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ソルの恋 -悪役令嬢は乙女ゲー的な世界で愛を知る?-  作者: 漆沢刀也
【第四章:肖像画家編】
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EX12話:傷と膿

オープニングに出てきた、前世ソルを殺した王子のその後。


2025/09/09

イラストを差し替えました。

 額に拳を当て、肘を机についた格好で、彼は大きく溜息を吐いた。思わず、舌打ちが漏れる。

 幼少より世話になった教育係達が見たら、何と言われたか分からないが、幸いにして今は一人だ。


「失礼します。今、よろしいでしょうか?」

 部屋の外から若い女の声が聞こえてくる。知っている人間の声だ。大きくもなく、小さくもなく、それでいてよく通る声をしていると思う。

 彼は居住まいを正した。


「構わない。入り給え」

 戸が開き、赤みの強い茶の髪を持つ女が部屋に入ってきた。

「お飲み物を用意致しました」

「ああ。ありがとう」


 静かに、女は近付いてくる。そして、お茶を淹れた。

「どうぞ。冷めないうちにお召し上がり下さい」

「うん。そうさせてもらうよ」

 彼は目の前に置かれたカップを手にして、口にした。良い香りが鼻腔をくすぐり、ささくれ立っていた感情が、少し落ち着いた気がする。


「また、彼女についての報告書をお読みになっていたのですか?」

「まあ、ね」

 彼は、視線を彼女から逸らした。


「殿下。何度も申し上げていますが、あまり気に病まない方がよろしいかと思われます。殿下は何も、間違ったことはしていないのですから」

「うん。分かっている。分かっているよ。君だけじゃないが、心配させてしまって、すまないと思っている」

 こういう真似をしていることが、自分の心の負担になっていることは、自覚している。


「けれど、目を通しておかずにはいられないんだ。それこそが、私があの出来事に対して向き合う唯一の方法で、乗り越えるにはこれしかないと思っているから」

「ええ。何度も聞きました。ですから、根を詰めすぎないようにお願いしますとだけ言わせて頂きます。無理に止めたりはしません。いえ、本当に無理だと判断したら、無理矢理にでも止めさせて頂きますけど」

「はは。そのときは、うん。よろしく頼むよ」


 あの日から、数ヶ月が経った。その数ヶ月で、我ながら随分とやつれたものだなと、彼は思う。

 彼女が悪霊となって自分を呪っているのではないか? そんな噂も聞いたことがある。馬鹿馬鹿しい噂だと思った。

「それにしても、この報告書もだが。相変わらず散々な書きっぷりだな。理解の邪魔になるから、煽り文句や余計な推測などいらぬと言っているのに」


「とはいえ、そう書かずにはいられないのでしょう。彼女の犠牲になった娘に対する義憤や、殿下へのご心痛を考えて」

「むしろ、その気遣いがかえって私に対する覚えを悪くさせているのだから、皮肉なものだな」

 そう言って、彼は冷笑を漏らした。彼女に対して、魔女だの、悪魔の娘だの、希代の悪女だのという評価を見るのは、うんざりな思いだ。


「今もなお、殿下が彼女を愛している。そんなことは、思いもよらないのでしょう」

 女の言葉に、彼はしばし黙した。

「そう、だな。だが、愛しているなどと、そんなことを言うつもりは無い。私だって、現実は受け止めているつもりだ。彼女に抱いた想いはとうに醒めている。第一、この手で刺し殺しておいて、ぬけぬけとそんな事を言えるものか。けれど、思うところはあるのだよ」

 もう一度、彼はお茶を口にした。


「彼女を刺し殺したあの感触は、まだこの手に残っている。きっと生涯、私は忘れることはないだろう。それも覚悟の上で、やったことだが」

「後悔、されているのですか?」

 その問いに、彼は首を横に振った。

「いいや。後悔はしていない。彼女は、やり過ぎた。この国を治める者として、それを見逃すことは断じて許されることではない」


 彼女との結婚式の数日前。

 数々の揺るぎない証拠を突き付けられたときは、目の前が真っ暗になった思いだった。信じたくなくて、どこかに捏造や証拠不備が無いかを探したが、残酷なほどにそんなものは無かった。だから、決意した。


「はい。ですから、殿下は正しいことをされたと思います」

「ああ、私もそう思うよ」

 彼は頷いた。


「ただね。あの日、あの瞬間。彼女は本当に、嬉しそうに、幸せそうに笑っていたんだ。そんな顔で、私に口付けされるのを待っていたんだ」

 それこそ、刺し殺すのを躊躇してしまうほどに。


挿絵(By みてみん)


「報告書から見えてくる、これも私の推測でしかないが。彼女の生い立ちは、苦渋と辛酸に満ちていたようだな。それで、彼女が犯した罪を許せなどとは言うつもりも無いが。それを言ったら、彼女の犠牲になった者達も浮かばれない」

「そうですね」

「だが今思えば、私はもっと彼女のことを知るべきだった。気付くべきだったのかも知れないと思う。初めて会ったとき、彼女の目は光を宿していなかった。それはつまり、そういう事だったのかも知れない。とにかく、生き延びるために必死だったのだろう」


「殿下と会って、彼女は変わったのですか?」

「ん? ああ、そうだね。変わった。と、思う。少し、笑うようになってくれたかも知れない」

 そんな彼女の変化が、彼には嬉しかった。


「ならば、彼女にとって殿下こそが、生きる希望だったのかも知れませんね」

「かも、知れぬな」

 それが、数多くの犠牲者を生む結果となったのは、皮肉で残酷な話だと思う。


「ただ、この事件で色々と追っていると、この国の膿が見えてくるような気がしてならないな。どいつもこいつも、保身のために他人に犠牲を強いてばかりで。政略のために子供を作り、その心を踏みにじって娶せ、ときには殺す。そうしなければ生きていけないこの国の構造が、如何に問題なのか。私がどれだけ世間知らずだったのかと、嫌になるよ。彼女はこの国の膿を一身に受け、耐え続けた。そんな風に思えてならない」

「何か、なさりたいことがある。そんな風に聞こえますが?」


「ああ、そう言っている。このままでは、また彼女のような者が現れることだろう。いや、今もどこかに、そんな者がいるかも知れない。そんなのはもう、まっぴらだ」

「では、どうすると?」

「この国を立て直す。そんな、他人に犠牲を強いなくても生きていられる国にする。それが、私の使命だと思うんだ。彼女を殺し、傷は付け病巣は開いた。後は、膿を出すだけだ」


「長い時間が掛かるかも知れませんよ?」

「構わない。一生掛かっても、私はやるつもりだよ」

「そうなんですね」

「ああ」

 彼は深く頷いた。


「まったく。何を言っても聞かないって顔されていますね」

 やれやれと、若い女官は微苦笑を漏らした。


「分かりました。殿下がそのつもりなら、私もそれに異を唱えるつもりはありません。何か、少しでも私が役に立てることがありましたら遠慮なく仰って下さい。私も、同じ覚悟で力になりたいと申し上げます」

「ありがとう。そう言ってくれて、私は嬉しく思うよ。よろしく頼む」

「はい、それでは、私はこれで失礼致します」

 空になったカップを回収して、女官は踵を返して部屋を出て行く。


 その背中を見届けて。

「願わくば。来世というものがあるのなら、彼女の魂が少しでも救われて欲しいものだな」

 そう、彼は呟いた。

 そして、これは過ぎたる望みだが。彼女と今度こそ結ばれようなどとは思わない。けれど、彼女が幸せになる姿は見届けたい。そんなことを彼は願った。

王子「私には、彼女が最後の彼女だとは思えない。この国がこのままである限り、いずれ、第二、第三の彼女が私達の国のどこかで現れるかも知れない……」

女官「殿下も結構酷い事を仰っている気がします」


来週は夏休みのため、お休みになる可能性大です。

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