第三十八章 プラントハンター
一際冷え込む日の昼下がり、今日もお弁当を食べ終わった倫子は、七輪で焚いている火に当たりながら暖をとっていた。
こう冷えると、手がかじかんでしまう。手がかじかんでいると、勘定をするときにお金を落としてしまうこともあるので、なるべく手は温めておきたいところだ。
それでも、ただ七輪に当たっているだけでは物足りないので、お饅頭でも焼こうかと倫子はお饅頭をしまってある棚を見る。
すると、ガラス戸を叩く音がした。
「倫子さん、開いてるかい?」
その声に、倫子はすぐに返事をする。
「はい、開いてますよ。どうぞ中へ」
入り口の方を見ると、入ってきたのは貞治だった。今日は誰か付いてきているのだろうかと回りを見ると、特に誰がいるわけでもなく、今日はひとりで買い物に来たのだなとわかった。
「貞治さんいらっしゃい。今日はなにをお探しなのかしら」
倫子がそう訊ねると、貞治は店の中を見回してから、文房具が並んだ棚に向かう。
「今日はインクとペン先、それに封筒を買いに来たんだ。
この店には、洋紙用の封筒もあったよね?」
「ええ、ありますよ」
慣れた手つきでインクとペン先の入った小箱を手に取った貞治は、頭を上下させながら棚を眺める。
「倫子さん、封筒はどこだい?」
「あ、封筒はその棚の一番上の引き出しです」
「なるほど、ありがとう」
貞治は引き出しを開けて、中から封筒を何枚か取り出す。そのようすを見ていた倫子が貞治に訊ねる。
「貞治さんも、異人さん向けの書類を書くんですか?」
その問いに、貞治はにっと笑って返す。
「その通り。なんだかんだで、異人の客も取引先も多いからね」
それから、インクとペン先の小箱を顔のあたりに持ってくる。
「さすがにそろそろ、ペンとインクも慣れてきた」
「ふふふ、貞治さんも色々と忙しいんですね」
インクとペン先と封筒を貞治が倫子のところへと持って来たので、倫子は手早く勘定をして貞治に渡す。
「まいどあり」
「いや、この店は品揃えがよくて助かる」
上機嫌なようすで買ったものを袂にしまいながら、貞治が思い出したようにこんなことを言った。
「そういえば、倫子さんはプラントハンターって言うのを知ってるかい?」
その問いに、倫子はふいっと斜め上に視線をやる。どこかで聞いたことがある気がするのだ。少し考えて、どこで聞いたか思い出す。
「プラントハンターと言えば、季更さんから名前だけは聞いたことがあります。
ただ、なにをしてる人なのかは知らないんですけど」
この言葉に貞治は、興味深いといった顔をして話を続ける。
「プラントハンターというのはね、なんでも植物を集めて、商売をしているらしいんだよ」
「植物を集めてですか?」
「そう、珍しい植物をね」
珍しい植物というのは、具体的にどんなものなのだろう。倫子が不思議に思っていると、貞治はそのようすを見てか、こんなふうに言った。
「どうやら外国というか欧米ではね、日本のなんてことのない植物が高く売れるらしいんだ」
「なんてことのない植物ですか? 例えば、どんなものでしょう」
いまいちピンと来ない倫子に、貞治は手を開いて花の形を作りながらさらに言う。
「百合とか朝顔とか、どこにでもあるものだよ。百合なんてねぇ、山に行けばいくらでも咲いてるのに」
「ほんとうに、なんてことのない植物なんですね」
そんな当たり前のものがなぜそんな高値で売れるのか不思議だったけれども、倫子はぽんと手を叩いて思い出したように言う。
「あ、でも、朝顔はわかる気がします。
朝顔はみんな色々掛け合わせて変わった形のものをたくさん作ってるから、それはたしかに珍しいかも」
それを聞いた貞治も、納得したように頷く。
「たしかに、朝顔は面白い形のものも多い。あれなら、異人達が気にするのもわかる気はするなあ」
しみじみそう話して、それから、倫子が首を傾げる。
「でも、百合はほんとうにわからないですよね。あれはなにが珍しいんでしょう」
貞治も首を傾げて顎を撫でる。
「それはわからないんだよねぇ。わからないんだけど、異人は百合の花を見るとほんとうによろこぶんだ」
異人はなぜそんなに百合の花にこだわるのか、考えてみても倫子には理由がわからない。けれども、そういったありふれたもので良い商売ができるのであれば、悪い話でもない気もした。
それにしても、貞治はなぜ急にこんな話を出したのだろう。それが気になった倫子は貞治に訊ねる。
「それにしても、急にプラントハンターの話なんてどうしたんです?
もしかして、百合や朝顔を異人相手に売る商売でもはじめるつもりとか」
その言葉に、貞治は吹き出して朗らかに笑う。
「いやまさか、そんなことはしないよ。
私の店はね、服を扱った商売だけでいっぱいいっぱいなんだ。
着物だけでなく洋服をはじめたときはそれはもう大変だった。あの大変さを、もう一回やるのはなかなかしんどいなぁ」
「あら、それもそうですね」
「それに、私は植物に詳しいわけじゃあない。餅は餅屋だ。もっと詳しいやつに任せた方が良い」
目先の儲けにくらまされず、自分の力量をわかっているのはさすがだなと、倫子は思う。
すると、貞治が困ったように笑ってこう言った。
「なんだけどね、取引先の異人から、なにか珍しい植物はないかと訊かれることがあってね。いや、困ってしまうね」
「そうですよね。植物に詳しければ、まだ答えようはありますけど」
倫子が頷くと、貞治は腕を組んで難しい顔をする。
「正直、このあたりにある植物はどれも見慣れすぎてて、どれが珍しいのか皆目見当も付かないんだ。
これはなんというか、商売するまで行かなくても、植物の勉強をした方がいいのかねぇ」
そう言って苦笑いする貞治に、倫子は少し考えてから言葉を掛ける。
「難しいですよね。
私からすれば、外国から入ってきた植物の方がよっぽど珍しいように見えますけれど」
倫子の言葉に貞治は頷く。
「そうなんだよ。自分が見たことのないもの、あまりに見ないものってなると、なんだって珍しく感じるものさ。
それは私だってそうなんだから」
そう言って、貞治はまた朗らかに笑う。
「異人が探してる珍しい植物を、見慣れてる私が探すのはあまりにも難しいね」
「たしかに。具体的にどんなものが欲しいかとか、教えてくれれば良いんですけど」
倫子の言葉に、貞治はにこにこしたまま返す。
「教えてくれれば良いんだけれどね、多分、異人達も自分がどんなものを探しているのかわかっていないんだと思うよ。
なんせ、知らないものは想像できない。けれども知らないものが欲しい。
いやはや、難しい話だ」
「百合の花は、まだ百合の花っていう指定があるだけましな感じですね」
「そうなんだよ。
まあ、異人にはどんな百合の花でも見せればよろこぶ。百合の花はわかりやすいほうさ」
それから、貞治は真面目な顔をする。
「かといって、いいかげんなものをいいかげんな気持ちで売って良いものでもない。
それをやっていっときは儲かっても、信用がなければあっという間におけらだ。
商売をするからには、誠意が必要だね」
それを聞いて、倫子は軽く頭を下げる。
「その通りです。商売には誠意が必要です。
いいかげんなことをすると、自分の首を絞めるっていうのは、肝に銘じておかないとですね」
倫子も、大きな店ではないとはいえ商売人だ。貞治の言っていることはよくわかる。
ふと、貞治がまた笑顔になって倫子に手を振る。
「それじゃあ、長居してしまったけどそろそろお暇するよ」
「はい、またいらしてくださいね」
店を出る貞治の後ろ姿を見て倫子はしみじみと思う。この店に来るときはあまり感じさせないけれども、貞治はしっかりとした信念を持った商売人なのだと。




