第65話:私を好きになった人
ベリエが描く絵の進捗を確認した翌日。
ソルは、ベリエの元を訪れた。
仕事の休憩といったところなのだろう。彼は庭に出て、植えられた花々を眺めていた。
「お仕事は、いいんですの?」
「ソルお嬢様。学校から、戻られたのですか?」
「ええ、今さっき、戻りましたわ」
軽く嘆息する。
「それと、さっきも訊きましたけれど。お仕事はいいんですの?」
ベリエは微苦笑を漏らした。
「はい。大丈夫です。絵の具が乾くまでは、手持ち無沙汰な状態ですから」
「そう」
「ソルお嬢様は、私に何か御用ですか?」
「別に? 用って程の話ではありませんわ。ただ少し、言っておきたいことがありますの。それだけですわ」
「言っておきたいこと? ですか?」
首を傾げるベリエに、ソルは頷く。
「昨日は悪かったわね。去り際に、あんな態度を取ってしまって」
「いえ、お気になさらないでください。それまでご自分に抱いていたイメージと違うことに、困惑された。そういう事なのだと思っていますから」
「ええ、そうね」
それでも、あれが自分の姿だと思うと、まだ素直に受け入れがたいものは感じるが。
「でも、やはりソルお嬢様は繊細なお方なんですね。そんなことを気にして、わざわざ私にこうして謝ってくるなんて」
「五月蝿いですわ」
褒められているのか揶揄されているのか分からないベリエの言葉に、ソルは唇を尖らせた。
「それと、一応お礼は言っておこうと思いましたの」
「お礼?」
「私のことを好きだと言ってくれたことですわ。先日も言いましたけれど、あなたの想いに応えてあげられるとは限りません。その気持ちに変わりはありませんわ。変に期待はしないで下さいませ? けれど、存外悪い気もしていないというのも、事実ですのよ。そう言ってくれたことは、嬉しく思います」
「そうですか」
静かに、嬉しそうにベリエは笑みを浮かべた。
一方で、ソルは半眼を彼に向ける。
「ですから、変に期待はしないで欲しいって言っているじゃありませんの。何ですのその顔は?」
「いえ、私の想いでソルお嬢様が少しでも嬉しいと想って貰えたのなら。それだけで、私にとっては嬉しいと言うだけです」
「想いが届くかどうか分からなくても? むしろ、届かない可能性の方が高いと言われていても? 虚しいとは、思いませんの?」
「虚しいとは全く思いません。それは確かに、理屈で考えればそうなのかも知れませんが――」
自嘲気味に、彼は笑った。
「きっと、こういう感情はそんな理屈とは別の次元にある。そういうことなのでしょう。少しでもあなたが喜んでくれたのなら、それだけで私は嬉しいのです」
「なるほど」
全く分からないとは言わない。昔から、あちこちで語られてきた話だ。エトゥルとティリアの間にあるものもそんな感じだろう。下手に訊くと惚気られそうなので、敢えて訊こうとは思わないが。
「それと、もう少しあなたのことを教えて貰えません事?」
「私のことですか?」
「ええ、そうですわ」
ベリエに対して自分が想えるかどうか? それは、一晩考えてみた。
けれど、結局のところ答えは出せなかった。というか、自分が彼をどれほどまで知っているかというと、どれほども知らない気がする。先日、確かに彼と話をしたが、気付けば自分のことばかり話していて、彼についてはあまり聞き出せていない。だから、判断材料が少なすぎる。
と、はたとソルは気付いた。さっきの言い方は誤解を招きそうだと。
「べっ!? 別に、勘違いしないで下さいませ? 決して、私があなたに興味があるとか、そんな訳では無いんですのよ? ちょっと、どんな男が私のような女を好きになるのかって、今後の参考になるかと思っただけなんですのよ?」
「ええまあ。それは、分かってますから」
口に手を当てて、ベリエは肩を震わせた。
絶対に分かってないわこいつ。ソルはむくれた。
「いえ、すみません。失礼しました。はい、私の話でよければ、喜んで」
ただ不機嫌な表情を浮かべながらも。実に嬉しそうな表情を浮かべるベリエを見て。ソルはその表情に免じて、特別に許してやろうと思った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その晩、寝台に腰掛けながら、ソルはベリエとの会話を思い返していた。
やはり、少なくとも悪い男ではない。彼と話した後でも、ソルの中のベリエの評価として、そこは変わらなかった。
情報としては、色々と聞き出せたとは思う。
絵を描くのに、集中し過ぎて寝食を忘れることもあるくらいだから、食べ物はサンドイッチのような手軽なものが好きだという話。元々王都にいた訳ではないが、近くの街から進学と共に移り住んで、そうやって大学に通っていた話。母方の家系が、代々占い師をしてきたという話。妹もまた、占い師を継ごうとしている話。色々と聞いた。
とりわけ興味を惹いたのは、何故画家を目指したのか? その理由だった。
生きている内に巡り会い、美しいと思ったものを少しでも後世に残したいと思った。それが彼が画家になった理由だった。両親の用事で連れられて、小さい頃に王都の教会に飾られた宗教画を見たときに、深く感動を覚えたのだという。
人は何故生きるのか? 何のために生きるのか? 子供ながらに、生きる以上は何かをこの世に刻んで生きたいと考えていた頃のことだった。こんな絵を描けるようになれば、例えいつか自分が死んでも、永遠ではないかも知れないが、永く自分の心を残せると思ったのだ。
世界には、汚いものも多くあるけれど、美しく魅了するものだって多く存在している。そんな美しいものを少しでも伝えていきたいのだと。
こういうところは、先入観で誤解していたように思う。見た目が女のような優男だったから、性格もそんな具合なのだろうと思い込んでいた。けれど、彼もまた彼なりに真剣に人生と向き合い、生きていたのだった。
彼が大切にしているもの。それは何かとも訊いた。そうしたら、それは心だと答えてきた。魂を視る目を持っているせいかも知れないと、冗談めかして言っていた。同時に、大事にしようと思いながらも、何人もの女性に辛い思いをさせてしまったのは、至らないところだと気に病んでいたそうだ。そして、もうそんな真似は繰り返すつもりは無いのだと。
ソルは考える。もしも、ベリエと一緒になったとして、自分は幸せになれるのだろうか?
女の幸せは、愛される事だなどとどこかで聞いた覚えがある。クラスメイトの会話から、聞こえてきた話だったかも知れない。
そういう意味では、ベリエは自分を幸せにしてくれるだろう。少なくとも、その努力は怠らないように思える。リュンヌが言っていたように、将来性だって期待出来る。
あとは――。
「こんな私を理解して、その上で受け入れてくれるかも知れない人」
ソルは呟いた。
それは、いつだったか相手に求めるものとして考えたものの一つだ。ベリエはそれを満たしている男かも知れない。
そんな男から好きだと言われて、みすみす結ばれる機会を逃すというのは、愚かな選択のようにも思える。
けれど、どうしても決心は付かなくて。ソルは深く溜息を吐いた。
リュンヌ「ツンデレ乙」
ソル「だからっ! これはそういうのではないって言っていましてよっ!?」
リュンヌ「(にやにや)」
ソル「(ブチ切れの形相)」




