第69話:下拵え
リュンヌ攻略作戦を開始して二日目。その昼休み
ソルは、今度は校舎裏にてセリオと待ち合わせをした。
「昨日は、よく頑張りましたわね」
にんまりと、ソルは笑みを浮かべ、セリオを褒めた。
気恥ずかしそうに、セリオははにかむ。
「昨日は詳しく話を聞けませんでしてたけれど、首尾は上々だったようですわね? 少し、時間をかけすぎのようには思いましたけれど、それはまあいいでしょう」
「すみません。どうしても、いざリュンヌさんと話が出来たって思うと、名残惜しく思ってしまったもので」
「ええ、その気持ちはよく分かりますわ。本当に、胸が切なくなるんですのよねえ」
「はい、胸がもう、痛くて堪らないんです」
二人して、甘い溜息を吐く。
うっとりと恍惚の表情を浮かべるセリオを見ながら、ソルは胸に暖かいものが満ちるのを感じた。他人の恋ではあるが、見ていて実に微笑ましい。恋する乙女が美しいとは、こういうことかと少し分かった気がする。
あと、自分もかつてはこうだったのだろうかと思うと、少し背中がむず痒くなる。決して、不快ではないが。
「それで? どこまで話せましたの?」
「はい、昨日もお伝えしましたが。先生の前で困っていたときのお礼は言えました。あと、後日改めてきちんとお礼はしたいって言う事が出来ました。そのお礼をいつするか? まではお話出来ませんでしたけれど」
「いいえ、それは構いませんわ。むしろ、お礼は何が嬉しいか聞き出す口実を作れるという意味で、好都合ですわよ」
「確かに、その通りかも知れません」
こくこくとセリオは頷く。
「ああ、でもお礼かあ。何がいいんでしょうねえ。私としては、いっその事『君が欲しい』とか言って欲しいんですけど」
無言で、ソルはセリオの額を軽く指で弾いた。セリオが呻き声を上げる。
「あのねえ? そんな都合のいい話、あるわけないでしょう? いくら何でも、浮かれすぎでしてよ?」
「うぅ、分かってます。ちょっと、願望を言ってみただけです」
ソルは肩を竦める。
「ちなみに、あなたは何か得意な料理とか、お菓子はありまして?」
「え? お菓子ですか? それはその、パン屋の娘なので少しは心得があります。とはいえ、あまり凝ったものは自信が無いですけれど」
「いえ、結構ですわ。最初にいきなりそんな大仰でお礼に不釣り合いなものを贈られても、リュンヌも気後れするでしょうし。むしろ、簡単なものの方がいいかも知れませんわね」
「というと? リュンヌさんのお礼には、何かお菓子を用意しようということですか?」
「その通りですわ。昔から言うでしょう? 男は胃袋で掴めって。私の母も、そうやって父と仲良くなったそうですわ。何だかんだ言って、男はそういうものに弱いみたいですわね」
「そう言えば、私のお母さんも、お父さんからのプロポーズは『君の焼いたパンを毎日食べたい』だったって言っていました。今では、二人で焼いていますけど」
「そういう事ですわ」
「なるほど、古典的にして王道。そして実績も多い方法という訳なんですね」
「今度はそういうものを何か贈りたいとか、どんなものが好きかってリュンヌに訊くんですの。何も思い付かないようなら、あなたの得意でそれ程凝っていないお菓子でも提案してみなさい」
ふむ。と、セリオは虚空を見上げた。
「というと、クッキーでしょうか?」
その答えに、ソルは顔をしかめた。
「あー、ごめんなさい。クッキーはちょっと止めた方がいいかも知れませんわね」
「どうしてですか?」
「私の母もよくクッキーを焼いて、それに私も手伝ったりしますの。だから、うちの屋敷ってクッキーがよく出るんですのよねえ。リュンヌにしてみたら、目新しさが無いかもといいますか」
「では、マドレーヌとかどうでしょうか?」
「いいですわね。では、それでいきましょう」
「では、今度はいつリュンヌさんに会えばいいでしょうか? やはり、今日の放課後ですか?」
「いいえ、今度はもう少しだけ待って下さらない?」
「と、言いますと?」
「そうですわね。2、3日ほど下さいませんこと?」
「はあ、それは構いませんけれど。何故ですか?」
「ちょっと、下拵えをするんですの」
「下拵え?」
ソルはほくそ笑んだ。
「少し、リュンヌを虐めます」
「ええっ!? そんな、リュンヌさんにあまり酷い事はしないで欲しいです」
セリオが懇願するような視線を向けてくる。
「安心なさい。命に別状はありませんわ。ちょっと精神的に負荷を与えるというだけでしてよ。いつもより多めに扱き使ってあげたり? 仕事を増やしたり?」
「何でそんな事を?」
「いいですこと? 弱っている異性というのは、狙い目なんですのよ?」
「と、いいますと?」
「私に辛く当たられてストレスが溜まっている状態。そんなときに、あなたのような子が手を差し伸べて、『あなたの支えになりたいんです』なんて言ってご覧なさい? 流石にリュンヌも心が靡くものがあるんじゃなくて?」
そう説明すると、はっとした表情をセリオは浮かべる。
「つまり、ソル様は私のために敢えてリュンヌさんに辛く当たり、悪役になろうということですか?」
「ええ、その通りですわ」
「そんな? いいんですか? ソル様は、お辛くないのですか?」
自嘲気味に、ソルは笑みを浮かべる。
「構いませんわ。それで、あなたとリュンヌが結ばれる可能性が少しでも上がるというのなら。それに、こういうのは手慣れているんですの。気にしなくて、よろしくてよ?」
セリオは感激の表情を浮かべた。
「ありがとうございます。ソル様。私、ソル様に相談して本当に良かったです。ソル様の為にも私、精一杯に頑張ります。そして、ソル様にもこのお礼はいつかきっと、必ずお返しします」
「ええ、頑張りなさい。お礼、楽しみにしていますわよ」
とはいえ、本当にセリエがお礼として、大したものが用意出来るかというと、そうは思っていないが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その晩。
"リュンヌ。来なさい"
ソルからの召喚の声が彼の頭の中に響く。
自室にいるので、周囲に人はいない。そもそも、リュンヌの近くに誰かがいたとしても、"裁定を下す者"が世界に干渉する結果、都合よく話の辻褄が合うようになっている。
ただ、このときは猛烈に嫌な予感がした。
理由を強いて挙げるならば、ソルの声色だ。妙に上機嫌なのだ。しかも、こう? 邪悪な感情がたっぷりと含まれた猫撫で声というか。
こういうときに、ソルがどう出てくるのかというと、経験上碌な事が無い。絶対に何か悪い事を企んでいる。
とはいえ、呼ばれて行かないという真似は出来ない。
大きく肩を落とし、溜息を吐いて、リュンヌはソルの元へと転移した。
胸に手を当て、ソルに恭しく一礼する。
「お呼びでしょうか。ソル様」
「ええ、リュンヌ? ちょっとね? あなたに頼みたい事があるのよ」
「はあ」
ちらりと、リュンヌは彼女から視線を逸らし、机の上に置かれた容器の中身を見る。
その中には、毒々しい色をして、異臭をまき散らす液体が入っていた。
嫌な予感は当たった。リュンヌの瞳から光が消える。
セリオ「ソル様、褒めてくれるのは嬉しかったのですが」
ソル「何ですの?」
セリオ「失礼ながら。少し、顔が恐かったです。正ヒロインが絶対にしてはいけない笑顔だったように思います」
ソル「リュンヌと同じこと言いますわね」
セリオ「……(赤面)」
セリオ「何故そこで顔を赤らめるんですの?(ジト目)」
ソル「リュンヌ。この薬を飲みなさい」
リュンヌ「何か凄い色と匂いしているんですが? はっきり言って嫌なんですけど?」
ソル「飲みなさい」
リュンヌ「……………………はい(涙目)」
リュンヌ「……………………(ちびちびと飲む)」
ソル「グイッといけ!」
リュンヌ「もごごごごごごごごごっ!?」
ソル「どう? 体に変化は出てきたかしら?」
リュンヌ「………………(ばたん)」
ソル「うん? 間違えたかしら?」
ソル「実験に犠牲はつきものですわね」
書いていて思うんだけど。
裏でこそこそ動くソルちゃんって、本当に活き活きするのな。
この子、根っからの悪役令嬢なのかも知れん。




