第三十六章 大人の階段
年の瀬も近づいた頃のお昼時。倫子はそろそろお弁当屋さんがお弁当を持ってくるのではないかとそわそわしていた。
そわそわしつつも、店を開けたときのことを思い出す。今日は学校が休みなのに、子供達が朝のうちに来なかったのだ。
子供達になにかあったのだろうかと、倫子は不思議半分不安半分で思いを巡らせる。学校が休みの日は、店を開けて朝一番と言ってもおかしくない時間に子供達が来るのに。
もしかしたら、今日はこの店以外のところで遊んでいるのかもしれないということにして、倫子は気持ちを落ち着かせる。
そうしていると、いつものように元気な、聴き慣れた子供達の声が聞こえてきた。
ガラス戸を叩く音も聞こえるので、入り口の方を見る。
「倫子さん、こんにちはー」
「あら光喜君、こんにちは」
ガラス戸を開けて、光喜と光喜についてきた子供達がわいわいと店の中に入ってくる。みんなどこかで遊んできたのかと思うような、にこにこと嬉しそうな顔をしている。
「あらあら、みんな今日は随分とご機嫌ね。
どこか新しい遊び場でも見つけたの?」
もし新しい遊び場を見つけたのであれば、どこにあるのか把握しておかないといけない。そう思って倫子が訊ねると、子供達が口々に話しはじめる。
「きょうはね、きょうかいにいったの!」
「教会にあそびに行った!」
それを聞いて、倫子は少し驚く。この子供達が気軽に行ける教会となると、おそらく夏彦が管理している教会だ。でも、今まで子供達が教会に行きたいと言ったことはなかったので、今日突然教会に行ったということが以外だったのだ。
「教会に行ったららねー、クッキーもらえたの」
「あら、クッキーをもらったの? よかったわね」
子供達が教会でなにかやらかしてないかと少し心配したけれども、クッキーをもらえているくらいなのだから、遊びに行ったと言ってもちゃんと良い子にしていたのだろう。
それに、夏彦が管理している教会に行くのであれば安心だ。夏彦はちゃんと子どものようすを見られる、良識ある大人なのだから。
倫子ははしゃぐ子供達ににっこりと笑って問いかける。
「クッキーはおいしかった?」
すると、子供のひとりが思い出すように口をもぐもぐさせてから笑顔で答える。
「すごくおいしかった」
「そう、おいしかったのね、よかった」
それから、倫子は光喜の方を見て訊ねる。
「今日行った教会って、夏彦さんのところ?
いつもクッキーを配ってるのかしら?」
それを聞いた光喜は、斜め上を見て答える。
「今日行ったのは夏彦さんのところですね。
いつもクッキーを配ってるのかどうかは、ちょっとわかんないです」
「そう、それだと、今日は運が良かったのね」
続けて、倫子は不思議に思ったことを訊く。
「でも、なんで急に教会に行こうなんて話になったの?」
すると、子供のひとりがこう言った。
「きょうかいでこのまえおまつりがあったっておにいちゃんがいったから」
「教会でお祭り?」
また不思議がる倫子に、光喜が言う。
「毎週礼拝をやってるのはお客さんから聞いて知ってたんですけど、それとはまた違う、なんか賑やかなのやってたって近所の人から聞いたんです。
それで、どんなお祭りやってたんだろうって思って」
「あら、そうなのね」
賑やかなお祭りを教会でやっていたと言われて、倫子はなんとなく思い当たる節があった。そろそろ、夏彦と愛子が結婚式を挙げる頃合いなのだ。もしかしたら近所の人は、その結婚式を見てお祭りだと思ったのかもしれない。
ひとりで納得している倫子に、光喜が話を続ける。
「それで、そのお祭りの後に夏彦さんがタキシードとドレスをうちの店に持って来たんです。
だから、もしかして夏彦さんがなにかやったんじゃないかと思うんですけど」
それを聞いて、倫子はくすりと笑う。
「きっとそのお祭りって、夏彦さんの結婚式よ」
倫子の言葉に、光喜は一瞬ぽかんとしてから、にっこりと笑う。
「そうだったんですね。そういえば、今日教会に行ったらお嫁さんと一緒にいました」
どうやら、愛子は早速教会の手伝いをしているようだ。もしかしたら、子供達に配ったクッキーを焼いたのも愛子かもしれない。
そんなことを思いつつ、倫子はまた光喜に訊ねる。
「そういえば、タキシードとドレスのお洗濯は終わったの?」
「夏彦さんのですか? 今乾かしてて、これからアイロンをかけるところです」
素直に答えた光喜は、少し遠くを見るような目をして、小さく息をつく。
「でも、あんなにすごい洋服を見ると、僕も仕立てられるようになりたくなっちゃうなぁ」
ほんとうに、洋服というのは光喜の好奇心を刺激するのだなと倫子は思う。少し夢見心地になっている光喜に、倫子はにっと笑って言う。
「それじゃあ、テーラーに弟子入りしてみたらどう?」
その言葉に、光喜ははっとした顔をして呟く。
「そうだなぁ。お得意様にテーラーもいっぱいいるから、相談してみようかなぁ」
「うふふ、がんばって」
そんな話をしていると、またガラス戸を叩く音が聞こえた。
「はーい、どうぞ入って」
倫子がそう声を掛けると、入ってきたのはお弁当屋さんだった。
「どうも倫子さんまいどあり。お弁当持って来ましたよ」
「いつもありがとう」
子供達をうまく避けながら倫子の側に来たお弁当屋さんからお弁当を受け取り、お代を渡す。するとお弁当屋さんは軽く頭を下げて、すぐに店から出て行ってしまった。他にも回るところがあるのだろうから、大変なものだ。
倫子が受け取ったお弁当を、子供達が羨ましそうな顔で見る。そんな子供達に、倫子は優しく声を掛ける。
「みんなももう、お昼ごはんの時間でしょ?
そろそろ家に帰ってごはん食べなきゃ」
すると、子供達は名残惜しそうに駄菓子やおもちゃを見てから、倫子に返事をする。
「わかった、おうちかえる」
「ごはん食べたらまた来るね」
そう言って子供達は光喜の腕を引っ張る。ほんとうに、光喜は子供達に懐かれているのだなと思わず微笑ましくなった。
子供達をうまくいなしている光喜に倫子が訊ねる。
「光喜君はお昼ごはんの後お仕事?」
「今日は一日おやすみですねー。
だから、お昼ごはんの後この子達と一緒にまた来ます」
「そう、それじゃあ楽しみにしてるわね」
倫子が光喜と子供達に手を振ると、子供達も手を振り返す。
「それじゃあおばちゃんまたあとでね!」
「ちゃんとおきててね!」
たまに居眠りしているのを子供達は知っていたのかと倫子は少し恥ずかしくなる。
とりあえず、子供達と光喜が店を出るのを見送ってから、倫子はお弁当に手を着けた。
静かになった店の中で、ゆっくりとお弁当を食べる。いつも通りの味のお弁当を堪能しながら、倫子はあることに思いを馳せていた。
先程、テーラーに弟子入りしてはどうかと光喜に言ったことだ。
光喜はほんとうに、テーラーに弟子入りするのだろうか。得意先に聞いてみるとは言っていたけれども、聞いてみて、ほんとうに弟子入りさせてもらえるような裁縫の腕を、光喜は持っているのだろうか。
もしかしたら、針と糸の使い方から教えてくれるかもしれないけれども、そうなると、かなり厳しい修行になりそうだ。
もし光喜がテーラーに弟子入りしたら、今働いている洗濯屋よりも忙しくなって、この店に来るのが難しくなるのではないか。そう思うと少しだけ寂しくなった。
まだ、光喜がテーラーに弟子入りすると決まったわけではないし、光喜もやっぱり洗濯屋の方が良いと思い直すかもしれない。
けれども、もし光喜がテーラーへの弟子入りを決意したとしたのなら。子供達の顔が思い浮かぶ。光喜と遊べる時間が今以上に減ったら、子供達は寂しがるだろう。
けれども、光喜だってもう遊んでばかりの子供ではないのだ。
光喜もきっと、もうすぐ大人になる。今日の些細なやりとりは、そのためのきっかけなのかもしれないと倫子は思った。




