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第十一章 異人と一緒に

 だいぶ冷え込むようになってきたある日のこと、倫子は店で出た洗濯物も取り込み終わり、七輪で焼いたお饅頭を食べてうとうとしていた。

 倫子はもうおやつを食べたけれども、おやつ時には少し早い。子供達が駄菓子を買いに来るのはこれからだ。子供達が来るまでは少し昼寝をしてもいいかなと壁により掛かると、突然外から大声が聞こえてきた。

「倫子さーん、こんちわー!」

 思わずびっくりして目が覚める。一瞬子供達かとも思ったけれども、外を見るとどうにも違うようだった。

「どうぞお入りください」

 倫子も大きめの声でそう返事をすると、入ってきたのは緑丸と、彼よりも頭ひとつ分以上背の高い、白銀の巻き毛を肩に垂らした洋服姿の異人だった。

「この店よく来るんだよ。面白いだろ」

 緑丸は日本語で異人に話し掛けているけれども、異人は外国語で緑丸に言葉を返している。倫子は外国語がわからないので、緑丸と異人の間で会話が成立しているのかどうかも当然わからない。

「緑丸さん、その人は?」

 倫子がそう訊ねると、緑丸は異人の腕を引いて倫子に紹介する。

「こいつは居留地に住んでる俺の友人のバイオレット。日本人の生活に興味があるみたいだから、まずはここに連れてこようと思って」

「あら、そうなんですね」

 緑丸は異人であるバイオレットの言葉がわかるのだろうか。そしてバイオレットも、緑丸の言葉がわかるのだろうか。それが不思議だったけれども、お互い言葉がわかるのなら、どちらかの言葉で話すだろうし。と倫子はますます不思議に思う。

 そんな倫子の様子にも気づかず、緑丸はバイオレットに声を掛けている。

「バイオレット、この人がこの店の女将さんの倫子さん。お客さんの相談事とか色々乗ってくれる、頼りになる人だよ」

 頼りになる人と言われて、倫子は気恥ずかしさを隠せない。倫子としてはただ単に、世間話に乗っているだけという感覚だからだ。

 緑丸の言葉を聞いて、バイオレットが一礼をしてなにかを言う。けれどもやはり、倫子にはなにを言っているのかわからない。

 そこで、倫子は緑丸にこう訊ねた。

「緑丸さん、バイオレットさんがなんて言ってるのかわかるの?」

 すると緑丸はしれっと答える。

「いや、わかんねぇよ?」

「わからないのにふたりで来たの?」

「まぁ、なんとかなるって」

 そう言って緑丸は朗らかに笑って、バイオレットと一緒に店の中を見る。見ているのは舶来品のペンやオルゴールだけでなく、日本製の簪や帯留め、それに筆や硯などの文房具も見ている。硯は初めて見る珍しい物らしく、バイオレットはしげしげと見ては声を上げている。

 ふと、倫子が緑丸に訊ねる。

「そういえば緑丸さん、バイオレットさんとはどうやって知り合ったの?」

 その問いに、緑丸は上機嫌そうに笑ってこう答えた。

「前に異人の前で浪花節を聴かせたって言ったじゃん。その時に、俺の浪花節を気に入ってくれたっていってたやつがこいつなんだよ」

「あ、あの時の人なんですね」

 それを聞いて、倫子は納得する。反応が悪かった中でも、自分の芸を一際気に入ってくれて、わざわざ家まで招いてくれたバイオレットと緑丸が親しくなるのは、そこまで不思議なことではなかったからだ、

 緑丸がバイオレットの背中を叩いて嬉しそうに言葉を続ける。

「何度かこいつの家に呼ばれて浪花節を聴かせててさ、そしたらすっかり意気投合しちゃって。今ではよく会ってるんだよ」

「あらあら、すっかり仲良くなっちゃって」

 倫子は微笑ましい報告にくすくすと笑うけれど、はたと思う。緑丸はバイオレットの言葉がわからないと言っていた。それなのに、会話をどうしているのだろう。それが気になった。

 倫子は緑丸とバイオレットの間で視線を動かしながら訊ねる。

「でも、バイオレットさんの言葉がわからないんでしょう? どうやって会話するの?」

 その問いに、バイオレットが外国語でなにか言っているけれど、やはりなにを言っているのかはわからない。ただ、悪意があるような口調ではないし、にこにこしているのでなにか好意的ななにかを伝えたいのだろう。

 バイオレットが言い終わってから、緑丸が倫子の問いに答える。

「いつもは恵次郎に一緒に来てもらってるんだよ。あいつならバイオレットの言葉がわかるからさ」

「そういえば恵次郎さんは通訳をやってましたよね」

 けれども、恵次郎の姿が見えない。店の外にいるのかと思って外を見ても、やはり外にもいない。

「ところで、今日は恵次郎さんはいないの?」

 倫子がそう訊ねると、緑丸は困ったように笑って答える。

「いや実はさ、他の異人の通訳に行かなきゃいけないってんで、俺とバイオレットだけできたんだよ。

居留地にいた間は、恵次郎も一緒だった」

「あら、恵次郎さんはまだお仕事なのね。お疲れさまです」

「まぁ、遊びに行くのにあんまりあいつを引っ張り回してもよくないからな」

 少し言葉が途切れた隙に、バイオレットが緑丸に話し掛ける。その言葉に、緑丸が返す。

「日本の家はどうだ? お前達の家とだいぶ違うだろ」

 その言葉に、バイオレットも返す。ほんとうに会話が成立しているのかは甚だ不安だ。

 緑丸が倫子の方を見てしみじみと言う。

「バイオレットには、絶対この店と倫子さんを紹介したかったんだ」

「うふふ、ありがとうございます」

 緑丸がこの店を紹介したかったという理由は、ただ舶来品を扱っているからというだけでなく、馴染みだからというのもあるだろう。きっと緑丸には、他にも紹介したい店があるはずだ。

 ふと、バイオレットがせんべいの入った器を見て指さし、緑丸に声を掛ける。それに、緑丸はこう返す。

「ああ、それはせんべいっていうんだ。

うまいぞ。一緒に食うか?」

 するとバイオレットは嬉しそうに笑って頷いた。倫子にはつくづく不思議なのだけれども、このふたりは全く違う言葉を話しているし、わからないと言っているのに、会話に不自由している素振りがない。今の緑丸の言葉もバイオレットに通じていたようだったし、その前のバイオレットの言葉も、緑丸はなんとなくわかってるように見えた。

 不思議は不思議だったけれども、まったく通じずにけんかになるよりは全然良い。

 倫子は緑丸が選んだせんべいを紙に包んで勘定をし、緑丸とバイオレットに渡す。するとバイオレットは嬉しそうににこにこと笑った。

 そのさまを見て、倫子も思わず笑顔になる。

「おせんべいの味、気になるでしょう?

よかったらお茶と一緒に召し上がっていかない?」

 倫子がそう言うとバイオレットはキョトンとした顔をしたけれども、緑丸はにっと笑ってこう返す。

「お? お茶も貰っちゃっていい? それじゃあお言葉に甘えて」

「おせんべいはお茶と一緒に頂いた方がおいしいですからね」

 少しの間ふたりには店内を見ててもらうことにして、倫子は奥で炉に火を入れ、小さな釜に水を入れてお湯を沸かす。急須に茶葉を詰め込んで、ふつふつと沸いてきたお湯を急須に注ぎ、湯飲みにお茶を淹れる。

 ふたつ用意した湯飲みを置いて、倫子は緑丸に声を掛ける。

「お茶が入りましたよ」

「あいよ」

 緑丸がバイオレットを先導して奥の方に来たので、それぞれ履き物を脱いでもらって上がってもらう。すぐさまに座布団を出してその上に座ってもらい、お茶を出した。

「バイオレット、これが日本のお茶だ。

お前こういう緑のお茶ははじめてだろ」

 そう言って緑丸が湯飲みを持ってひとくち飲むと、不思議そうな顔をしたバイオレットも、お茶に口を付ける。それから、せんべいをかじる緑丸を真似てせんべいを囓り、にこにこと笑ってこう言った。

「ヤミー!」

 その言葉の意味は倫子にはわからない。ただ、嬉しそうなその表情を見る限りでは、日本茶とせんべいのことを気に入ったのだろうなと、なんとなく思った。

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