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第五十章 親友の再会

 空気も温み風の肌あたりも柔らかくなった頃、都内にある小さな骨董店で、林檎はいつもの椅子に腰掛けて本を読んでいた。店を開けてしばらく経ってもお客さんが来ないので、暇つぶし用に持って来た本のページを捲っている。

 持って来た本は、明治の横浜、特に居留地とその近くにあった日本人町の歴史の本だ。

 このあたりの歴史は、高校までの授業では取りこぼしがちだし、大学でも積極的に調べたものではなかったので、随分と新鮮な気持ちで本を読めた。

「……近代史も、なかなか面白いわね」

 そう呟いて本を閉じると、店の入り口が開いた。

「いらっしゃいませ」

 閉じた本をレジカウンターの上に乗せそう声を掛けると、入ってきたのはオペラのはねっ毛をヘアピンで留めている男性と、それよりも背の高い、長い銀髪をひとまとめにしている女性だった。

 そのふたりが一緒に来たことに、林檎は思わず驚く。

「えっ? 緑さんと紫水さん? なんでおふたりが一緒に?」

 そう、このふたりはこの骨董店の常連だ。

 けれども、いままでこのふたりはひとりで来るか他の人と来るかしていたので、なぜこのふたりなのだろうと疑問に思った。

 もしかして、道中たまたま一緒になっただけだろうかと思っていると、緑と呼ばれた男性がにっこりと笑ってこう言った。

「いや、俺とこいつは高校の時からの友人でさ、この前会って話したときに、お互いこの店知ってるって言うんで、今度一緒に行こうって」

「あ、高校の時からのご友人なんですね」

 まさかこのふたりがそんなに古い付き合いだと林檎は思っていなかった。今まで話題にも出ていなかったのだから、仕方ないのだけれども。

「せっかく来たんですし、ゆっくりご覧下さい」

 林檎がふたりにそう言うと、緑も紫水と呼ばれた女性も、狭い店内をきょろきょろと動き回って色々と見はじめる。

 ふと、紫水が薄いけれどもなにやら模様の入った金属の板を手に取って林檎に訊ねた。

「林檎さん、これなんですか? 鉛の板っぽいですけど」

 その質問に、林檎はにっこりと笑って返す。

「それは鉛メンコといって、明治の頃に子供達が遊んでいたものなんですよ」

「へぇ、メンコって昔は紙じゃなかったんだ」

「うふふ、面白いですよね」

 しげしげと鉛メンコを見ている紫水の横に、すっと緑がやって来て覗き込む。

「えー、なんかかっこいいじゃん。俺、欲しいかも」

「あたしも欲しい」

 それから、緑が林檎に訊ねる。

「鉛メンコって、遊び方は紙のメンコと同じなんですか?」

「そうですよ。相手のメンコをひっくり返すか、下に滑り込んだら勝ちです」

 それを聞いて、緑と紫水は顔を見合わせる。心なしか鉛メンコを見る目が真剣になった様に感じた。

「あたしこれにする」

「俺はこれ」

 それぞれに気に入った鉛メンコを林檎のところに持ってきて、会計を済ませる。

「はい、ありがとうございます」

 林檎がいつものように紙袋に入れてふたりに渡す。それから、ポットから急須にお湯を注ぎ、カップにお茶を淹れてふたりに勧めた。

「良かったら温かいお茶でもどうぞ。まだちょっと寒いでしょう」

 緑と紫水はにこりと笑ってカップを受け取る。

「ありがとうございます」

「ちょっと冷えてたんで助かります」

 林檎はくすくすと笑って、奥の棚から袋を出し、その中からざらめのせんべいを二枚取り出してそれもふたりに勧める。

「お茶請けにおせんべいもどうぞ」

 それを受け取った緑も紫水も大喜びだ。

「やった、ざらめのせんべい大好き!」

「甘塩っぱいの好きです!」

 まさかせんべいでここまでよろこんでもらえるとは思っていなかったので、林檎は思わずにこにこしてしまう。

 ふと、せんべいを囓っていた緑が紫水に言う。

「あとで鉛メンコやってみようぜ」

 紫水もにっと笑って返す。

「おう、やろうやろう。負けないかんな」

 そのようすを見て、林檎が言う。

「ふたりとも、仲が良いんですね」

 その言葉に、紫水はこう返す。

「そうなんです。なんでかわかんないけど、はじめて会った時もはじめて会った気がしなくて」

 緑も続いて口を開く。

「なんか、ずっと前から知ってる感じがしたよな」

「そうなんだよ、不思議だよな」

 そう言って笑い合う緑と紫水に、林檎は茶化すように笑って言う。

「もしかしてふたりとも、恋人同士だったりしませんか?」

 そう、恋人同士ならそんな運命を感じるようなことがあってもおかしくないと思ったのだ。けれども、緑はきょとんとした顔をしてこう返す。

「いや、それは無いですよ。

紫水には他に恋人いるし」

「その状況でなぜふたりで?」

 恋人がいる異性とふたりきりで出歩いていいものだろうかと林檎が悩んでいると、紫水が少し自慢げな顔で口を開く。

「緑との仲はあたしの恋人も知ってるんで、特に何か言われたりはしないんですよ」

「そういうものなんですか?」

 いくら仲を知っているとはいえ、紫水の恋人は気を揉んでいるのではないだろうか。林檎は訝しんだ。

 けれどもたしかに、仲がいいと言っても緑と紫水の間には、恋人同士のような雰囲気はない。ほんとうにただの友人なのだろう。

 ふと、緑がぽつりと呟く。

「紫水とは、前と違ってたまに会えるから」

 それを聞いて、林檎が訊ねる。

「前と違ってって、緑さんと紫水さんは遠く離れてた時期があるんですか?」

 その問いに、紫水も、なぜか緑もきょとんとしている。

「そういうわけじゃないんですけど」

「ずっと茨城と東京だよな」

「一緒に移動してるもんな。おおむね。

あれ? じゃあなんで前とは違ってなんだ?」

 どうやら緑も、自分が言った言葉に疑問があるようだ。

 しかしまぁ、人間誰しも自分が予想しなかったことを口走ってしまうことはあるだろうと、林檎は特に追求しない。

「ふたりとも、大学も同じだったんですか?」

 とりあえず、不思議なことから気をそらそうと林檎がそう訊ねると、紫水がせんべいの残り一欠片を食べてから答える。

「大学は違うところなんですよ。

でもまあ都内だし、たまに会ってはいましたね」

「うふふ、高校の時からの縁が続くのって、良いですね」

 紫水も緑も照れたように笑って、それから、紫水が先程の紙袋を開けて鉛メンコを取り出し、じっと見つけて呟く。

「かっこいい」

 その仕草と呟きに、林檎は既視感を覚える。けれどもその理由はわからなかった。

 そうしているうちに緑もせんべいを食べ終わり、紙袋から鉛メンコを出して見ては、そわそわしている。紫水もそわそわしはじめた。

「林檎さん」

 期待に満ちた目で、紫水が林檎を見る。

「なんですか?」

「ちょっと、お店の前で鉛メンコ試してみて良いですか?」

 そんなに遊んでみたいのかと、林檎は思わず微笑ましくなってしまう。

「ええ、少しくらいなら構いませんよ。どうぞ」

 すると、紫水が勢いよく店から飛び出し、それに続いて緑もまあまあな勢いで店を飛び出した。

 入り口のドアはしっかりと閉められているけれども、外から元気な声が聞こえてくる。どうやら、紫水も緑も鉛メンコで遊ぶのが気に入ったようだ。

 ドア越しに聞こえてくる元気の声を聞いていると、なぜか子供達の姿が頭に浮かぶ。その子供達が誰なのかはわからない。けれども、その子供達に緑と紫水が囲まれているところが浮かんだのだ。

 その空想は、妙に懐かしく感じられた。

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