第四十二章 クッキーを囓って
初夏の爽やかな日のおやつ時。この日も子供達の学校が終わり、店の前で賑やかに子供達が遊んでいた。
今日も子供達は元気だ。この店をはじめてからずっと、子供達はこの店で駄菓子やおもちゃを買って店の前で遊んでいるけれども、毎年少しずつ顔ぶれが変わっていく。毎年少しずつ小学校を卒業して、中学校に行ったり働きに出たりとかで、この店の前で遊ばなくなる子供も多いのだ。
小学校を卒業しても、いつでもこの店に来てくれて構わないのだけれどと倫子は思う。そんなことを考えながらぼんやりしていると、ガラス戸を叩く音が聞こえた。
「倫子さん、いますか?」
「はい、いますよ」
すぐさまに返事をして入り口の方を見ると、そこにはガラス戸を少し開けて覗き込んでいる愛子の姿があった。
「あら、愛子さん。どうぞ中に入って」
「はい、お邪魔します」
今日の愛子は洋服を着ていて、手には風呂敷包みを持っている。愛子は夏彦の教会の手伝いをするときは洋服を着ると聞いていたので、今日も教会の手伝いをしていたのかもしれない。
「今日はどんなものを見に来たのかしら」
倫子がそう訊ねると、愛子はにっこりと笑って風呂敷包みを倫子に見せる。
「実は、夏彦さんの教会で配るクッキーを焼いたんですけれど、少し余ったのでお裾分けに来たんです」
「あら、ありがとう。今日も教会のお手伝いだったのかしら」
「そうなんです。今日の礼拝で、また信徒のみなさんにクッキーを配ったんですよ」
差し出された風呂敷包みを受け取った倫子は、早速風呂敷をほどいて中身を見る。中には、クッキーが入っているのであろう紙袋があった。倫子は早速紙袋の中を確認する。
「あら、良い匂いだしおいしそう」
「うふふ、気に入ってくれますか?」
「もちろんよ」
倫子はちらりと、店の中に置かれた、氷水を張ったたらいに目をやる。
「愛子さん、よかったら一緒にこのクッキーをいただいていきませんか? みかん水と一緒に」
それを聞いた愛子は、嬉しそうに手を合わせる。
「いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
「どうぞ上がってくださいな」
倫子は愛子に奥に上がってもらい、座布団を出す。それから、たらいの中からみかん水を二本取ってきて栓を抜き、片方を愛子に渡す。愛子からもらったクッキーは、棚から出したお皿の上に出して、お互いの間に置いた。
座布団に座った愛子と一緒にクッキーを囓る。サクッとした歯ごたえで、ほろりと口の中で崩れる。甘味は強いけれどもくどくはなくて食べやすい。
「あら、こんなにおいしいクッキーを教会で配ってるのね」
「おいしいなんて、ありがとうございます。
そうなんです。これを毎週配っているんです」
「これを毎週食べられるなんて、羨ましいわねぇ」
ふたりでくすくすと笑い合って、ふと、倫子がこう訊ねる。
「そういえば、最近教会の方はどう? 上手くいってるのかしら?」
すると愛子は、にこりと笑ってこう返す。
「おかげさまで、最近は信徒の方の数も増えて、それ以外にも子供達も遊びに来るようになって賑やかなんです」
「あら、それは儲かっているということかしら?」
倫子の言葉に、愛子はまたくすくすと笑う。
「実は、教会に信徒の方がたくさん来ても、儲けにはならないんですよ」
それを聞いて倫子は驚く。
「えっ? そうなの?」
「そうなんです。たまにお布施をくれる方はいますけれど、基本的にはみなさん、夏彦さんの説話を聞きにくるだけなんです」
「あら、まぁ、そうなのね」
儲けにならないのに、愛子はクッキーを毎週焼いて配っているのか。それがなんとも不思議な感じはした。
「夏彦さんの説話は面白いって聞きに来る方が多いんです。
聞きに来る方の中でまだ信徒になっていない方もいますけど、まずは話を聞くところからですからね」
「ああ、それはわかる気がする」
信徒というか、檀家を集めるのに、まずは話を聞いてもらうところからというのは、お寺さんも同じだ。夏彦は真っ当な方法でキリスト教を広めようとしているのだろう。
ふと、倫子はあることを思い出したので愛子に訊ねる。
「そういえば、前に教会は資金の補助が受けられるって聞いたけど、それはどうなの?
信徒が増えてるってなると、結構補助されてるんじゃないかって思うけど」
その問いに、愛子はクッキーを囓って返す。
「そうですね、信徒が増えたおかげで、資金の補助の額は増えてます。でも、それも大体は教会の運営だけで持って行かれてしまいますね」
「そうなのね。教会の運営って、大変なのねぇ」
「そうなんです。生活費はまた別に稼がないといけないし、夏彦さんは本当にがんばってくれています」
そういえば、夏彦は牧師の仕事以外にも居留地での通訳もやっているのだった。二足のわらじは大変だと思うけれども、それでもキリスト教を信じて、教会を支えたいという信念があるのだろう。
愛子がにこりと笑って言葉を続ける。
「でも、最近は少し緑兄さんと恵兄さんも、私達の生活を支援してくれているんです」
「そうなの? 婚約の時にあんなにごねてたふたりが」
「そうなんです。私が心配だというのもあるみたいなんですけど、夏彦さんもがんばってるからって」
婚約の時に兄ふたりがごねていたのを思い出したのだろう、愛子がくすくすと笑う。
「緑兄さんも、恵兄さんも、優しい人だから」
「そうね。あのふたりも良い人だものね」
倫子がクッキーを囓ってみかん水に口を付けると、愛子が思い出したようにこんなことを言った。
「そういえば、最近緑兄さんが教会の教えに興味を持ってるんです」
それを聞いて、倫子はきょとんとする。
「え? 緑丸さんが? なんでまた」
今までそんな素振りは見せていなかったので不思議に思って少し考える。それから、もしやと思いこう訊ねる。
「もしかして、緑丸さんも改宗するつもりなのかしら」
それを聞いて、愛子も少し考える素振りを見せてから頭を振る。
「それは、わからないです」
緑丸のことを考えて少し落ち着かないのか、愛子がみかん水をひとくち飲んでからこう続ける。
「多分、お友達のバイオレットさんのことをもっと知りたいんだと思います」
「ああ、なるほど。あのふたりも仲が良いものね」
そう言われると、納得できる気がした。バイオレットのことをより深く知るためには、キリスト教のことを知るのも手段としてはあるだろう。そんなことを考えるほどに、緑丸にとってバイオレットは大切な友人なのだろう。
愛子と緑丸のことを話しながらクッキーを囓る。そうしていると、なにやら視線を感じた。
倫子は視線の先を探す。すると、店の前で賑やかに遊んでいたはずの子供達が静かになって、じっとガラス戸越しに倫子達の方を見ていた。
なにかあったのだろうかと思った倫子は、大きめの声で子供達に訊ねる。
「みんな、なにかあったの?」
すると、子供のうちのひとりがこう言った。
「おばちゃん、クッキー食べたの?」
それから、子供達はちらちらと愛子の方も見ている。どうやら、愛子が教会でクッキーを配っているというのを、子供達は覚えているようだった。
そのことに気づいたのだろう。愛子はにっこりと笑って子供達に言う。
「また今度の日曜日に教会に来たら、クッキーをあげるからね」
それを聞いた子供達が歓声を上げる。
「ほんと?」
「やったー! またこんど教会にいく!」
無邪気に喜ぶ子供達を見て、愛子はくすくすと笑う。信徒になるかどうかはさておいて、純粋に子供達が喜ぶ姿を見るのは嬉しいのだろう。
こうやって子供達に慕われて、地域に受け入れられるようになって、そうやって教会を運営していくのだろう。
なにをするにも、人とのつながりは大切なのだなと倫子は思った。




