを不思議に思っていると、外から賑やかな声が聞こえてきた。
「倫子さーん!」
「おばちゃーん!」
どうやら学校が終わった子供達が遊びに来たようだった。子供達はいつも通り遠慮無く店の中に入ってきて、中にいた樹と白蝋を見て声を上げる。
「でっかい鳥だ!」
ひとりの子供がそう声を上げると、白蝋が自慢げに顔を上げてくちばしを開く。
「オハヨーウッ! オハヨ! オハッヨッ!」
「このとりしゃべるぞ!」
子供達が驚いたような声を上げて、白蝋を肩に乗せている樹にまとわりつく。樹は困ったように笑っているけれども嫌ではないようで、白蝋に触りたがる子供達の頭を撫でたり、白蝋に噛まれないようにだろうか手を伸ばす子供の手をそっと押さえたりしている。
いきなりのことで樹も大変かとは思うけれども、子供達も珍しい鳥を見られて嬉しいだろう。
子供達の嬉しそうな声を聞いてか、白蝋は調子に乗って何度も喋り続けた。