第三十五章 やきもちオウム
冷え込むようになってきた頃の昼下がり、少し暖まろうと思った倫子は、七輪を出して炭を焚いていた。
せっかく炭を焚いているのだからと、串を通したお饅頭を三個ほど七輪に刺し、じわじわと焼いている。
甘い香りが店の中に漂う。寒くなってくるとよくお饅頭を焼くけれども、子供達がいる時に焼くと、欲しがる子がいるのでなかなか難しい。もっとも、子供達全員に配るわけにもいかないので、子供達には駄菓子を買ってもらっているけれども。
香ばしい香りもしてきたので、そろそろ食べようと思ったところで、外から大きな声が聞こえてきた。
「オアヨーウッ!」
この声は。と倫子は思い、咄嗟にお饅頭を火から少し離して刺し直し、入り口の方を見る。
「倫子さん、こんちは」
そう言いながらガラス戸を開けて入ってきたのは、やはり樹と、樹の肩に乗っている白蝋だった。
「樹さんいらっしゃい。白蝋君も元気みたいね」
倫子がにこりと笑ってそう言うと、樹は照れたように笑って返す。
「白蝋はなんていうか、元気だけが取り柄というか」
「うふふ、元気なのは良いことじゃないですか」
「元気すぎて、少し騒がしいけどね」
そんなやりとりをしていると、樹が店の中を見回して、鼻をひくひくと動かしはじめた。
「なんか良い匂いするね」
そわそわしたようすでそういう樹に、倫子はくすりと笑って言う。
「七輪でお饅頭を焼いてたのよ。その匂いかしらね」
「へぇ、焼き饅頭か。いいね」
樹はひょいと倫子越しに奥を覗き込んで、それからせんべいの入った器を見ている。
「お饅頭の匂い嗅いだらなにか食べたくなってきた」
素直な物言いに、倫子はついくすくすと笑う。
「それなら、お饅頭を一個どうぞ。
張り切って三個も焼いちゃって、焼きすぎたかなって思ってたところなのよ」
そう言って串に刺したままのお饅頭を樹に差し出すと、樹はにっと笑って串を受け取る。
「なんか催促しちゃったみたいで悪いね。
いただきます」
樹がお饅頭を食べはじめたので、倫子もお饅頭を一個食べはじめる。そしてそのまま、樹にこう訊ねた。
「ところで、今日はどんなご用事かしら?」
倫子の問いに、樹は満足そうな顔をして返す。
「だいぶ前にここで文廻し買ったじゃん?
あれがだいぶ役に立っててさ、その話をしようと思って」
「あら、そうなのね」
「やっぱり文廻しがあると丸を描くとききれいに描けるし、何より楽。
本当にあれは買って良かった」
この店で買ったものでここまで喜んでもらえるなんて、倫子も素直に嬉しい。けれども、と倫子は思う。
「気に入ってもらえたようでよかった。
でも、なんで急にその報告を?」
すると樹は、お饅頭を口に詰め込んで、飲み込んでから答える。
「実は、この前すごくたくさん丸を描くことになってさ、その時に役に立ったんだよ」
「たくさん丸を。なんでまた急に?」
不思議に思った倫子に、樹は困ったように笑う。
「まあ、色々あってさ」
「仕事の占いで使うのかしら?」
「大体そんな感じかな」
樹は、仕事のこととなると急に歯切れが悪くなることがある。それはどんな仕事でも他の人には話せないことがあるだろうというのはわかるのでそういうものなのだろうとは思うけれども、なぜそこで歯切れが悪くなるのか。というところで言葉を濁すことが多いので、倫子は樹について、それを不思議に思うことがよくある。
でもまあ、話せないことを無理に聞くのも良くないだろうなと、倫子は話を変える。
「そういえば、樹さんは旦那さんっていないのかしら? 今まで聞いたことがないけど」
その問いに、樹はぎくりとした顔をしてから苦笑いをする。
「実はいないんだよね。いるように見えた?」
「いないように見えたから訊いたのよ」
「だよねー」
樹もいい加減いい歳だ。倫子も結婚が遅かったので人のことは言えないけれども、心配になってしまう。
「だれか、お勧めされたりはしないの?」
倫子がそう訊ねると、樹は苦笑いをしたまま返す。
「勧められはするんだけど、白蝋がねぇ……」
「え? 白蝋君がなにか?」
お見合いをするのに白蝋がなにか問題になるのだろうか。そう思った倫子が白蝋を見ると、白蝋はきょとんとした顔で樹に頭を擦り付けている。
「キュルルルルル」
「かわいこぶってるんじゃないよ」
樹は白蝋の背中を軽く叩いてから言葉を続ける。
「実は、お見合いっていうか、勧められた相手に会うと、白蝋がすごい勢いで噛み付くもんだから、最近じゃあ誰も寄りつかなくなっちまってね」
「えっ? 白蝋君ってそんなに荒々しいの?」
「そうなんだよ。普段はおしゃべりしてる印象の方が強いだろうけど」
白蝋は、子供達に囲まれているとき上機嫌そうにおしゃべりを披露しているので、どちらかというと人懐っこい方なのではないかと倫子は思っていたけれども、実際は警戒心が強く、人見知りするのだろうか。
「白蝋君も、人をこわがるのねぇ」
倫子がぽつりとそう言うと、樹はまた白蝋をポンポンと叩く。
「こわがってはいないと思うんだよね。ただ気に入らないだけで」
そういうものなのだろうか。白蝋の気に入る気に入らないの基準がわからない。
倫子がそう思っていると、樹が白蝋のくちばしを触りながらこう言った。
「まあ、なんなら白蝋と一緒にずっと独り身でも良いかなって最近は思ってきてる」
「そうなの?」
「なんていうかね」
そのやりとりを見ていた白蝋が、急に首を伸ばして声を上げる。
「オヨメサン!」
それを聞いて、白蝋の声はある程度聴き慣れていたはずの倫子も驚く。
「あら、白蝋君、こんな言葉も覚えてるのね」
感心する倫子のようすに、樹は白蝋を落ち着かせながら返す。
「こいつも、なんだかんだ賢いから」
「ほんとうに、賢いわよねぇ」
白蝋が落ち着いた所で、樹が溜息をつく。
「でも、ほんとうはあたしも結婚はしたいんだ」
樹の言葉を聞いてか、白蝋が頭の羽を立ててわなわなと震える。それを見て、倫子は樹に言う。
「でも、白蝋君が噛み付いちゃうんでしょう?」
「そうなんだけどさ。白蝋が認めてくれる相手がいてくれたらなとは思う。
あたしも、できればその方がいいし」
そう言った樹は、指で白蝋の頭の後ろを撫でる。そうしていると、白蝋はだんだん落ち着いてきたのか、立てた頭の羽を引っ込めた。
これだけ樹と白蝋は心を通わせているのだ。きっと樹にとって、白蝋の存在を否定するような相手は受け入れられないのだろう。
「樹さん、白蝋君のことがほんとうに大事なのね」
倫子がそう言うと、樹は照れたように笑ってこう返す。
「ああ、こいつには敵わないんだよ」
「うふふ、白蝋君も、樹さんのことが大好きだものね」
樹と倫子の話がわかるのか、白蝋が機嫌良さそうに、首を伸ばしたり縮めたりして声を上げる。
「オハヨーウ! オアッ!」
「あらあら、ご機嫌ね」
倫子がくすくすと笑うと、白蝋は目を細めてうっとりとした顔で、頭を樹にすり寄せる。それから、小さい声でこう言った。
「オヨメサァン……」
「まったく、おちつきな白蝋」
甘えてくる白蝋を撫でている樹を見て、倫子は思わずこう言った。
「白蝋君ったら、まるで樹さんが自分のお嫁さんだって言ってるみたい」
「あー……そう言うところはあるかも」
樹は困ったような照れたような笑みを浮かべて、白蝋を見る。
どことなく白蝋は、自慢げな顔をしていた。




