第十三章 思い出の簪
年が明けてしばらく経った頃、あいかわらず冷えるので、倫子は七輪で炭を焚いて温まっていた。丁度お客さんも途切れている時間だしと、ひと休みするのに串に刺したお饅頭も焼いていた。
焼き色が付くまでもう少しかかるかなと思っていると、外から声が掛かった。
「ごめんください」
倫子は咄嗟に、七輪に刺したお饅頭を火から離して刺し直し、返事をする。
「はーい、どうぞ中へ」
入ってきたのはかの子で、いつものように有治を連れている。そういえば有治もだいぶ大きくなったけれど、まだ子供達に混ざって遊んだりはしないのだろうかと、少しだけお節介なことを考えてしまう。
「今日も有治君のお買い物ですか?」
倫子がそう訊ねると、かの子は有治の頭を撫でて返す。
「そうなんです。今日は有治にお小遣いをあげたので、お買い物のしかたを教えようと思って」
「あらあら、それはとても大事なことですね」
ふたりで有治の方を見ると、有治がおもちゃの入った箱を指さして倫子に言う。
「おばちゃん、みてもいいですか」
「うん、いいわよ。でも、入ってるものは大事にしてね」
「はーい」
いい返事をして、言われたとおり丁寧におもちゃを見ている有治を見て、聞き分けの良い子だなと倫子は思う。
ふと、かの子の方に目をやると、簪を刺しているのが目に入った。赤い石の付いた、見覚えのあるその簪が気になって、倫子はかの子に声を掛けた。
「かの子さん、その簪はもしかして、貞治さんから?」
その問いに、かの子はくすくすと笑って返す。
「そうなんです。貞治さん、いろいろなものを私にくれたけれども、結婚前にくれたこの簪がやっぱりお気に入りで」
そう言ってから、かの子は店内を見回して、簪や帯留めなどが置かれている棚を見て倫子に言う。
「この簪も、このお店で買ったものなんでしょう?」
その問いに、倫子も感慨深く返す。
「そうなんです。私がまだ商売をはじめたばかりの頃に、貞治さんが買っていったものです。その頃からお世話になってるなんて、ありがたいですね」
倫子の言葉に、かの子は簪に手をやってはにかむ。
「倫子さんにも思い出の品なんですね」
「そうなんです。かの子さんも、思い出があるでしょう」
かの子は微かに頬を赤らめて、愛おしそうに有治の方を見る。
「他にも簪をたくさん持ってはいるけど、気分が良いときはこの簪を使いたいんですよ。
この簪を付けると、貞治さんと初めて会った時のことを思い出すから」
貞治がかの子にこの簪を贈ったのは、出会ってからだいぶ経ってからのはずだけれども、初々しい気持ちを思い出すほどに大切なものになっているのだ。
倫子も、貞治がかの子が着けている簪を買いに来たときのことを思いだして話す。
「今だから言えますけど、その簪を贈り物にしたいって買いに来たときの貞治さん、すごくそわそわしてたんですよ」
「そうなんですか?」
「そう。見ただけで大事な人に贈るものなんだわかっちゃうくらい」
微笑ましい思い出話に、倫子とかの子はふたりで笑い合う。なんて愛おしい思い出なのだろう。
思い出話で盛り上がっているうちに、気がつくと有治がおもちゃ箱の前から離れていた。どこに行ったのかと倫子が店内を見回すと簪や帯留めの置かれている棚の前で、有治が棚に手を着いてじっと簪を見ていた。
そのようすを見て、あの時の貞治みたいだと倫子は思う。
「有治君、だれか簪をあげたい子がいるの?」
倫子がそう訊ねると、有治は至極真面目な声で答える。
「おれもお母さんにかんざしをあげるんだ」
それを聞いて、かの子は嬉しそうに笑って有治に言う。
「そうなの? それじゃあ、有治が大きくなるまで期待してるわね」
かの子のその言葉に、有治はかの子の方に向き直り、足下に駆け寄ってきてしがみつく。
「かんざしをあげたら、お母さん、おれのおよめさんになってくれる?」
どうやら有治は以前にも言っていたように、かの子をお嫁さんにしたいようだ。どうしても諦められないといったようすの有治に、かの子は困ったように笑って頭を撫でる。
「うーん、気持ちは嬉しいけど、お母さんはお父さんのお嫁さんだからね」
「なんで」
かの子の言葉に、有治は不満そうだ。かの子にしがみついたまま、ぐりぐりと頭を押しつけている。
「お母さんはおれのおよめさんになるのぉ」
「うん、うん、困ったわねぇ……」
困ったような、でもどこか嬉しそうな顔をするかの子が、ふと、倫子の方に向き直ってこう訊ねた。
「そういえば、倫子さんは結婚はなさらないんですか? まだ旦那さまがいるという話を聞かないけれど」
これは以前より、よく来るお客さん達に訊かれていた質問だ。少し前までは答えづらかったこの質問も、いまなら堂々と答えられる。
「実は、先日婚約をした人がいるんです」
それを聞いたかの子が驚いた顔をしてからにっこりと笑う。
「あら、それはおめでとうございます。
きっと素敵な方なんですよね、お相手はどんな方なんですか?」
かの子の言葉に、倫子の頬が微かに赤くなる。あの人のことを思うと、少しだけ心がかき乱されるのだ。
「婚約したのは、この店の取引先の方で、いつも舶来品を持って来てくれる方です。
とても丁寧な人で、私の商売も応援したいって言ってくれて、それで、両親に紹介したんです」
「まぁ、そうなんですね。それだと、倫子さんの理想の人ですよね」
理想の人、と改めて言われて、倫子はますます顔が熱くなる。
「そんなに照れちゃって。結納の日取りは決まっているんですか?」
いかにも結婚が楽しみだといったようすのかの子の言葉に、倫子は頬を押さえる。
「今、いつ頃結納をするかの調節をしているところなんです。
私もあの人も、仕事の都合があるから」
「そうなんですね。
上手くことが進むといいですね。私も楽しみにしてますから」
「うふふ、ありがとうございます」
そんな話をしていると、ふと、有治が声を上げた。なにかと思って有治を見ると入り口の方を見ていたので、そのまま入り口の方を見る。すると、大荷物を持った男がガラス戸を少し開けて声を掛けてきた。
「倫子さん、お客さん来てますか?」
覗き込んできているのは季更だ。きっとあの荷物は、仕入れの品だろう。
倫子は頬を叩いてから、季更に返事をする。
「お客さんだけど、大丈夫よ。中に入って。
今丁度季更さんの話をしてたところなの」
「え? 俺の話?」
驚いた声を出す季更に中に入ってもらい、倫子はかの子に季更のことを紹介する。
「彼が私の婚約者の季更さんです」
「あら、この方が。頼もしそうな方だわ」
倫子の紹介に、季更は照れたように笑って言う。
「倫子さん、俺の話ってそういう話だったんだ」
「そうなの。こちらの、常連さんのかの子さんに結婚はしないのかって訊かれちゃって」
「なるほどね」
ふと、季更を見ていたかの子が倫子に訊ねる。
「ところで、季更さんって倫子さんよりだいぶ年下に見えますけど、ご両親はそれでもいいと?」
かの子の言葉に、季更は困ったように苦笑いする。倫子も、両親に季更を紹介したときのことを思い出して、思わず苦笑いする。
「そうね、はじめは渋られたけど、季更さんのお仕事とか、家のこととかを聞いて、悪くはないって言ってたわね。年下なのは大目に見るって」
「なかなかに大変だったみたいね」
倫子とかの子が話していると、有治がしきりに季更が持っている荷物を気にしているのが目に入った。
とりあえず、と倫子は季更に声を掛ける。
「奥に荷物を置きましょう。折角だから、みんなで見てもいいんじゃないかしら」
「そうだね。珍しいものもあるし」
そう言って奥に荷物を置いてもらい、みんなで舶来品を眺めたのだった。




