第二十三章 つれない理由
冷え込むようになってきたある日のこと、値段を付け終わった舶来品を棚に並べ終え、七輪で焼いたお饅頭を食べて倫子は一息ついていた。
そろそろ子供達も学校が終わって遊びに来る頃だ。もうすぐまた賑やかになるぞと楽しみにしていると、早速ガラス戸を叩く音がした。
「はーい、開いてますよ」
倫子がそう返事をすると、入ってきたのは子供達ではなく貞治だった。
「ごめんください」
咄嗟に貞治の周囲を見る。かの子も有治もいないようだ。
「あら、貞治さんがひとりで来るなんて珍しいですね」
思わず驚いてしまった倫子がそう言うと、貞治は困ったように笑って返す。
「私だって、ひとりで出歩くこともあるさ。
かの子にはじめての贈り物をしたときも、ひとりで来ただろう?」
「あ、それもそうですね」
ということは、今日もまたかの子への贈り物を見に来たのだろうか。そう思った倫子は、舶来品が並んだ棚に目をやって貞治に訊ねる。
「今日もまた舶来品をご覧になりますか?
新しく出したものもあるのですけれど」
「そうなのかい? それじゃあ見させてもらうよ」
貞治は早速舶来品が並んだ棚の前へと行き、しげしげと眺める。見ているのは刺繍入りのハンカチやオルゴール、それに鏡。その辺りを見ているとなると、やはりかの子への贈り物だろう。
しばらく貞治のようすを見ていると、突然貞治が溜息をついた。
「どうなさいました?」
気に入った舶来品がなかったのだろうか。それを危惧した倫子が声を掛けると、貞治は困った顔をして頭を振る。
「実はね、最近どうにもかの子がつれない態度で困っていてね」
「そうなのですか?」
あんなに貞治に惚れ込んでいるかの子が、なぜ貞治につれない態度を取るのか。倫子も不思議に思いながら貞治の話を聞く。
「なにか機嫌を損ねるようなことをしてしまったんじゃないかとは思うんだけれども、どうにも心当たりがなくてね」
「そうなんですか? うーん、でも、自分ではなかなか気づけないものですしねぇ」
倫子がそう言うと、貞治はしょんぼりしたようすで言葉を続ける。
「私もそう思ったんだよ。それで、有治にもなんでかの子がつれないのか知っているか訊いたら、知らないけれど私がなにかやったんじゃないかと言われる始末でね」
「ああ、有治君の目にはそう映るんですね」
そうなってしまうと、ますますかの子がつれない態度を取っているのがわからない。どうしてしまったのかと倫子は考えて、あることを思い出した。かの子が貞治とその友人の仲を知りたがっていたということだ。
「そういえば貞治さん、かの子さんのことを置いてご友人と会いにいっているという話を聞いたのですけれど」
「ん? それはだれから?」
「かの子さんからです」
それを聞いた貞治は、慌てたようすで倫子にこう言った。
「もしかして、かの子は私が浮気をしていると思っているのかな?
浮気じゃないんだ、信じてくれ。ほんとうに友人に会いに行っているだけなんだ。かの子にも相手が誰かも話してあるし、もしかの子が浮気を疑っているなら、倫子さんからもぜひ口添えを願いたい……」
最後の方は情けない声になってしまっている貞治の言葉に、倫子は困ったように笑って返す。
「いえ、貞治さんの浮気を疑っているわけではなかったです。
ただ、かの子さんは貞治さんのご友人の話を聞きたいらしくて」
すると貞治は、情けない声のままこう言ってきた。
「もしかしてかの子は、あいつに気があるのか?」
今にも泣き出しそうな貞治に、倫子は手を振ってその言葉を否定する。
「そうではないんです。かの子さんはほんとうに、貞治さん一筋ですよ。それは私から見てもわかります。ただ」
「ただ?」
縋るように倫子を見てくる貞治に、倫子は少しだけ言いづらそうに言う。
「その……貞治さんとご友人の、友情の話を聞きたいらしくて……」
それを聞いた貞治はぽかんとしている。
少しの間お互い黙り込んで、それから、貞治がぽつりと零す。
「もしかして、かの子はそれでへそを曲げているのかい?」
「かもしれないです」
倫子の返事に、貞治は溜息をつく。けれども、溜息の後の表情は困ったようではあるけれども、少し晴れやかだった。
「そうか、かの子の悪い癖がまた出たか」
あれがかの子の悪い癖だというのは貞治も把握していたのか。安心したようなそうでないような複雑な気持ちを倫子が抱えていると、貞治はにこにこしながらこう言った。
「そんなに私とあいつの仲を気にしているのなら、今度かの子にじっくり聞かせてやるとするか。
それで機嫌が直るなら、万々歳だ」
「そうですね。特に隠し立てするようなことがないなら、話してしまった方がいいかもしれませんね」
ふと、貞治が倫子に訊ねる。
「そういえば倫子さんは、私の浮気を疑ったりはしていないのかい?」
その問いに、倫子は当然といった顔で返す。
「疑うわけあるわけないじゃないですか。
貞治さんもかの子さんも、あんなにお互いのことを思いやって大事にしてるのが見てるだけでわかるのに、浮気なんて考えられないですよ」
「そうか、よかった」
倫子の言葉に、貞治は満足そうに頷く。それを見た倫子が言葉を続ける。
「ただ、あれなんですよね」
「ん? なんだい?」
「仲が良いところを堂々と見せつけられてしまうと、こちらが恥ずかしくなるというか」
その言葉を聞いた貞治は、一瞬きょとんとしてから笑う。
「それはすまないね。でも、どうしてもふたりでいるとああなってしまうんだ」
「まぁ、わからないでもないですけれどね」
仲のいい夫婦がふたりでいると、どうしてもいちゃついてしまうのは倫子にもわかる。正直言ってしまえば、はたから見ていると倫子と季更も、そういうところがあるのではないかという自覚はあるのだ。
なにはともあれ。と、倫子は貞治に言う。
「ご友人とのお話をかの子さんにして、機嫌を直してもらえるといいですね」
「ああ、そうだね。ただ、ひとつ問題があるんだ」
「問題ですか?」
一体どんな問題があると言うのだろう。やはり、友人の話をしてかの子が興味を持つのはあまり好ましくないと思っているのだろうか。倫子がそんなことを考えていると、貞治は苦笑いをしてこう続ける。
「そういう話をするとね、かの子はすごく興奮するんだ。
そんなところを有治に見られたらと思うと、それだけ少し気が重いね……」
「ああ、うん、それはそうですね……」
男同士の友情の話を聞いて、かの子が取り乱すだろうというのは先日のようすからしても想像に難くない。そんな姿を息子の有治には見せられないだろう。
「有治君が学校に行っている間に話すしかないでしょうねぇ」
倫子の言葉に貞治は頷く。そしてすぐに表情を明るくして倫子に軽く頭を下げた。
「とにかく、かの子が拗ねている理由がわかって良かった。倫子さんには感謝するよ。
ありがとう」
「いえいえ、私もたまたまかの子さんから聞いていただけですから」
「帰ったらかの子にあいつの話を聞かせてやるか。有治が帰って来る前に」
そう言って、貞治はまた舶来品の棚を見て、倫子に手を振る。
「今日はちょっと、買い物どころではなくなってしまった。
悪いけど、このまま帰らせてもらうよ」
「いえ、お役に立てたならそれでいいです。
それでは、ご健闘をお祈りいたします」
倫子も手を振り返すと、貞治はそそくさと店の外へと出て行く。貞治の姿が見えなくなったところで、賑やかな声が聞こえてきた。子供達がやって来たらしい。
「おばちゃーん、いるー?」
「倫子さんこんちわー」
わいわいと店の中に入ってくる子供達の中には、有治も混じっているのが見えたので、ここはうまく時間かせぎをしないとと倫子は思う。
「みんなゆっくり遊んでいってね」
さて、有治が帰るまでにかの子は落ち着くだろうか。




