第三十九章 それは運命か
風も温みはじめ柔らかくなってきた頃のおやつ時。この日も学校が終わった子供達が、それぞれにおもちゃや駄菓子を買って店の前で遊んでいた。
子供達の元気な声が、店の奥にいる倫子にも聞こえてくる。子供達が今日も元気なようでよかったと倫子が安心していると、ガラス戸を叩く音がした。
「はい、開いてますよ」
咄嗟にそう返事をする。
「ごめんください」
ガラス戸を開けて入ってきたのは、はじめて見る顔の、恰幅のいい男だった。洋服を着ていて身なりも良いし、居留地の異人相手の商人なのだろうか。なんにせよ、今まで近所にいた人ではなさそうだ。
そのお客さんは、店内を見回して舶来品が置かれた棚に目を留める。
オルゴールや鏡、ハンカチや指輪をしげしげと見て、お客さんは何度も黙って頷く。どうやら舶来品は見慣れているようだった。
いくつもの舶来品を見比べて、お客さんはネクタイピンを手に取ってじっくりと見る。それから、そのネクタイピンを持って倫子のところへ来た。
「あなたが店長さんですか?」
「はい、そうです。お気に召したものはございましたか?」
お客さんの問いに倫子がそう返すと、お客さんはにこりと笑ってネクタイピンを倫子に差し出す。
「これが気に入ったね。お勘定を頼むよ」
「ありがとうございます」
倫子は手早く勘定をして、お客さんにネクタイピンを渡す。それを受け取ったお客さんは、早速上機嫌なようすで、今締めているネクタイに付けた。
収まりのよくなったネクタイを撫でながら、お客さんが倫子に訊ねる。
「ところで、この店は舶来品を置いているけれども、異人は来たりするのかな?」
その問いに、倫子の頭にぱっとバイオレットのことが浮かんだ。
「はい、この店には時々異人さんが来ますね。
それがなにかあるんでしょうか?」
倫子がそう答えると、お客さんはこう言った。
「いやね、このお店にもプラントハンターが来るのかと思って聞いてみたんだよ」
プラントハンターと聞いて、倫子は先日の貞治との話を思い出す。このお客さんは、外国相手に植物で商売をしたいのだろうか。
それから、バイオレットのことを考える。そういえば倫子は、バイオレットがどんなことをするために日本に来たのかを知らない。もしかしたらバイオレットこそがプラントハンターなのかもしれないけれども、そこは本人に訊いてみないとわからない。なので倫子は、無難にこう返すしかなかった。
「このお店に来る異人さんが、プラントハンターかどうかはわからないですね。
なにをしている人なのか、聞いたことがないので」
するとお客さんは、少しだけ寂しそうな顔をしてこう言った。
「まあ、たしかにそうだね。
お店に来るのに、わざわざ自分の仕事を教える必要もないからね」
お客さんのそのようすに、倫子は訊ねる。どうにも、商売のためにプラントハンターを探しているわけではなさそうに見えたのだ。
「なんで、プラントハンターを探してこの店にいらっしゃったんですか?」
その問いに、お客さんは少し遠い目をして返す。
「この店に時々治君と潔君が来るだろう?
あのふたりからこの店のことを聞いてね。
居留地に近いこの店に来ればプラントハンターの手がかりが掴めるかと思ったんだ」
なるほど、このお客さんは治と潔の知り合いなのかと倫子は納得する。けれども、なぜプラントハンターを探しているかはまだわからない。
「治さんと潔さんのご紹介でいらっしゃったんですね。でも、なんでプラントハンターを探しておいでで?」
その問いに、お客さんは頭を振ってこう返す。
「わからない。わからないのだけれど、私はプラントハンターに会わなくてはいけない気がしたんだ」
「そうなんですか。なんだかふしぎなこともあるんですねぇ」
自分でもプラントハンターをなぜ探しているのかわからないと言う客の話を聞いて、倫子は、もしかしたらなにか運命のようなものがあるのではないかと思う。
運命というよくわからないものに突き動かされて、このお客さんはここまで来たのだろう。
少ししんみりした雰囲気になっていると、外から子供達の歓声が聞こえてきた。なにかと思ってお客さん越しにガラス戸の外を見ると、緑丸と恵次郎、それにバイオレットがやって来ていた。
「みどりまるー!」
「異人さん!」
「またいっしょにあそぼ!」
子供達に口々にそう言われる緑丸とバイオレットは、上機嫌そうなようすで子供達の頭を撫でている。
「おう、坊主達。俺達のこと覚えてたか。
ちょっと倫子さんのお店に用事あるから、その用事が終わったら遊ぼうな」
「はーい」
店の中まで聞こえる大きな声で子供達にそう言い聞かせた緑丸が、ガラス戸を開けて中に入ってくる。バイオレットも恵次郎もそれに続いた。
丁度良いところに丁度良い人が来てくれた。そう思った倫子は、早速緑丸に声を掛ける。
「どうもいらっしゃい。緑丸さん、今日はどんなご用ですか?」
「ああ、今日はバイオレットが鉛メンコの新しいの欲しいって言うからさ、それを買いに来た」
「そうなんですね」
そこまで深刻な用事ではなさそうだ。そう判断した倫子は、恵次郎にこう訊ねる。
「ところで恵次郎さん、プラントハンターのお知り合いっていますか?」
その問いに、恵次郎は斜め上を見てから返す。
「一応いるにはいるが、僕はそんなにたくさんは知らないな」
それから、おもちゃの入った箱をしゃがんで覗き込んでいるバイオレットに声を掛けている。きっと、知り合いにプラントハンターがいるかどうか訊いているのだろう。
バイオレットはきょとんとした顔でなにかを言って、それを聞いた恵次郎が倫子に訳して聞かせる。
「居留地には何人ものプラントハンターがいると言っている」
恵次郎の言葉に、やりとりを見ていたお客さんがぱっと恵次郎の方を向いてこう言った。
「突然ですまないけれど、その、プラントハンターを私に紹介してはくれないでしょうか」
ほんとうに突然のことで、恵次郎はさすがに訝しがっている。
「倫子さん、急にプラントハンターのことを訊いてきたのは、この人に訊かれたからか?」
少しきつめの口調になっている恵次郎に、倫子は素直に返す。
「そうなの。この人、どうしても会いたいプラントハンターがいるみたいで」
「しかし、何者かわからない相手にむやみやたらと紹介するわけにもいかないんじゃないだろうか……」
難色を示す恵次郎に、お客さんは改めて向き直り、軽く頭を下げて名乗る。
「そうですね、何者かわからない相手に紹介しづらいというのはわかります。
私は金町伊武と申しまして、日本国軍の軍医をしております」
軍医と聞いて、恵次郎はもちろん、緑丸も驚いた顔をして姿勢を正す。バイオレットだけきょとんとした顔をしていたけれども、恵次郎が外国語で話し掛けると、やはり驚いた顔をして慌てて立ち上がり、姿勢を正した。
「軍の用事でプラントハンターを探しておいでなのですね。それなら、彼に紹介してもらえるかどうか訊いてみます」
恵次郎はそう言って、またバイオレットに外国語で話し掛ける。そのまま、少しの間外国語でやりとりをして、恵次郎が伊武と名乗ったお客さんに言う。
「とりあえず、彼お抱えのプラントハンターを紹介するそうです。
他のプラントハンターは、連絡先を教えるので、後ほど都合を付けて紹介するそうです」
「そうか、ありがたい」
恵次郎達はすっかり軍の用事でプラントハンターを探しているものだと思っているようだけれども、実際にはそうではないだろう。
ほんとうの所を知ったらどうなるかの心配はあったけれども、伊武が会いたいという人に会えたら、それは良いことなのではないかと倫子は思った。




