第67話:私が好きになった理由
少し冷静になれば、分かる話だった。というより、その可能性が高いと、薄々気付いていたし、そうであってくれと心の底から望んでいた。
待ち合わせ場所がここでなければ。
ベリエから告白されていなければ。
ここ最近、リュンヌについて教えてくれと言ってくる女子生徒達が鳴りを潜めていなければ。
そんな、幾つもの条件が重なってさえいなければ、よもや自分が女子生徒に告白されるかも知れないなどという、まず有り得なさそうな可能性を心配するなんてことは無かったことだろう。
ソルは胸に抱きつくセリオの肩を掴み、引きはがした。
「ああ、はいはい。リュンヌ。リュンヌね? つまり、あなたもリュンヌのことが好きという訳ですのね?」
訊くと、セリオは少し泣きそうな顔で呻いた。
「『あなたも』? ということは、ひょっとして、ソル様もリュンヌさんのことを?」
はんっ! とソルは大きく鼻で嗤った。とんでもない誤解だ。
「何を馬鹿な事言っていますの? そんな事、ある訳無いでしょう? 私とリュンヌは、ただの主人と側仕え。それ以上でもそれ以下でもありませんわ。全く、どこをどう見てそんな風に考えたっていうんですの?」
「そう、ですよね? 失礼しました。ただ、その」
「何ですの?」
「たまに、お二人のご様子が。お姫様とそれを守る騎士様みたいに見えたことがあったので。それで、つい。あと、いいなあって思っちゃったりしたこともあったものですから」
そう言ってはにかむセリオに、ソルは半眼を向けた。
「あなた。もう少し冷静に物事を見る様に気を付けた方がよろしくてよ? まあ、恋は盲目って言いますから。正常な判断力が損なわれている結果だと、理解はしますけれど」
自分をお姫様みたいだというのはいい。実際、その通りなのだから。転生してこのような境遇に身をやつしてはいるが、元々は公爵令嬢であり、正真正銘のお姫様である。
でも? あのリュンヌを? 騎士様? その評価はどう考えてもおかしいと思う。剣術への拘りから、彼の前世について、可能性の一つとして疑ってはいるが。その立ち居振る舞いは非常に怪しい。主人に対して、ああも反抗的で遠慮の無い騎士がいてたまるかと。
「それと、待ち合わせの場所は、きちんと選んで。あと、一番伝えたいことは最初に言う癖をつけた方がいいですわよ? あらぬ誤解を招いたり、結局、何が言いたいのか伝わらなかったりしますから」
「ええと? 私、何かやっちゃっていましたか? すみません。何が問題だったのか、気付いていないのですけれど?」
きょとんとした表情を浮かべるセリオに、ソルは大きく溜息を吐いた。
「いえ、いいですわ。後で機会があれば説明します。それより、時間もあまり無いことですし、本題に入りましょう? 私達を迎えに来る馬車がありますから」
「はい。すみません。よろしくお願いします。あの、さっきも言いましたけれど。少しでも、リュンヌさんのことを教えて欲しいんです」
「具体的には? 私も、そんなにリュンヌのこと、知っている訳でもないですけれど」
「そうなのですか? 子供の頃から、一緒なのに?」
「ええ。興味ありませんもの。それに、家族のことだって、本当の意味でどこまで知っているかというと、案外と知らないことや分からないことの方が多い。そういうものだと思いますわ」
ましてや、彼らとはこの世界に転生し、一年と数ヶ月程度の付き合いなのだから。
「それは、確かにそうですけれど。でも、私よりは知っていること、多いって思います」
「それも、否定はしませんけれどね」
ただ、答えられることにも限界はあると思う。
「一応、先に言っておきますけれど。リュンヌの女性の好みについてなら、私にも分かりませんわよ? これまでにも、あなたのようにリュンヌについて教えて欲しいと言ってきた女子生徒が何人もいたから、私も探りを入れてみましたけど」
「そうなんですか?」
「ええ、本人にもよく分かっていないんだか。はぐらかしてばっかりですわね」
「では? 幼めな体型の子が好きという話も聞いたことあるんですけど? そんなことは、無いんですか?」
「さあ? それも分かりませんわね。一体どこから出た噂なんだか。リュンヌにふられた女の逆恨みかしらね?」
噂の大元はソル本人なのだが、そんな素振りは微塵も見せない。そんな噂でも流しておけば、リュンヌも観念して誰かとくっついて、こうしてソルに彼の好みを訊かれるような事も無くなるだろうと、そう考えてやったことなのだが。
「そんなあ」
セリオは落胆の表情を浮かべてくる。
「何でそんなにがっかりするんですの?」
「だって私。背も低めで、胸も全然育たなくて。どちらかといえばリュンヌさんの好みかなって、密かに期待していたんですよ?」
「ああ、そうなんですのね」
実際、セリオはそんな感じである。
「でもそれだと、成長したときに好みじゃなくなってしまうという可能性もあるんじゃありませんこと?」
「まあ、それもそうなんですけど」
切なげに、セリオは溜息を吐く。
「それじゃあ、やっぱり私みたいな小さな胸の女の子だと、ダメだったりするのでしょうか?」
「一応、本人は胸の大きさには拘らないみたいなこと言っていますけれどね? どこまで本当か知りませんけど」
だが、彼の目から見るとソルの胸の大きさでもやや貧しい部類に入るのかも知れない。
これでも、一年前に比べればそれなりに育ってきたと思うし、うっすらと谷間だって作れるようになった。まろやかで上品な膨らみは、芸術的な魅力を備えていると自負している。
亡くなる直前の前世の自分には、まだまだサイズで及ばないが、成長具合を考えれば育成計画は順調に達成していると言える。同年代の娘達と比べても、概ね平均的なサイズのはずだ。
だというのに、未だにあいつは、いつぞや自分の胸を貧しいと言ってきた事を謝罪してこないのだ。
「でも、となるとリュンヌさんは、やはり胸の大きな女の子が好きなのでしょうか?」
「可能性としては、有り得ますわね」
流石にセリオに言うつもりは無いが、彼が隠し持っていた秘戯画集のお気に入りは、胸の大きなヒロインだった訳でもある。
「で、でもそれなら。私もソル様みたいに頑張って育てていけば。そうやって、アピールしていけば何とか、少しは可能性が――」
何とか希望を見出そうと呟くセリオを眺めながら、ふと、ソルは疑問に思っていた事を口にした。
「ねえ? あなたは、リュンヌのどこがそんなにも好きだと言うんですの?」
「え?」
セリオは、目を丸くする。
「いえ? 前々から、不思議に思っていたんですの。あなただけじゃないですけれど、リュンヌの何がそんなにもいいっていうんですの? 先に言っておきますけれど。あなたがリュンヌと結ばれる可能性は、厳しいと思いますわよ? 決して、あなたに魅力が無いとかそんな事を言うつもりはありませんわ。ですが、何を気にしているのか分かりませんけど。リュンヌが私の世話を口実に、これまで誰から言い寄られても断り続けてきたというのも、事実なんですのよ? それでも、想い続けよう、あるいは、告白しようって思うんですの?」
改めて訊くと、大きくセリオは頷いた。強い決意がその目に宿っているのが見て取れる。
「はい。たとえふられて、傷付くことになったとしても、その方が後悔しないって思いますから」
「そう。まあ、本人は、どこまで本当か分からないけど、誰かを好きになる気が無い訳じゃないって言っていますから。全く可能性が無い訳でもないでしょうけどね」
困ったように、セリオは笑みを浮かべた。
「そうですね。難しいことは、私だって分かっているんです。でもやっぱり、私はリュンヌさんのことが好きで好きで、どうしようも無いんです」
「それはまあ? 見てくれは悪くないのは私も否定はしませんけれど?」
「違います」
はっきりと、セリオは否定してきた。
「それは確かに、全く見た目が関係ないって言ったら嘘になるかも知れません。けれど、あの人は勇敢で、正義感に溢れていて、優しくて、ときどき意地っ張りで可愛い。そんな人です」
「随分とまあ、高評価ですわね」
「はい。恋は盲目、ですから」
セリオは自嘲する。
「切っ掛けは、私が職員室で先生に怒られていたときの事でした。クラスの中で物が無くなって。時間的にたまたまその場を離れていた私が疑われて。私、泣き虫で、驚いて、上手く説明出来なくて、違うって言うことしか出来なくて。途方に暮れていたんです。そこを通りかかったリュンヌさんは『まずは落ち着いて話を聞いたらどうですか?』って、先生に言ってくれて」
「ふ~ん? ちなみに、その先生って小太りの女性ですの?」
「はい。ロッカ先生です」
「ああ、あいつね」
心当たりの通りだった。ヒステリックで有名な教師だ。正直、思い込みと依怙贔屓が激しく、しかもナルシストの気があり生徒からも評判が良くない。特に、可愛い女子には冷たく当たるという噂で有名だった。
「それで、何とか事情を説明出来て。でも、お礼を言おうと思ったらさっさとリュンヌさんはその場を立ち去ってしまって。それから、いつかお礼を言おうと思って、様子を伺っていたんです」
「なるほど」
「そうやって、お礼も言えないままにあの人の事を追っていたら、本当にいい人なんだなって。そう思って、気付いたら、好きになってしまっていました」
「へえ」
何の感慨も無く、ソルはセリオの言葉を聞き流した。
結局はそうして、これからも助けて欲しいと。そういうつもりなのではないだろうか? ソルには、そんな気がしてならなかった。
「でも、ある日気付いたんです。あの人は、ときどき、寂しそうに、物憂げな顔を浮かべているんです。人目に付かないような場所とかで」
その言葉に、ぴくりとソルは眉を跳ね上げる。
「それで私、助けて貰ったからっていうのもあるんですけれど。もしも、受け入れて貰えるのなら、あの人にはもうそんな顔はして欲しくないし。私が支えていきたいって。そう、思ったんです」
「なるほどね」
ソルは、小さく笑みを浮かべる。少し、気が変わった。リュンヌの外見や評判に惚れた娘はこれまでにもいたが、ここまで彼を見ていて、想いを言ってくるような女はいなかった。
「いいですわ。あなたがそこまで言うのなら、少しくらい、手伝ってあげてもよろしくてよ?」
これは単なる気まぐれだが。妙に、悪い気分はしなかった。
ソル「ところで、何か謝礼とかは出す気ありますの?」
セリオ「え? 考えていませんでした」
ソル「まあ、戯れに訊いてみたまでですし。期待もしていませんでしたけれど。ギブアンドテイクは、常に意識しておいて損はありませんでしてよ。商売の基本ですわ」
セリオ「商売感覚なんですね」
セリオ「でも……私に差し出せるものと言ったら(考え込む)」
セリオ「…………ひうっ!?(恐いことを思い付いてしまった)」
セリオ「…………(がくがくぶるぶる)」
ソル「あなた、私を何だと思っていますの?」
せリオ「えっ!?」
ソル「えっ!?」




