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第五章 軍人の兄弟

 暖かな空気で満たされたおやつ時、学校も終わりこの店で思い思いに駄菓子を買った子供達が、店の前で賑わっている。子供達が駄菓子を買ったあと、店の前でしばらくの間遊んでいるのはいつものことなので、倫子はそのさまを店の奥から微笑ましく眺めていた。

 すると、突然子供達が歓声を上げた。

「軍人さんだ!」

 その言葉に、ガラス戸の向こうをよく見ると、軍服を着た男がふたりやって来ていて子供達に囲まれていた。

 子供達に握手をせがまれている男ふたりは、愛想良く子供達と握手をしたり頭を撫でてやったりしている。軍人といっても威張った雰囲気はない。

 男ふたりは子供達に軽く声を掛けてから店のガラス戸を少し開け、中に声を掛けてくる。

「倫子さん久しぶり」

「お久しぶりです。元気でしたか?」

 挨拶を聞いた倫子は、さっと立ち上がって頭を下げる。

「ふたりともお久しぶりです。おかげさまでこちらは元気でしたよ」

「そうか、それはよかった」

 入ってきた男ふたりは、どちらも大柄だ。だけれども、片方はまるで異人の男のように背が高く、かなり身長差が付いている。

 倫子が背の低い方の男に話し掛ける。

「治さんは近頃どうですか?」

 背の低い方の男、治はにっと笑って返す。

「あいかわらず忙しいね。でも、おかげで僕も潔も食いっぱぐれないで済んでる」

 そう言って治は、肘で隣に立っている、潔と呼ばれた背の高い男を突く。

 治の言葉を聞いて、倫子はころころと笑う。

「そんな食いっぱぐれるだなんて。治さんや潔さんみたいな軍人さんがそんなことになるわけないじゃないですか」

「そう思いたいんだけどね、軍の中で僕達の立場はちょっと微妙だからさ」

 治と潔が軍でどんな仕事をしているか、倫子は知らない。軍の中には機密事項というものがあるというのを知っているので、詳しくは訊かないようにしているのだ。

 ふと、奥にある間に置かれている小さな炉と釜に目をやる。

「ふたりが折角いらしたんですし、お茶でも淹れますか」

 それを聞いて、治と潔はすぐに返す。

「いやそんな、おかまいなく」

「そうですか? ではお言葉に甘えて」

 にこにことしてお茶を催促する潔を、治が軽くはたく。これもいつものことなので、倫子はくすくすと笑いながら燐寸で炉に火を入れて、柄杓で水を入れた小さな釜を乗せる。

 お湯が沸くまで、少しかかる。その間に倫子はふたりに訊ねる。

「ところで、今日はどんな用事で横浜に?

ただ遊びに来たわけではないでしょう」

 その問いに治が手をひらひらと振って返す。

「例によって海軍に用事があったんだよ。まぁ、どんな用事かは言えないけどさ」

「ああ、海軍の方ですか。おつかれさまです」

 そんなやりとりをしている間に、潔が舶来品の置かれた棚の前に立ち、じっと舶来品を見ていた。それに気づいた倫子は、沸いたお湯を急須に注いで、用意した湯飲みにさっとお茶を淹れて奥にある間から下駄を履いて降りる。

「潔さん、なにか気になるものがございますか?」

 側に寄ってそう問いかけると、潔はてのひらの上に乗るほどの大きさの、螺子の付いた箱を指さして倫子に言う。

「この螺子の付いた箱はなんですか?

見た感じ、ただものを入れるものというわけではなさそうですが」

 不思議そうな顔をする潔の問いに、倫子はそっと螺子の付いた箱を手に取って螺子を巻く。すると、その箱は甲高い澄んだ音で歌いはじめた。

「これはオルゴールっていう、楽器のようなものです。

潔さんはこういうのお好きでしょう?」

 倫子の言葉に、潔はにこりと笑う。

「そうですね。私はこういうものも好きです」

 その様子を見ていた治が、そういえば。という顔をして倫子に訊ねる。

「ところで倫子さん、この店に西洋の楽譜は入ってないかい?」

「楽譜ですか?」

 倫子は店の中の舶来品の在庫を頭に思い浮かべ、治に返す。

「入っていないですね」

「そうか、それは残念」

「でも、西洋の楽譜なら軍楽隊の方に訊けばたくさんあるんじゃないですか?

軍楽隊も、外国の曲をよく演奏するみたいですし」

 それを聞いた治は、ちらりと潔の方を見てから舶来品に目をやる。

「それはそうなんだけどさ、軍楽隊にないような珍しいのがないかと思ったんだ」

「なるほど、そうなんですね。ご期待に添えず申し訳ないです」

 倫子が頭を下げると、治は困ったように笑ってまた手をひらひらと振る。

「いやいや、この店はどっちかっていうと舶来品でも雑貨が中心だろ? こっちが無理を言った」

「でも、折角ですし、今度いつも舶来品を持ってきてくださる方と相談してみます」

「そう? ありがと。でも無理はしないで」

 治の返事に倫子は軽く頭を下げて、それから、奥を指してこう言う。

「そういえば、お茶が入っていますので奥へどうぞ。お茶菓子もありますので」

 それを聞いた潔が、舶来品を見ていた顔をぱっと上げて倫子を見る。

「倫子さん、お茶菓子はなんですか?」

 早速お茶に食いついている潔の腕を治が軽くつねる。きっと、あまりがっつくなと言いたいのだろう。これもいつものことなので、倫子はにっこりと笑ってふたりを奥へと通し、下駄を脱いで上がる。

「今日のお茶菓子は、いつも通りお饅頭ですよ。おいしいって評判のお店の、あの」

 そう話していると、潔が奥に入る手前で足を止めた。なにかと思ったら、せんべいの入った器を指さしてこう言った。

「甘いものだけでなくしょっぱいものも欲しいので、おせんべいを一枚いただいていいですか?」

「はい、一枚お買いあげですね」

 倫子がせんべいを一枚取りだして勘定をすると、治がまた潔の頭を軽くはたく。

「お前また長っ尻する気か」

 そうはいうものの、治も軍の仕事ばかりで疲れていて息抜きをしたいという気持ちがあったからこの店に寄ったはずだ。そうでなければこの店に寄らずにすぐに東京へと帰るのだから。

 それがわかっっている倫子は、奥に入って座布団を用意する。

「まぁまぁふたりとも。お急ぎでなかったらぜひゆっくりしていってくださいな」

「いやはや、気を遣わせて悪いね」

 どこかほっとした表情で治が言う。それから、治も潔も靴を脱いで奥に上がり、早速座布団に腰を下ろす。

 倫子はお皿に乗せたお饅頭と湯飲みをふたりの前に出し、声を掛ける。

「どうぞ召し上がって」

「ああ、いただきます」

「はい、いただきます」

 ふと、倫子が潔が傍らに置いている把手付きの箱に目をやった。

「そういえば潔さん、その箱はいつもの楽器ですよね? 今日も持ち歩いてたんですか?」

 その問いに潔はせんべいに齧り付こうとした手を止めて返す。

「軍の用事があるときはいつも持ち歩いてるんです」

「なるほど、そうなんですね」

 やはり、軍の用事であちこちで演奏することもあるのだろうかと倫子は思う。

 しばらくの間、お茶とお茶菓子をいただきながら、倫子は治と潔から東京の話を聞いた。東京が今どのように発展しているかだとか、どんな名物があるかだとか、そんな話だ。倫子も、ここ最近の横浜の話をする。特になにか際立って生活が変わるようなことはないけれども、たわいのない日常の話を、治も潔も聞きたがった。

 ゆっくりとお茶を楽しんでお皿も湯飲みも空になった頃、治がゆっくりと立ち上がった。

「さて、僕達もいつまでもいるわけにはいかないからね。そろそろお暇するよ」

「はい、今日はお立ち寄りいただきありがとうございます」

 倫子も潔も立ち上がって、それぞれに下駄や靴を履いて奥から降りる。

 挨拶をして店を出ようとするふたりを倫子が見送っていると、潔が治にこう言った。

「兄さん、帰りの汽車で食べるものもどこかで買っていきましょう」

「こーの食いしんぼ!」

 このやりとりもいつものことで、倫子は相変わらずだなと微笑ましくなった。

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