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第三十章 はじめての鉛メンコ

 穏やかに時間が過ぎるおやつ時。今日も学校が終わった子供達が店で思い思いに駄菓子やおもちゃを買って、店先で遊んでいる。

 賑やかな子供達の声は、ほんとうに心を穏やかにしてくれる。少し前に清との戦争も終わったというのもあり、素直にこの子供達の将来に希望を持てる気がしたし、子供達から希望をもらえる気がするのだ。

 これから先何年も経って、その時に日本を支えるのは、あの子供達だ。子供達のためにも、今ある穏やかな生活を守っていきたいと倫子は思う。

 子供達が遊ぶ姿をガラス戸越しに眺めていると、子供達が急に歓声を上げた。

「いじんさんだ!」

「緑丸だ!」

「なんで一緒にいるの!」

 その声を聞いてよくよく見てみると、バイオレットと緑丸、それに恵次郎が店に近づいてきていた。

 三人は店の前で立ち止まり、店の奥へと視線を投げかけてくる。そうしていると、あっという間に子供達に囲まれてしまった。

「おう、どうした坊主達」

 緑丸が子供達に話し掛ける声が聞こえてくる。バイオレットもなにか言っているけれども、なにを言っているのかはわからない。

「いじんさんなんていってるの?」

 子供の誰かがそう訊ねると、恵次郎ではなくなぜか緑丸が答える。

「みんな元気で良い子だなって」

 その言葉に、子供達はまた歓声を上げて緑丸とバイオレットにまとわりつく。その子供達の頭を緑丸とバイオレットが撫でているのだけれども、緑丸はいつの間に外国語がわかるようになったのだろうと、倫子は不思議に思う。

 ひとしきり子供達の相手をしてから、緑丸がガラス戸を開けて声を掛けてきた。

「倫子さん、こんちはー」

「こんにちは。どうぞ入って」

 緑丸とバイオレット、それに続いて恵次郎が店の中に入り、店の中を見渡している。そのようすを見て、倫子はこう訊ねた。

「今日はなにを見に来たのかしら。また日本のなにか?」

 その問いに、緑丸がバイオレットを肘で突いてこう返す。

「今日はバイオレットに日本のおもちゃを見せてやろうと思ってさ。だからそのあたり見せてもらうよ」

「はい、ごゆっくり」

 緑丸とバイオレットは、早速おもちゃの入った箱の前でしゃがみ込んで中を見る。きっと不思議なものが入っているように見えるのだろう、バイオレットが声を上げて、緑丸もそれに答えるように色々と話し掛けている。

 それを見た恵次郎が、倫子に軽く頭を下げて申し訳なさそうにする。

「すいません倫子さん。兄さんとバイオレットが騒がしくしてしまって」

 倫子はくすくすと笑って返す。

「いいんですよ。子供達だっていつも賑やかだし、そんなものだと思えば」

「子供……たしかに……」

 おもちゃを見てはしゃぐ緑丸とバイオレットを見て、恵次郎が手で額を押さえる。まさかここまではしゃぐとは思っていなかったのだろう。

 ふと、倫子は気になったことを恵次郎に訊ねる。

「そういえば、緑丸さんは外国語の勉強をなさってるのかしら。さっき、バイオレットさんの言葉がわかっているようだったけれど」

 その問いに、恵次郎は不思議そうな顔をして言う。

「いや、そういうわけではないんだ。

ただ、兄さんとバイオレットはすごくこう、気があうみたいで、言葉が通じてなくてもなんとなく言いたいことがお互いわかってしまうみたいで」

「あら、そんなに気があうなんていいですね。似たもの同士なのかしら」

「それは否めない」

 恵次郎と倫子でそんなやりとりをしていると、突然バイオレットがなにかを手に取って声を上げた。

「カッコイイ!」

 そういえば、バイオレットはちょいちょい日本語を話すなと思いながら倫子がそちらを見ていると、バイオレットが手に取っているのは、手の平に乗る大きさの鉛メンコだった。

 バイオレットが緑丸の方を見て、それから恵次郎の方を見て鉛メンコを見せる。それに対して恵次郎が、外国語でバイオレットに話し掛けた。すると、バイオレットが驚いたような声を上げる。

「ホワッ?」

 そのようすに、緑丸は朗らかに笑ってバイオレットに言う。

「そう、これをバシーンって叩き付けて遊ぶんだよ。やってみるか?」

 だからなんで緑丸は外国語がわかるのだろう。やはりそこは不思議だったけれども、緑丸の言う日本語はなぜかバイオレットにも通じているようで、バイオレットは緑丸の言葉に頷いている。

「じゃあ、俺の分とお前の分と一枚ずつ買うか」

 緑丸はバイオレットに好きな鉛メンコを選ばせ、自分の分も一枚選んで倫子のところへと持ってくる。

「倫子さん、お勘定」

「はい、まいどあり」

 倫子が手早く勘定を済ませると、緑丸は早速バイオレットに鉛メンコを片方手渡した。

 鉛メンコを渡されたバイオレットは、なにやらそわそわしたようすで緑丸をじっと見ている。それから、なにかを緑丸に語りかけると、緑丸はまた笑ってこう言った。

「そっか。じゃあ外に出て一緒にやってみるか。

外の子供達も、これ持ってるかもしれないし、持ってる子がいたら一緒に遊んでもらおう」

 それを聞いたバイオレットは嬉しそうに笑って、早速店の外へと飛び出していく。緑丸もまあまあいい勢いで飛び出した。

 店先で遊んでいる子供達に緑丸が声を掛ける。

「おう、坊主達。鉛メンコ持ってるのはいるか? こいつが鉛メンコで遊んでみたいらしいんだ」

「いじんさんもメンコであそぶの?」

「そう。ただ、はじめてだから負けても取らない決まりでやろう」

 珍しい異人であるバイオレットと、人気者の緑丸と一緒に遊べるとなり、子供達が沸き立つ。

「おれメンコもってるよ!」

「俺も持ってる!」

 わいわいと賑やかさが増し、緑丸とバイオレットが子供達と一緒に早速鉛メンコで遊んでいる。バイオレットはさすがにはじめてというだけあって負け続きだけれども、それでも楽しそうだった。

 倫子と一緒に店の中から緑丸とバイオレットのようすを見ていた恵次郎が、ぽつりと零す。

「バイオレットは、随分と日本に馴染んでしまったようだな」

 少しだけ呆れたようなその口調に、倫子はくすくすと笑う。

「いいじゃないですか。それでなにか悪いことがあるでもなし。

それに、外国では今、日本のものが人気なんでしょう?」

「それはそうなんだが、あいつを見てると限度というものはあるだろうと多少は思うな」

 もしかしたら、バイオレット以外の異人はここまで日本に馴染んでいるわけではないのかもしれない。それがあるから、恵次郎はバイオレットのすることに戸惑いがあるのだろうなと倫子は思う。

「でも、嫌われるよりはずっといいでしょう」

 倫子がそう言うと、恵次郎は少しだけ笑みを浮かべる。

「わかる。それもそうだ」

 ふと、外の賑やかな声が少し落ち着き、ガラス戸が開く音がした。なにやらまた緑丸とバイオレットが店の中へと入ってきたのだ。

「あらふたりとも、遊ぶのはもういいんですか?」

 倫子がそう訊ねると、バイオレットがせんべいの入った器を差してこう言った。

「センベイ」

 続いて緑丸が言う。

「坊主達が食べてるせんべい見て、バイオレットもせんべいを食べたくなったみたいなんだよ。だからザラメのやつ二枚もらえるか」

「はい、まいどあり」

 倫子はザラメのせんべいを二枚取りだし、勘定をして緑丸とバイオレットに渡す。するとふたりは、また店の外に飛び出して、子供達に混じってせんべいをかじり、鉛メンコで遊ぶのを再開した。

 そのようすを見ていた恵次郎が溜息をつく。

「まったく、いつまでも子供なんだから……」

 それを聞いて、倫子はくすくすと笑う。

「まぁ、元気なのがなによりですよ。

それに、緑丸さんとバイオレットさんに遊んでもらえて、子供達も嬉しそうです」

 恵次郎は改めて、外で遊ぶふたりと子供達を見る。それからくすりと笑ってこう言った。

「それも悪くない」

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