第十四章 金平糖に思う
ある寒くて天気の悪い日。雨が降りそうになったからか、先程まで店先で遊んでいた子供達もどこかへと行ってしまった。
店の中が静かになる。ただ、暖をとるために焚いている七輪の炭だけが、ほのかに焼ける音を立てているようだった。
子供達の相手をしている間に冷めててしまったお茶を飲む。温まりはしないけれども、味は悪くなっていない。倫子はふうっと一息つく。子供達の相手は楽しいけれど、なんだかんだで疲れてしまうのだ。
少しだけ目を閉じる。この静けさを感じたくなった。
そうしていると、ガラス戸を叩く音がした。お客さんかと思い、入り口の方へ目をやる。
「いらっしゃいませ」
倫子が声を掛けると、入ってきたのは長い黒い髪に、赤い瞳が印象的な人だった。
洋服を着ているし、何より風貌が日本人とは違う感じがするので、もしかしたら異人かもしれない。そう思った倫子は、咄嗟に入ってきたお客さんの周りを見る。ほんとうに異人だったとして、通訳無しでこの店に来るとは思えなかったからだ。
けれども、お客さんの他に通訳らしき人はいない。それに気づいた倫子は、ちゃんと相手をできるかどうか不安になった。
お客さんが倫子の方を見て口を開く。
「こんにちわ」
「えっ? こんにちは」
たしかに今、このお客さんは日本語を話した。それを聞いた倫子は、このお客さんは異人の中でも日本語を勉強した人なのかもしれないと思う。そう、よくよく考えてみれば、異人でも日本に来て教えを広める宣教師などは、日本語を話せる人が少なくないと恵次郎から聞いていた。だから、異人だからといって日本語がわからないと頭から決めつけてしまうのはよくなかったと倫子は少し思った。
とにかく、日本語が通じる相手でよかったと倫子は安心する。お客さんがきょろきょろと店内を見回しているので、倫子はにこりと笑って声を掛ける。
「どうぞ、ご自由にご覧になってください」
「はい、お言葉に甘えて」
お客さんは軽く頭を下げてから、店の中を見て回る。舶来品を見るかと思ったら、舶来品はちらりと見ただけで、すぐに日本の品が並ぶ棚へと移動した。特に気にしているのは、簪や帯留めなどの飾り物のようだ。
緑色の石が付いた簪を手に取るお客さんに、倫子が訊ねる。
「そちら、気になりますか?」
すると、お客さんは簪をじっと見つめたままこう言った。
「私の大切な人が、この店で買ったという簪を着けていたんです」
それを聞いて、なるほどと思う。この店に来れば、その人が気に入るような簪が手に入るかもしれないとこのお客さんは考えたのだろうと倫子は思う。
「その方に、簪を贈りたいのですか?」
また問いかけると、お客さんは遠くを見てから、儚げに微笑む。
「あの人はもう、他の人のものだからそれはできません」
ひどく切なげに聞こえるその言葉に、倫子は思わず俯く。
「それは、失礼いたしました」
まさかすでに失恋していただなんて、少しも考えなかった。倫子の周りでは、お見合いという段階を踏むにしても、望んだとおりの相手と結ばれる人が多いので、失恋することがあるということが、すっかり頭から抜けていたのだ。
まだぼんやりと簪を見ているお客さんを見て、倫子は季更のことを思い浮かべる。もし今ある縁談を、季更に断られてしまったら自分はどんな気持ちになるのだろう。やはり切ない気持ちになるのだろうか。けれども、そのもしもは実現しないで欲しい。そう思った。
お客さんが簪から目を離して、駄菓子の置かれている棚に目を移す。少し驚いたように目を開いたお客さんが、しげしげとせんべいの入った器や、瓶入りの金平糖を見ている。
それから、なにやら難しそうな顔をするので、倫子がまた声を掛ける。
「駄菓子、気になりますか?」
するとお客さんは、少し照れたような顔をしてこう答える。
「食べてみたいんですけど、どんな味なのかまったく想像できないんです。
この平べったいものも、あの星の形をしたものも」
平べったいものというのはせんべいで、星の形をしたものは金平糖のことだろう。
「そうですねぇ……」
味の説明はどうしたものかと、倫子は頭を悩ませる。せんべいも金平糖も、慣れ親しんだ味なので、改めて味の説明をしたことがないのだ。
今思うと、緑丸がこの店に連れて来た異人のバイオレット、彼は何の説明もなく勧められるままにせんべいを食べて喜んでいたけれども、このお客さんにもせんべいを勧めてしまっていいものだろうか。なんせバイオレットは居留地の中でも変わり者といわれていると聞いたので、あてにならない気がするのだ。
倫子はなんとか、味の説明をしようとせんべいと金平糖の味を思い出す。
「こちらの平べったいもの、せんべいというのですけれど、こちらはばりばりしていてしょっぱい味です」
「ばりばりしていてしょっぱい」
「はい。そして、そちらの星の形をしたものは金平糖といいまして、砂糖を固めたものなので甘いです」
「砂糖を固めたもの」
倫子の言葉をオウム返しにして、お客さんが金平糖をじっと見る。
「金平糖と飴と、どう違うんですか?」
「えーっと……」
そこまで詳しいことは倫子にはわからない。なので、素直に、こう答えた。
「どう違うのかは上手く言えないんですけれど、金平糖はかじって食べるんですよ」
「ああ、なるほど」
納得したようすのお客さんに、倫子はさらに言葉を続ける。
「もし気になるのでしたら、試してみてはいかがですか?
金平糖の方が、多分慣れた味だと思うのでお勧めなのですけれど」
倫子の言葉を聞いてか、お客さんは金平糖の瓶をひとつ手に取って倫子に見せる。
「では、こちらをひとついただきます」
「はい、ありがとうございます」
手早く勘定を済ませると、お客さんはじっと金平糖の瓶を見て倫子に訊ねた。
「あの、少し不安なので、ここで食べてみてもいいですか?」
「はいもちろん。子供達もよくここで食べていきますし、どうぞごゆっくり」
こんなことなら熱いお茶を用意しておけばよかった。倫子はそう思ったけれども、いまから炉に火を入れてお湯を沸かしているのでは、お客さんを待たせてしまって逆に気を遣わせてしまうだろう。なので、瓶を開けて金平糖を口に含むお客さんのことをそっと見守った。
もぐもぐと口を動かしたお客さんが、微かに微笑む。
「おいしいですね」
「そうでしょう。子供達にも人気なんですよ」
どうやら、お客さんは金平糖のことを気に入ったようだった。
二粒、三粒と口に入れて、お客さんは金平糖を噛みしめる。それから、ぽつりとこう零した。
「あいつも、こういうのを食べて育ったのかな」
あいつというのは、先程言っていた大切な人のことだろう。
このお客さんが、その大切な人とどこで出会ったのか、その大切な人も、お客さんも、どこで生まれ育ったのか、倫子には知るよしもない。
大切な人というのがどんな人なのか気になったけれども、なぜだか訊ねてはいけないような気がした。
そうこうしているうちに、お客さんが金平糖の瓶を持ったまま倫子に軽く頭を下げる。
「では、お邪魔しました」
そう言って、お客さんは店から出て行ってしまう。
見送った倫子は、ふと、お客さんの言葉を思い出す。お客さんが言っていたあいつという人、その人も金平糖を食べて育ったのかとお客さんは言っていた。つまり、金平糖に馴染みがありそうな場所で育った相手と言うことだろう。そうなると、あのお客さんが言っていた大切な人というのは、日本人のような気がした。
あの人はどこでどんな日本人と出会い、大切だと思うようになったのか。それを考えると、不思議な気持ちになった。
あのお客さんは、今思うとたしかに不思議な人だったのだ。




