第77話:抜けない棘
今回とEx話を数話で、肖像画家編は終わりとなります。
ベリエが屋敷を去ったその翌日。
学校の昼休み。ソルはセリオを誘って、校庭へと向かった。急な申し出ではあったが、彼女は断らなかった。
二人で、校庭の片隅に設置された、ベンチに座る。
ソルは伏し目がちに、セリオには視線を向けない。彼女が今どんな顔をしているのか、見るのが恐いから。
「ソル様。私に話って、どのようなことでしょうか?」
「そうね」
ソルは小さく息を吐いて、口を開く。
「ごめんなさい。私、あなたの力になれなくて。ただ、それだけが、言いたかったんですの」
「いえ、そんなことはないですよ。私は、ソル様に力を貸して貰えて、本当に良かったって思っていますから」
「でも――」
しかし、セリオが首を横に振る気配を感じた。
「本当です。ソル様に背中を押して貰えなければ、私はきっと、今もまだずっと告白出来ないままだったと思います。そして、いつかリュンヌさんが誰かと結ばれる姿を見て後悔するんです。どうして、私はもっと早く告白しておかなかったんだって。それはきっと、告白してふられるよりも辛い結果だと思います」
「それは、そうかも知れないけれど」
彼女が言っていたことをソルは思い出す。『たとえふられて、傷付くことになったとしても、その方が後悔しない』。そんなことを言っていた。
「それに、リュンヌさんはあの瞬間、真剣に悩んでくれました。もし、私がソル様のお力を借りることなく、一人で無策に告白していたら、ああはならなかったと思います。きっと、リュンヌさんはもっと軽く、私のことを断っていたでしょう。『君のことをよく知らないから』とか、そんなことを言って」
「そうね。それは、確かに有り得そうですわね」
「それが、リュンヌさんをそうさせるまでに、私という存在をリュンヌさんの中で大きくさせて貰えたのは、やっぱりソル様のおかげなんですよ」
「悔しくはないんですの?」
その問いには、セリオはすぐには答えてこなかった。
「悔しい。ですよ?」
少し待って、返ってきたその声は、震えていた。
「諦められるんですの?」
「はい。諦められます。だって、諦めるしかないじゃないですか。私は、やれるだけのことをやり切ったって。そう思いますから。ちょっぴり、清々しく思ってしまうのも、それすらも悔しいですけれど」
「そうなんですのね」
これで、もし彼女が諦めないと答えていたら。そのときは自分はどうしていただろう? きっと、喜んで力を貸していたに違いない。ソルはそう思う。また、そう答えなかったことを少し残念に思った。
けれど同時に、彼女の中で心の整理が付きそうなことに、安堵もしていた。
「セリオ。あなたは、強いですわね」
「強く何て、ないですよ」
セリオから、鼻を啜る音が聞こえた。
「本当は今も、泣き出しそうなのを我慢しているんです。諦めなきゃって、言い聞かせているんです。だって、そうしないとリュンヌさんが。うっ、くっ。ひっく」
自分で言い出した言葉に、耐えきれなくなったのだろう。セリオから嗚咽が漏れた。
思わず、ソルは彼女を抱き締める。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。辛いことを思い出させるような真似をしてしまって、本当にごめんなさい」
「私の方こそ、申し訳ありません。でも、お許し頂けるのなら、もう少し、こうして頂けないでしょうか」
「ええ。ええ。よろしくてよ」
ソルは、精一杯の力を込めて、セリオを抱き締めた。
「ソル様。一つ、お願いがあります」
「なんですの?」
「リュンヌさんの事です。リュンヌさんを大切にしてあげて下さい」
本当に、この子はリュンヌのことが好きで、優しい子なのだなと。ソルは笑みを浮かべた。
「安心なさい。もう、虐めたりなんてしませんわよ」
「違うんです。そうじゃなくて――」
「何かしら?」
訊くと、ソルの背中に回ったセリオの拳が、きゅっと握られた気配を感じた。
「ごめんなさい。上手く言葉にすることが出来ません。ですが、ソル様がリュンヌさんを大切にしてくれないと。私の胸は張り裂けそうになるんです。そう、してくれないと、私はソル様を絶対に許せなくなりそうなくらいに」
何故? と、ソルは思ったが。それについては、訊くのを思いとどまった。
あのときもリュンヌは『ソル様のお世話が何よりも大事』と言っていた。となれば、自分のことを恨めしく思う感情があっても、不思議ではない。そんな彼を大切にしない女というのは、確かに許せなくもなるのだろう。
セリオの頭に手を置いて、軽く撫でる。
「分かりましたわ。大切にします。家族同然に育って、いつも世話になっているのも、確かですものね」
ソルはセリオの頭に手を置いて、軽く撫でる。
「それで、いいかしら?」
「はい」
セリオは頷く。そして、ソルの胸から、押し当てていた額を離した。顔を上げる。
「ああそうでして。あと、ソル様にはお礼をしないといけませんね。正直、あまり大したものは用意出来ないのですが。マドレーヌとかでも、大丈夫でしょうか?」
「ええ、よろしくてよ」
「良かったです」
「それと、思い出しましたわ。リュンヌからの伝言があるんですの。『マドレーヌ、本当に美味しかった。ありがとう』って。そういうのは直接本人に伝えなさいと言ったんですけれどね? 今は無理って、駄々捏ねていましたわ。あれでまだ、引きずっているようですわね。『いつか、必ず直接言う』とも言っていましたけど」
実を言うと、リュンヌの評価でどれほどの味なのか興味もあったりする。
くすりと、セリオが笑みをこぼした。
「そうですか。美味しかったですか。よかった」
「私も、楽しみにしていますわ」
「はい、期待に添えるように、頑張りますね」
涙を拭いながら、セリオは頷いた。
それにしても。と、ソルは虚空を見上げて思う。セリオとの会話で、気付いた違和感。
リュンヌは何故? ここまで、自分という女のためにそこまで自分を犠牲にするのだろうか?
確かに、ナビキャラとしての役割はあるのだろう。しかし、自由に恋愛くらいはしてもいいだろうに。
それだけでは片付けられない何かを秘めている? 確かに、彼は『前世で大きな悔いがある』と。そう、言っていたが。それに関係している?
リュンヌ=ノワール。あなたは一体、どこの何者なの?
そんな疑問が、ソルの胸の中で、棘のように引っ掛かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ベッドの中で横になりながら、リュンヌはぼんやりと天井を見詰めていた。
頭の中で、何度も昨夜の出来事が思い返される。
結局、あの出来事の影響がどんなものか分からないということで、今日は学校を休んでいる。というか、ソルに無理矢理休まされた。こんな具合に、本当に何もせずに寝て一日を過ごすのは、いつ以来かとか、ふとそんなことを思う。
不用意な真似だった。自分の前世について話してはならない。それが、"裁定を下す者"との約束だ。その約束を破るつもりは無かったが、言おうとしたことは、彼女が気付く手がかりにはなる。そう、判断されたのだろう。
呪いは強力だった。実際に体験するまでは、どんなものか分からなかったが。全く息が出来なかった。おかげで、あっという間に気を失ってしまった。
それからすぐに、気がついたと思うのだが。
そのとき、視界に入ったソルの顔をリュンヌは思い出す。
「もう二度と、あんな顔をさせるものかって、そう思っていたのにな」
胸に深く突き刺さった棘が、傷を抉って、疼かせる。
セリオ「ソル様? 『もう、リュンヌさんを虐めない』って言ってましたよね?」
ソル「ええ、言いましたわよ?」
セリオ「また、遠い目を浮かべているのを見掛けたんですけど? 今度は何をされたんですか?」
ソル「誤解ですわっ!? ちょっと、新薬の実験台になって貰っただけですのよ?」
セリオ「それは、ソル様の中では虐めではないのですか?」
ソル「彼の『お仕事』でしてよ?」
セリオ「はあ、そうですか」




