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第四十五章 友人との仲

 涼しい風が吹き始めた頃のこと。この日も店を開ける前に、倫子は軽く店の中を整理する。

 閉める前に片付けはするけれども、新しく店頭に出すものがあったり、配置を変えたかったりするものがあったりするので、開店前の棚の整理は欠かせない。

 一通り店の中の整理が終わったら、店を開ける。ガラス戸の鍵を開けて、その前を覆っていた雨戸を開ければ、もう開店だ。

 開店作業が終わって、倫子はいつも通り店の奥に座る。もう学校がはじまっているので、子供達が来るのは学校が終わった後だろう。そんなことを考える。

 そうしてぼんやりしていると、早速誰かがガラス戸を叩いた。

「ごめんください」

「はい、開いてますよ」

 掛けられた声に返事をすると、入ってきたのはかの子だった。その姿を見て、倫子は周りを伺う。貞治がいないかどうか探したのだ。けれども特に誰かが一緒というわけでもなく、今日はひとりで来たようだった。

「かの子さんいらっしゃい。今日はどんなご用事かしら?」

 倫子がそう訊ねると、かの子はにこりと笑ってこう返す。

「今日は、ガラスペンの換えのペン先を買いに来たんです。入ってますか?」

 かの子がそう言うので、倫子は立ち上がって奥から降りて、文房具の棚の前に行く。

「ガラスペンのペン先、色々な色のが入ってるのよ。かの子さんが持ってるペン軸だと、このあたりが填まると思うんだけど」

 倫子は棚の引き出しからいくつもの小箱を取り出す。その小箱の中には、それぞれに色とりどりのガラスペンのペン先が入っている。それを見たかの子はほうっと溜息をついた。

「やっぱり、ガラスペンはきれいですね。墨でも洋紙に書けて便利だし、たくさん欲しくなっちゃう」

 うっとりとガラスペンのペン先を見るかの子に、倫子はにっと笑って言う。

「どうせ消耗品なんだし、いくつか買っていってもいいのよ?」

 それを聞いたかの子は、じっとガラスペンのペン先が入った小箱を見つめる。難しい顔をして視線を動かした後、手に取ったのは紫色のペン先が入った箱と、赤いペン先の入った箱だ。

「これとこれをいただこうかしら」

「はい、まいどあり」

 小箱を受け取った倫子は、奥に上がって勘定を済ませる。そうしてからかの子に小箱を渡すと、かの子はすぐさまに小箱を袂へとしまった。

 ふと、かの子が舶来品の並んでいる棚を見る。

「あの、少し舶来品を見てもいいですか?」

「もちろん良いわよ。ゆっくり見ていってね」

 かの子は早速、舶来品の指輪やブローチ、それに刺繍のハンカチをしげしげと見て、ふっとオルゴールに目をやる。それから、思い出したようにこう言った。

「そういえば、倫子さんは浪花節語りの緑丸さんってご存じですか?」

 突然どうしたのだろう。そう思いながら倫子は返す。

「知ってるわよ。このお店にもたまに来るし。緑丸さんがどうかした?」

「それじゃあ、緑丸さんのご友人の話はご存じですか?」

「緑丸さんの友人?」

 緑丸の友人というのは、具体的には誰のことだろう。緑丸がこの店に連れてくる友人と言えばもっぱらバイオレットだけれども、それ以外にも友人は何人もいるはずだ。

 倫子が頭を悩ませていると、かの子はオルゴールを手に取ってこう続ける。

「なんでも、緑丸さんったら異人さんのご友人に夢中になっているらしくて」

 そういえば、そんな話は以前恵次郎から聞いた。緑丸がバイオレットに夢中になっていて、いつか一緒に英吉利に行ってしまうのではないかと、大層心配していた。

 倫子はそのことを思い出しつつも、にこりと笑って言う。

「仲が良いのはいいことじゃない。

緑丸さんとその人の仲に、かの子さんは不満があるの?」

 するとかの子は、頭を振ってこう言う。

「不満があるなんてとんでもない。私はただ、あのふたりがどんな仲なのか知りたいだけなんです」

「友人同士では?」

「それはわかってるんです。わかってるんですけれど」

 かの子の言葉に、倫子が緑丸とバイオレットの仲について知っていることを素直に言うと、かの子は興奮したようすで早口で話しはじめる。

「でも、どれだけ強い友情で結ばれてるか、友人同士という言葉だけではわからないじゃないですか。

私はあのふたりがどんな友情を育んでるのか、それを知りたいんです。

いいえ、もしかしたら友情という言葉では収まらない仲かもしれない……

緑丸さん……ご友人とどんな関係なのかしら……知りたい……」

 勢いづいたかの子に、倫子は苦笑いをする。

「かの子さん、それは勘ぐりすぎよ。

あのふたりは一緒に遊んだりもするけど、普通の友人同士よ?」

 とは言うものの、倫子の脳裏に恵次郎の言葉が過ぎる。そう、緑丸がいつまでも結婚したがらないということだ。

 恵次郎は、緑丸にもし思い人だとか、心に決めた人だとかがいるのであれば話して欲しいと言っていたけれども、緑丸はそのことについてなにも語らないようだった。

 もしかしたら緑丸は、思い人のことを話さないのではなく、話せないのかもしれない。

 そう、今かの子が目の前で話している、根も葉もない噂のようなものが事実だとしたら、それは結婚を迫ってくる家族には話せないだろう。だから、かの子の考えていることもあながち完全に的外れとはいえない気がした。

 しかしそれはそれとして、熱くなっているかの子のことは落ち着かせないと。倫子は、手をぱたぱたと振ってかの子に話し掛ける。

「とりあえずかの子さん落ち着いて。

緑丸さんとご友人がどんな仲かは、本人達に訊かないとわからないでしょう?」

 すると、かの子は倫子の方を向いて訊ねる。

「倫子さんは、緑丸さんとご友人の仲をご存じなんですよね?」

「ええ、知ってるけど、ほんとうにただの友人同士よ。一緒に鉛メンコで遊んだりね」

 倫子が今までに見たとおりのことを言うと、かの子はうっとりとした表情で頬に手を当てる。

「異人さんに日本の遊びを教えるほど仲が良いのね。それならきっと、とても深い友情で結ばれてるんだわ……」

 これは完全に悪い癖が出ているな。どうしたものかと倫子が考えていると、ふと思い出すことがあった。

「そういえばかの子さん、今日はお店はお休みじゃないわよね?

ずっと空けてて大丈夫?」

 それを聞いたかの子ははっとして、手に持っていたオルゴールを棚に置き直し、倫子に頭を下げる。

「すっかり忘れてました。

すいません、ちょっとおしゃべりに夢中になってしまいました。

それじゃあ、今日はもうお暇しますね」

 そう言ってかの子は慌ただしく店を出て行った。

 たまにはおしゃべりをするのも悪くはないのだけれども、悪い癖が出るのだけはなんとかならないものだろうかと、倫子は苦笑いをする。

 かの子がいなくなって少しの間、倫子はぼんやりしていたけれども、またガラス戸を叩く音が聞こえた。

「倫子さんこんちわー」

「はーい、開いてますよ」

 返事を返すと、入ってきたのは先程話題になっていた緑丸とバイオレットだ。恵次郎も一緒なのではないかと回りを見たけれども、どうやらふたりだけで来ているようだった。

「今日はおふたりで来たんですね」

 倫子がそう声を掛けると、緑丸が嬉しそうに笑ってこう答える。

「そうなんだよ。昨夜はバイオレットの家に泊まっててさ。それで、バイオレットがせんべい食べたいって言うからそのままここに来たんだよ」

「そうなんですね」

 家に泊まりに行くほどの仲なのかと、倫子は少し驚く。

 これはほんとうに、かの子の悪い癖もあながち間違いではないのではないか。倫子はそう思ってしまう。

 けれども、深く勘ぐりすぎるのもよくないだろう。緑丸とバイオレット、ふたりの仲がどんなものであるかの本当のところを知っているのは、本人達だけでいいのだ。

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