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第十七章 青く光るブローチ

 吹く風も爽やかになった頃、今日も気持ちよく店を開けて、倫子はいつも通り店の奥に座っていた。

 店を開けてすぐの頃からちょくちょくお客さんが顔を見せ、買い物をしていく。ついさっきも、買い物に来て世間話をしていたお客さんが店を出て行ったばかりだった。

 今日は忙しくなりそうだ。そう倫子が気持ちを引き締めていると、外から早速声が掛かってきた。

「ごめんください」

「はい、開いてますよ。どうぞ」

 返事を返すと、入ってきたのは貞治とかの子。今日は有治を連れていないけれども、あの子ももう学校に通う年頃だから、今頃は学校で勉強をしているのだろう。

「今日はおふたりでいらっしゃったんですね」

 倫子がそう声を掛けると、貞治はかの子の肩を抱き寄せて機嫌良さそうに笑う。

「たまには夫婦水入らずでぶらぶらするのもいいじゃないか」

「うふふ、それもそうですね」

 貞治の腕に抱かれて、少し顔を赤くしているかの子を見るとつい微笑ましくなってしまう。やはりこの夫婦は仲が良いのだ。

 貞治もかの子も、普段は自分達が営んでいる服屋の仕事で忙しいのだから、たまには夫婦水入らずで出かけたいという気持ちはわかる。特にかの子は、有治の面倒も見なくてはいけないのだからなおのことこういった休息は必要だろう。

「今日はお話をしに来たんですか?」

 倫子がそう訊ねると、貞治は慣れたようすで舶来品が並べられた棚に視線を移す。

「実は、なにかいい舶来品は入ってないかと思ってね」

「舶来品ですか」

 そういえば貞治はこの店で舶来品を買っていくことが多いのだということを倫子は思い出す。そして、丁度よく二日ほど前に季更が舶来品を新しく仕入れてきたばかりだった。

 倫子は奥から降りて下駄を履き、舶来品の棚の側に寄る。

「こちらのブローチと指輪が、最近入った中ではきれいなものですね」

「へぇ、なかなか細かい細工じゃあないか」

 お勧めされたブローチと指輪を手に取って、貞治がしげしげと眺める。それから、側にいたかの子にこう声を掛けた。

「ちょっと左手を貸しておくれ」

「はい」

 にこりと微笑んでかの子が左手を差し出すと、貞治はその手を丁寧にとって、指輪をひとつずつ填めてかの子に見せている。

「どれか気に入ったのはあるかい?」

 その問いに、かの子は少し困ったような顔をする。

「どれも素敵ですけど、大きくて着けていたら無くしてしまいそうです」

「ああ、それもそうか。君の手は華奢だからね」

 そのやりとりの後、貞治は指輪を全部棚の上に戻し、いくつかあるブローチをかの子の襟元に当てて見ている。次々にブローチを当てられているかの子が少し照れくさそうな顔をしているので、倫子はくすくすと笑って貞治に訊ねた。

「またかの子さんへの贈り物ですか?」

 貞治は少し自慢げな顔をして倫子に言う。

「そうなんだ。先日のパーティーでかの子も随分がんばってくれたからね。そのお礼だよ」

「あら、またパーティーに行かれたんですね」

 貞治とかの子が行ってきたパーティーというのは、おそらく居留地で行われたものだろう。以前、パーティーはそれなりに疲れるとお互い笑い合っていたかの子がどのようにしていたのか、倫子は気になった。

「パーティーはいかがでしたか?」

 こういう質問をされるのには慣れているのだろう、貞治は淀みなくこう答えた。

「おいしい食事やワインが振る舞われて、みんなきれいな服を着ていて華やかだったよ。

その中でもかの子は全然見劣りしないんだ」

「そうなんですね」

 それはなんとなくわかる気がする。かの子は、倫子がこの店をはじめる前からこのあたりでは有名な娘だった。なぜ有名だったかというと理由は単純だ。まるで天女のようにうつくしいと、幼い頃からこのあたりで評判だったのだ。そしてその美しさは今でも損なわれていないどころか、成熟してますます増している。そんなかの子なのだから、異人の集まるパーティーでも見劣りしないのは当然だと倫子は思った。

 けれども、貞治がその見た目だけでかの子を選んだわけではないのも、倫子は知っている。

 いったんブローチを棚に置いて、貞治がかの子をじっと見つめる。

「しかも、私の商談に口添えまでしてくれてね。それでまとまった話も一件あるんだ」

「あら、かの子さんさすが。相手は異人さんなんでしょう? がんばったわね」

「見た目によらず、豪胆な人だよ」

 貞治と倫子の言葉に、かの子ははにかむ。そう、この豪胆さに、貞治は惹かれたのだ。かの子のこの豪胆さを知っている男は、貞治以外にどれほどいるのだろうか。

「ほんとうに、良い人を嫁にもらえた」

 そう言って貞治がかの子の頭を撫でると、かの子は耳まで赤くなってか細い声で口を開く。

「だって、貞治さんのためですもの」

 今はこんなふうにか弱そうに振る舞うかの子が、パーティーではどれだけ堂々としていたのか、それを想像すると、なんとなく倫子も心躍るような気がした。

「そうだ、今日はかの子に贈り物をするんだったね」

 ふと、貞治がそう言って棚の上のブローチを指さしてかの子に訊ねた。

「どれか気に入ったものはあるかな。

それとも、ブローチ以外のなにかがいいかい?」

「ブローチ以外ですか? たとえば」

 店内をきょろきょろと見回すかの子に、貞治は少しだけ意地悪く笑って言う。

「たとえば、ビー玉とか」

 それを聞いて、かの子はくすくすと笑う。

「うふふ。それは、有治がいるときにあの子に選んでもらいましょう。

今日は私への贈り物なんでしょう?」

「ふふふ、そうだね」

 夫婦ふたりで笑い合ってから、かの子がじっくりとブローチを見る。

「貞治さん、どれが私に似合うと思いますか?」

「それがね、どれも似合うから困ってしまうんだ。

どれも似合うのであれば、君が好きなものにしたいな」

「そうですか? それなら……」

 そう言って、かの子が選んだのは紫色の中に青い光が入るガラスの填まった、銀色のブローチだ。たしかにこのガラスの青い光は、かの子にしっくりきそうだと倫子も思う。

 かの子が選んだブローチを貞治が手に取り、倫子に渡す。

「では、これをいただこうか」

「はい、まいどあり」

 奥に戻る倫子に、貞治が少しおどけたようすでこう続ける。

「贈り物だから、きれいに包んでおくれ」

「はい、もちろんですとも」

 倫子はくすくすと笑って、ブローチを丁寧に紙で包む。それから手早く勘定を済ませ、貞治にブローチを手渡した。

 そういえば、と倫子がふたりに訊ねる。

「パーティーでは着物は着ないんですか?」

 その問いに、かの子は照れたように笑って答える。

「パーティーの時はドレスを着たいので、洋服です。洋服姿の貞治さんも素敵なんですよ」

 さらりと惚気られてしまったけれども、ドレス姿のかの子はさぞかしきれいなのだろうなと倫子は思う。

 早速貞治からブローチを手渡されたかの子が、胸にブローチを抱いてこう続ける。

「次のパーティーでは、このブローチを着けていこうと思います」

「あら、それは嬉しいわ」

 次のパーティーがいつあるのかはわからないけれど、この店で買ったものを使ってもらえるのはありがたいことだ。

 そう思っていると、今度は貞治が倫子にこう訊ねた。

「そういえば、昨日もここに来たのだけれど、昨日は休みだったよね? 定休日というわけでもなかったし、なにかあったのかい?」

 その言葉に、倫子は照れたように笑う。

「実はここ三日ほど、私の結婚式でお休みさせていただいていたんです。

ご足労かけてしまいましたが、ご容赦ください」

 それを聞いたかの子が嬉しそうに声を上げる。

「そうなんですね! 倫子さんおめでとうございます!」

 貞治もにこにこと笑って言う。

「そういう事情なら、大いに休んでいいんだよ。おめでとう」

「ありがとうございます」

 ふたりに祝福されて、倫子は今幸せの中にいるのだと実感する。それと同時に、この幸せの中でもしっかり商売をしていかないとと気を引き締めた。

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