第二十六章 嬉しい報告
干していた洗濯物を取り込んで畳み終わり、穏やかな時間が流れるおやつ時。学校が終わった子供達が賑やかに、いつものように先程駄菓子とおもちゃをそれぞれに買って、それから店の前で遊んでいる。
いつの間にか近所の子供達はこの店の前で遊ぶのがお決まりになってしまっているけれども、子供達の親としては、この店の前で遊んでいる分には倫子の目があるので安心とのことだった。
もちろん、子供達の遊び場はこの店の前だけでなく、山の中だったり、神社の境内だったりもするけれども、やはり駄菓子が買えるというのは子供達にとって魅力なのだろう。気がつけばこの店の前にいることが多いのだ。
子供達の声を聞きながら、店の奥でぼんやりする。そうしていると、ガラス戸を叩く音が聞こえた。
「ごめんください」
「倫子さん、いますか?」
その声に倫子はすぐさまに返す。
「はい、いますよ。中へどうぞ」
すると入ってきたのは、なんとなく改まった雰囲気の夏彦と愛子だった。
このふたりがお付き合いをはじめたという話は聞いていたけれども、実際にふたり揃ってこの店に来たのははじめてなので、倫子は少し驚く。
「あら、今日はふたり一緒なんですね。お散歩ですか?」
倫子の言葉に、夏彦も愛子も真っ赤になって身を硬くする。
「あの、一緒におでかけというのももちろんあるんですけど」
緊張したようすの夏彦を見て、倫子は他にもなにか用事があるのだなと察する。
夏彦と愛子で目配せをして、照れたようにはにかんで、愛子が倫子に言う。
「今日は、その、ご報告したいことがあって」
「そうなんですか? 一体なんでしょう?」
そういえば、愛子と夏彦がお付き合いをはじめたという話は、本人達からは聞いていない気がする。もしかしたらその話なのかもしれないと思って倫子がふたりの言葉を待っていると、愛子がそっと夏彦の服の袖をつまんで、それから、ふたり一緒に倫子に頭を下げて夏彦がこう言った。
「この度、私と愛子さんが無事に婚約することができました」
それを聞いて、倫子の中に嬉しい気持ちが沸き立った。
「まぁ、ついに! おめでとうございます」
素直にお祝いの言葉を告げると、夏彦は頭を下げたまま言葉を続ける。
「これも倫子さんのおかげです。倫子さんが私達の背中を押してくれたから、ここまで来られました」
たしかに、愛子が恋文を書くかどうか悩んでいるときに後押ししたのは倫子だし、夏彦が返事を返すときに愛子に贈った贈り物を選ぶのを手伝ったのも倫子だ。けれども、それ以上のことはしていない。そこから先へと進めたのは、あくまでもこのふたりの成したことなのだ。
「夏彦さんも愛子さんも、そんなにかしこまらないで。ね? 顔を上げてください。
その、私まで緊張してしまいます」
「あ、すいません」
倫子の言葉に夏彦と愛子が顔を上げる。その表情は、赤くはなっているけれども晴れやかだった。
そんなふたりを見て、倫子が訊ねる。
「でも、ふたりともご両親に反対はされませんでした?」
その問いに、愛子は笑って返す。
「両親はさほどでもないんです。夏彦さんは恵兄さんの学友だから、信用おけるだろうって言ってて」
それに続いて夏彦も口を開く。
「それに、私は家を出ているので、愛子さんのご両親から出された婿養子になるならという条件も、特に問題はないんです」
「あら、そうだったんですね。それならよかったです」
滞りなく婚約の話が進んだのだなと倫子がにこりと笑うと、愛子は少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「ただ、緑兄さんと恵兄さんがすごくごねてしまって……」
「わかる」
愛子の言うことも倫子には容易く想像できた。正確には、緑丸と恵次郎がこの店に来て、実際に倫子の目の前でごねて見せたので、愛子と夏彦の前でごねないはずがないというのがわかっていたのだ。
愛子と倫子のやりとりを見ていた夏彦が、慌てたように手を振る。
「いや、でも、緑丸さんも恵次郎さんも、結局は認めてくれましたし、その、はい。大丈夫です」
愛子のことで揉めたとはいえ、なんだかんだで夏彦は恵次郎から信頼されているのだろう。夏彦のようすを見る限りでは、あのふたりに罵倒されたということはなさそうで、ただただ駄々をこねられただけなのだろうなと、倫子はなんとなく思った。
なんにせよ、婚約できたというのはおめでたい話だ。そうなると、これから先のことも気になるというものだ。
「ふたりとも、もう結納の日は決まってるんですか?」
そう、これが倫子の気になるところだ。婚約だけしても、結納を済ませないと結婚はできない。結納の日取りが決まっていないと、まだ安心できないのだ。
すると、夏彦が愛子のことをじっと見てからこう返す。
「結納は、半年後くらいを予定しています」
それから、愛子も夏彦のことをじっと見てからこう言った。
「結納を済ませたら、またご報告しますね」
結納の日取りも大体決まっていると聞き、倫子は安心する。
「おめでたい報告、待っていますね」
夏彦と愛子はまた照れたように笑って、ちらちらとお互いを見ている。ほんとうにこのふたりは、心から惹かれ合っているのだなと倫子は微笑ましく眺める。
ふと、愛子が着けている帯留めが倫子の目に入った。その帯留めはうさぎを模った七宝で、倫子も見覚えのあるものだった。
視線に気づいたのだろう、愛子がくすくすと笑って言う。
「夏彦さんから素敵な帯留めをいただいたけれど、これからは教会のお手伝いをするのに洋服を着ることが増えるだろうから、着ける機会も減るかもしれませんね」
それを聞いた夏彦は、愛子の手を取って見つめる。
「愛子さん、着物の方が楽なら、着物のままでもいいんだよ」
愛子もまっすぐに夏彦を見つめ返す。
「その気持ちは嬉しいけれど、夏彦さんと似た服も着たいです」
愛子の言葉に、夏彦は耳まで真っ赤になる。
このようすだと、このふたりも貞治とかの子のような仲良し夫婦になるのだろうなと倫子は思う。
「これからのことが楽しみですね」
倫子が嬉しそうにそう言うと、夏彦と愛子も笑顔で頷いた。
「楽しみです」
「楽しみですよね」
きっとこれから先、楽なことばかりではないと思う。けれども、つらいことがあってもこのふたりならきっと乗り越えられると倫子は感じた。
ふと、倫子はあることを思い出す。
「そういえば、夏彦さんが婿入りしてしまったら、夏彦さんの家はどうするんですか?」
その問いに、夏彦は少しだけ暗い顔をして答える。
「私の家は、弟が継ぐことになっています」
「そうなんですか?」
「はい、私の両親はクリスチャンに反感を持っていまして、それで私は家を出たんです。
弟はクリスチャンではないので、両親としては、弟の方に家を継がせたいでしょうね」
それを聞いて倫子は、これは聞かない方がいいことだったのかも知れないと思った。きっと夏彦は、自分の意思でとはいえ家を捨てたことを、多少なりとも気に病んでいるだろうからだ。
夏彦の気持ちを察したのか、それとも倫子の気持ちを察したのか、愛子が夏彦の腕を掴んで、にこりと笑って言う。
「夏彦さん、そんなに気に病まないで。
これからは夏彦さんは私達の家族になるんです。
だから、きっと、私と幸せになりましょう」
その言葉に、夏彦は愛子の手をぎゅうと握り返す。
夏彦が今、どんな気持ちを抱えているのか倫子にはわからない。もしかしたら愛子にも、夏彦自身もわかっていないのかもしれない。
それでも、このふたりなら、その言い表しづらい気持ちも乗り越えていけるのではないかと思ったし、そう信じたかった。




