第三章 ビー玉と螺鈿細工
今日も倫子がお店を開けてお昼時。いつものお弁当屋さんのお弁当を食べ終わった倫子は、奥から出て店内の手入れをしていた。
午前中は近所の人達が来て色々見ていったので、並べていた商品が動いている。なので、それらの商品を元通りの場所に戻す作業をお客さんが途切れている今の内にやってしまおうと思ったのだ。
舶来品はやはり、人々の興味を惹く。ハンカチやブローチ、鏡などを頻りに見る人が多く、その辺りのものの位置がだいぶごちゃついていしまっていた。
日用品も改めて整理し直して、店内がまた整ったところで外から声が掛かった。
「倫子さん、こんにちは」
そう言ってガラス戸を開けているのは、紫色の短い髪をきれいに整えている着物姿の男だ。なかなかに上等な着物を着ている。傍らには、水色の髪をかんざしで結い上げている女と、臙脂色の髪を短くまとめた八歳くらいの子供を連れている。
そんな彼らを見て、倫子はにっこりと笑って返す。
「貞治さんいらっしゃい。どうぞ中に入って」
貞治と呼ばれた男が中に入ると、子供は貞治に連れられた女と手を繋いできょろきょろと店内を見ている。
「あら、有治君なにか珍しいものはある?」
そう言って倫子が有治と呼ばれた子供に話し掛けると、有治は棚の上にある舶来品の鏡を指さして返す。
「あのかがみきれい」
それから、手を繋いでる女を見上げて話し掛ける。
「おかあさん、あのかがみきれいだよ」
「そうね、きれいね」
有治の頭を撫でてにこにこと笑う女に、倫子が声を掛ける。
「有治君はあいかわらずかの子さんが好きなのね」
「そうなんですよ。いつもお父さんよりお母さんがいいって」
「あらあらそれは」
倫子とかの子と呼ばれた女性がくすくすと笑っていると、舶来品を見ていた貞治が有治の方を見る。すると有治はそっぽを向いていしまった。
苦笑いを浮かべる貞治が、気を取り直すように倫子に訊ねる。
「ところで、今日は近くに来たから寄ってみたんだけれども、なにか新しい舶来品はあるかな。
有治が見てた鏡は、新しく入ったもののように思えるけれど」
その問いに、倫子は貞治の側に行って舶来品をいくつか指さす。
「そうですね。こちらの鏡と、それからこちらの刺繍のハンカチ、それにこの螺鈿の小箱が新しく入ったものです」
紹介された品物を見て、貞治は興味深そうに頷く。それから、有治と一緒におもちゃの入った箱を見ていたかの子にこう訊ねた。
「かの子、きれいなものが色々入っているけれど、欲しいものはあるかい?」
すると、かの子ではなく有治が、おもちゃ箱の中からビー玉と鉛メンコを取りだして貞治に見せる。
「あら、有治はそれが欲しいのね」
有治の仕草にかの子が微笑んでいると、貞治はまた苦笑いをして言う。
「うーん、お父さんが訊いたのはお母さんになんだけどなぁ」
すると有治は、またビー玉と鉛メンコを貞治に見せる。
「これ」
その様が微笑ましくて、思わず倫子も笑顔になる。有治がこういったものを欲しがるだろうというのは、倫子にはわかっていた。
「ビー玉と鉛メンコは、近所の子達にも人気のお品なんですよ」
倫子がくすくすと笑って貞治に言うと、貞治はにっと笑う。
「おや倫子さん。売ったら儲かりそうな舶来品より子供のおもちゃをおすすめするのかい?」
きっと貞治は、儲けよりも自分の子供を気にかけてくれているというのが嬉しいのだろう。それがわかった上で、倫子はこう続ける。
「もちろん、両方買ってもらうに超したことはないんですよ、貞治さん」
すると貞治は、愉快そうに笑い出す。
「いやはや、したたかな人だ。
やっぱり倫子さんにはかなわないね」
それから、貞治は有治に目線を合わせるようにかがんでから、有治に訊ねる。
「それが欲しいのか」
「うん」
「でも両方はだめだ。どっちか選べ」
その言葉に、有治は難しそうな顔をする。倫子としては両方買ってもらった方が儲けにはなるけれども、両方買えばいいとはあえて言わない。貞治の機嫌を損ねるとかそういうことではなく、有治くらいの年の頃から選ぶということ、我慢するということを覚えさせなくてはいけないというのをわかっているからだ。
不満そうにする有治に、かの子が優しく問いかける。
「有治、どっちの方が欲しいって思うか、よく考えて。よく考えたら、お父さんも買ってくれるだろうから」
「うーん……」
かの子に言われて、有治は両手に持ったビー玉と鉛メンコを見比べる。それから、ビー玉と鉛メンコをかの子の方にかざして、また見比べる。そうしてから、有治は鉛メンコをおもちゃの箱に戻してかの子に言った。
「ビーだまがいい。きらきらだよ」
「そう、ビー玉がいいのね。
それなら貞治さん、私もビー玉が欲しいです」
有治とかの子のやりとりを見ていた貞治が、くすくすと笑ってかの子に言う。
「君はいつも有治のことばかりだね」
するとかの子もにっこりと笑って返す。
「もちろんです。だって私はお母さんですから」
それを聞いた貞治が、かの子の手を取ってさらに返す。
「たしかに君は有治のお母さんだけれども、私の妻だということも忘れないでおくれよ」
そのさまを見ていた倫子は、また貞治お得意ののろけがはじまったなと思う。けれども、けんかをしてぎすぎすした雰囲気になるよりは、こうして夫婦仲がいい方が有治のためにはいいだろう。なので、特に茶化すということもなくふたりのやりとりを見守る。
ふと、貞治がかの子に言った。
「たまには、私から君に贈り物をさせてくれないかな。
舶来品でなくてもいいから、なにか欲しいものはないかい?」
貞治の問いに、かの子が店内をぐるっと見回す。それから、舶来品の置かれた棚に近寄りじっくりと眺める。かの子もやはり、舶来品に興味があるようだ。
かの子がどんなものを選ぶのか、倫子が見守っていると、かの子は刺繍のハンカチと螺鈿の小箱を見比べてから、小箱の方を指さして貞治に返す。
「それでしたら貞治さん、私はこの小箱が欲しいです」
それを聞いて、貞治は嬉しそうな顔をする。
「そうか、そのきれいな箱が欲しいか」
小箱を手に取って、貞治が倫子に訊ねる。
「ところで倫子さん、この小箱はどこのものだい?」
「その小箱は清のものです。
日本でもそういった螺鈿細工はありますが、清のものも意匠が独特でいいでしょう?」
倫子の言葉に、貞治は改めてじっくりと小箱を見る。
「そうだね。やはりどこか、異国の趣がある」
満足そうな顔をした貞治は、螺鈿の小箱と有治が持っていたビー玉を倫子に渡し勘定をする。
ビー玉は有治がそのまま持っていきたいと言ったのでそのまま渡し、小箱の方は側にいるかの子に渡すものとはいえ贈り物ということだったので、丁寧に紙で包んで貞治に手渡した。
ビー玉を受け取って上機嫌な有治にかの子が話し掛ける。
「あとでお母さんと一緒にビー玉で遊びましょうね」
「うん! ビーだまね、おかあさんみたいにきらきらできれいだよ」
それを聞いていた貞治がまた愉快そうに笑う。
「なるほど、君はあの小箱にビー玉を入れるつもりなのか。
それなら有治のビー玉がいっぱい入る、もう少し大きな箱でもよかったね」
「そうですね。でも、あの箱がきれいだったから」
愉快そうな貞治につられて、かの子も微笑み、有治も笑い声を上げる。
そのさまを見て倫子は、ほんとうに仲の良い家族なのだなと微笑ましくなった。