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第十九章 氷ガラスを買って

 暑いくらいの良い天気のある日、おやつ時になり倫子の店にやって来た子供達は、あいかわらず賑やかだった。

「おばちゃん、こんぺいとうちょうだい」

「おれはせんべい!」

 それぞれに食べたい駄菓子を言うので、倫子はその都度勘定をして子供達に渡す。

「はい、まいどあり」

 かわいい常連達の相手をしていると、子供達が開けっぱなしにしていたガラス戸の向こうから声が掛かった。

「ごめんください」

 その声に入り口の方を向くと、恵次郎とバイオレットが立っていた。

「あら、いらっしゃい。どうぞ中へ」

 倫子がそう声を掛けると、子供達も恵次郎とバイオレットの方を向く。それから、声を上げてバイオレットのことを取り巻いた。

「異人さんだ!」

「すごい、おっきいぞ!」

 口々にそう言って、子供達はバイオレットの洋服の裾を掴んだり、手を伸ばしたりしている。

「ああ、だめよみんな。そんなもみくちゃにしちゃ」

 慌てて倫子がそう言っても、子供達は止まらない。バイオレットに迷惑をかけてしまったと倫子が思っていると、バイオレットはまったく迷惑そうな顔をせずに、にこにこしながら子供達の頭を撫でている。その時になにか声を掛けているけれども、なんと言っているのかはわからない。

「恵次郎さん、これは大丈夫なんですか?」

 倫子が想わずそう恵次郎に訊ねると、恵次郎は苦笑いをして返す。

「いいんじゃないか?

バイオレットも満更でもないみたいだ」

「そう? まぁ、たしかにそういう風にも見えますけど」

 子供達の相手をするのをバイオレットが嫌がっていないのであれば、子供達が満足するまで遊んでもらってもいいかもしれない。バイオレットが気さくな人でよかったと思いながら、倫子はもう一度入り口の方を見る。バイオレットがいるのだから、緑丸がいるのではないかと思ったのだ。けれども、緑丸の姿は見当たらない。

「恵次郎さん、今日は緑丸さんはいないんですか?」

 その問いに、恵次郎は斜め上を見て返す。

「ああ、兄さんならここしばらく寄席に出てる。あと三日は仕事だな」

「そうなんですね」

「今日まで寄席を二件掛け持っていて、帰ってきて浪花節の練習の後は、早くバイオレットの所に行きたいと言っているな」

 苦笑いをする恵次郎の言葉に、倫子はくすくすと笑う。

「ほんとうに、緑丸さんとバイオレットさんは仲が良いんですね」

「そうなんだ。仕事に支障が出ないか心配だ」

 倫子と恵次郎はそう言って、子供達に囲まれてにこにこしているバイオレットを見る。

「いじんさん、ビーだまってしってる?」

「こんぺいとうたべたことある?」

 口々に子供達がそう言って、手に持っているおもちゃや駄菓子をバイオレットに見せる。バイオレットはしげしげとそれらを見て、感心したように声を上げる。

「ソウ、キュート」

 それがどんな意味なのか、やはり倫子にはわからない。そんな倫子に、恵次郎が言う。

「バイオレットには、ビー玉や金平糖がかわいく見えるみたいだ」

 恵次郎の言葉に倫子は頷く。

「やっぱり、異人さんの目から見ても、ビー玉や金平糖ってかわいいのね」

 やはりバイオレットが店に来ているときは、恵次郎も一緒にいてくれると助かる。倫子はしみじみそう思う。

 ふと、バイオレットが少しだけ困っている顔を見せたのに気づいた。そうか、店の中を見たいのに子供達に囲まれて動けないのだ。子供達の相手をするのが嫌ではないにしても、店に来た目的を果たせないのは、たしかに困るだろう。

 倫子が少し大きめの声で子供達に言う。

「みんな、あんまりその人を囲っちゃだめよ。

その人はお店を見に来たんだから、そんなに邪魔しないの。そろそろ外で遊んでらっしゃい」

 すると子供達は、手元にある駄菓子やおもちゃを見て、もう一度バイオレットを見る。バイオレットは、困ったように笑って子供達に手を振る。子供達は名残惜しそうな顔をして、バイオレットに声を掛ける。

「わかった。いじんさんまたね」

「また来てね」

 それから、店の外に出て思い思いに遊びはじめた。時々バイオレットのことを外から見ているけれども、それくらいならさせていてもいいだろう。

 バイオレットが倫子に声を掛ける。けれども、倫子にはなにを言っているのかわからない。倫子が戸惑いを見せる前に、恵次郎が倫子に言う。

「この店の中を見てもいいかと言っている」

「あ、ああ。もちろんいいですよ。どうぞごゆっくり」

 倫子がそう返すと、恵次郎がバイオレットに話し掛ける。すると、バイオレットはにっこりと笑って倫子を見てから、店の中を見はじめた。それに、恵次郎はすぐ側で付き添っている。

 そんな恵次郎を見て、倫子はつくづく思う。恵次郎のような通訳がいると、ほんとうにバイオレットのような異人とやりとりをするのがだいぶ楽だと。

 恵次郎が通訳になるのに相当勉強したのは想像に難くない。そんな人が付き添ってくれているのは、倫子としてもありがたかった。

 ふと、日本製のガラスの器が並べられた棚を見ていたバイオレットが、薄い水色と乳白色をした、足つきのガラスの器を手に取って声を上げた。

 恵次郎がすかさず倫子の方を見てこう訊ねる。

「この器はなんだ?」

 ああいう器は外国にはないのだろうか。驚いたようすのバイオレットを見て、倫子は恵次郎に言う。

「氷ガラスという、かき氷を入れる器です」

 倫子の言葉を聞いた恵次郎が、外国語でバイオレットに話し掛ける。倫子の言葉を訳しているのだろう。

「カキゴオリ?」

 バイオレットが恵次郎の言葉の一部をオウム返しにする。これはさすがに倫子にも意図がわかった。かき氷がなんなのかわからないのだ。恵次郎が難しそうな顔をして考え込んでから、また外国語でバイオレットに話し掛ける。おそらく、かき氷の説明だろう。

 説明を聞いたバイオレットは驚いたような顔をしてから、にっこり笑って倫子のところへと氷ガラスを持って来て、なにかを言った。

「これが欲しいそうだ」

 すかさず入った恵次郎の通訳に、倫子はにっこりと笑って金額を提示し、なんとか勘定を済ませる。

「まいどあり」

 軽く紙で包んだ氷ガラスをバイオレットに渡すと、バイオレットは氷ガラスをぎゅうと胸に抱いた。

 ふと、バイオレットがまた店内をぐるりと見渡す。一度金平糖に目を留めてから、倫子とバイオレットの間に置かれているせんべいの器を見て、嬉しそうに声を上げた。

「センベイ!」

 それを聞いて、倫子は驚くと同時に、なんとなく嬉しくなった。以前緑丸とこの店に来た時に食べた、あのせんべいのことをバイオレットは覚えていたのだ。

「せんべいも欲しいですか?」

 倫子がそう訊ねると、バイオレットが恵次郎の方を向く、恵次郎は短くバイオレットにこう言う。

「ユーウォントバイ、センベイ」

「イエス」

 これはどんなやりとりなのだろうと倫子は思う。倫子の言葉を訳したのであれば、せんべいが欲しいのかということなのだろうけれども、やはり倫子には外国語はわからない。

 恵次郎が倫子に言う。

「せんべいが欲しいそうだ。一枚頼む」

「はい、まいどあり」

 せんべいの分の勘定も済ませて渡すと、バイオレットは嬉しそうに笑って倫子に手を振る。それから、すぐに店の外に出て子供達に混じってしまった。

 子供達が歓声を上げる。

「いじんさん、いっしょにあそぶ?」

「異人さんもせんべい食べるんだ!」

 子供達に囲まれながら、バイオレットがせんべいを囓る。それから、ぎこちないけれども嬉しそうなようすでこう聞こえてきた。

「オイシイ! オイシイ!」

 バイオレットが日本語を話している。誰が教えたのだろうと恵次郎の方を見ると、くすりと笑ってこう言った。

「兄さんの影響で、少しずつ覚えてるみたいなんだ」

「そうなんですね」

 そんなにバイオレットと緑丸は仲が良いのかと、倫子は思わず微笑んだ。

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