第64話:本当の自分
ソルは声を失った。
ベリエに告白されてから、また数日が過ぎた。
彼女の目の前には、描きかけの肖像画がある。少し進んだから、出来映えの確認をお願いしたいと彼から言われている。
絵の中には、まさに自分が理想としているかのような自分がいた。凜として、気高く理知的で力強い光をその目に宿している。そんな少女の姿が描かれていた。
下書きに対して、お手盛りがされているとか、そんな風に手を入れたようには見えない。にもかかわらず、こんな風に見せるように描くとは、どんな技量や創意工夫が込められているというのか。それは、ソルには窺い知れない。
けれども、ベリエが真剣にこの絵の少女を愛しているということ。それだけは深く伝わってくる。
彼女の周囲で、先日と同様に家族は喝采を挙げている。その反応から考えるに、どうやら、彼らにはこの絵と自分の姿が一致しているように見えているらしい。
「どう? ソル? 素敵な絵だと思わない? 完成が楽しみだわ」
ティリアの声に、ソルは顔を赤くして俯いた。全身がむず痒く、思わず身を震わせる。
「そ、そうですわね」
声を上擦らせながら、そう答えるのが精一杯だった。
なんなんですのこれ? あまりにも恥ずかしすぎるんですけれど?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
絵の確認が終わって、家族が解散した後、ソルはベリエを呼び出した。
場所は、庭園の片隅だ。何故ここを選んだのかというと、それには大した理由は無いが。強いて言うなら彼と何度か話した事がある場所であり、人目にも付きにくく、外なので完全に二人きりという気もしなくて安心といった。そんな心理が無意識に働いたのかも知れない。
ソルは額に手を当て、しばし瞑目した。どう切り出せばいいのやらと少し悩む。
嘆息して、ソルはベリエに視線を向けた。
「あの絵は、一体どういうつもりですの?」
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ、別にそういう訳ではありませんわ。あと、怒っているわけでもなくってよ」
「では、何が?」
こちらが怒っているわけではないと知って、ベリエは少し安堵したような表情を浮かべる。と、同時に困惑もしているようだった。
「ただ、私には訳が分からないんですの。どうして私が、あんな風に描かれるんですの?」
「ええと? では、やはりご不満が? どこが、良くないと思われたのですか?」
「違いますっ!」
ああもうっ! と、ソルは癇癪を起こした。
「どう言えばいいんですの? あの絵は、あまりにも私を描いたにしては出来が良すぎるのではなくて? 私は、全然! あんな女じゃないんですの」
あんな絵を見た人は、自分をどれだけ素晴らしい娘だと期待することだろうか。無論、そう思わせるのがこの肖像画の目的ではある。けれど、あの絵はまるで詐欺ではないかと。
「あなたが棘を持っているから。そういうことでしょうか?」
ベリエの返答に、ソルは口をつぐんだ。
頷き、肯定する。
「ええ、その通りですわ」
「そういった部分も、取り入れて描いているつもりです。技術的なことは私にも上手く説明は出来ませんが、例えば目の光や唇に、ある種の邪悪な感情が湧いたときにしか出てこないものを込めて。ふてぶてしさのようなものを演出しています」
「それは、そうかも知れませんけれど」
あの絵から、全く棘のようなものを感じなかったかと言われればそれは嘘になる。美しさと同時に、恐いもの見たさというのだろうか? そんな興味の引き方をしてくるようにも感じたのだ。
ベリエは笑みを浮かべた。
「ソルお嬢様は、少しご自分に自信を失っているのかも知れませんが。私には、ソルお嬢様はあの絵の通りに見えています」
「贔屓目が過ぎるのではなくて?」
唇を尖らせると、ベリエは苦笑した。
「確かに、恋は盲目と言いますから。そういうところもあるかも知れません。けれど、ご家族の方も違和感は感じていなかったではありませんか?」
「それも、認めますけれど」
だから、恥ずかしくて仕方ないのだ。全身全霊で、愛していると言われ続けているような気がして。
でも、だからこそ訊きたいことがある。
「ねえ? ベリエさんは、本当に私のことを愛しているんですの? 先日、ここで私にそう告白してきましたけれど」
「はい。その気持ちに嘘偽りはありません。愛しています。心の底から」
そんなにも真っ直ぐに気持ちをぶつけてこないで欲しいと思う。どう受け止めていいのか、分からなくなるから。
ソルは彼から目を逸らした。
「私のどこが、そんなにも好きだというんですの?」
「どこというよりも。美しいバラのように視えたからでしょうか? 美しく、芯があり、気品がある。そんな風に感じたからです」
「でも、棘があるんですのよ? 私の棘はきっと、ベリエさんが想像しているものよりも、もっと醜くて鋭いですわ」
ソルは目を細めた。
昔の自分を。その感覚を呼び覚ます。抑え付けられないような殺意を滲ませて。
狂った瞳で彼を見た。彼を美人の女を見たときのように、残酷な殺しのイメージへと放り込む。リュンヌが言っていたように、この男が本当に人の魂までも視えるというのなら、これを直視していられるものかと。
しかし、ベリエは静かにこちらを見詰めてくるだけだった。
「それが、ソルお嬢様の棘なのですね」
「幻滅しました?」
ベリエは首を横に振る。
「いいえ、薄々とですが。感じていたものですから」
予想外の反応に、ソルは沈黙する。
ベリエは少し表情を陰らせて、虚空を見上げた。
「バラは、繊細な花だと聞きます。繊細であるが故に棘を纏ってその身を守るのだと」
「何が言いたいんですの?」
「あのご家族に囲まれながら、ソルお嬢様が何故そのような棘を身に纏うようになったのかは、私には想像が付きません。棘を持ちながら生きることの苦悩も、どれほども分かるとは言いません。ですが、ソルお嬢様もきっと、繊細であるが故にそうならざるを得なくなったのではないかと思っています。そして、だからこそ、私を放っておけない気にさせるのです」
瞬間、ソルの頭に血が上った。
「憐憫や同情のつもりなら、止めなさいっ!」
「私の気持ちは、そんなものじゃないっ!」
怒りの言葉を発するが、即座にベリエに言い返された。
「憐憫や同情で、私はあなたを美しいなどとは言いません。日々努力し、己を磨き上げ、ご家族を大事に思ってらっしゃる。そんな方だからこそ、私はあなたを美しいと感じ、心から愛するのです」
ソルは唇を噛んだ。湧き上がる激情を堪える。
「分かりましたわ。あなたがそういう気持ちだというのなら、絵はあのままで構いません。お仕事、頑張って下さい」
震える声でそう言って、ソルは踵を返した。
「ソル様」
「ついてこないでっ!」
駆け寄ろうとする気配を感じて、ソルは咄嗟に拒絶した。
「ごめんなさい。少し、一人になりたいんですの」
そのまま足早に部屋へと戻る。そうしないと、胸が痛すぎて。人前だというのに涙が零れそうになるから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その晩、ソルはリュンヌを自室へと召喚した。
音も無く、いつものように彼は姿を現す。
寝台に腰掛けながら、ソルは彼に話しかけた。
「夜遅くに悪いわね。少し、話し相手になってくれませんこと?」
「僕でよければ、何なりと」
少し間を置いて、ソルは口を開いた。
「先日。ベリエから告白されましたわ。心の底から私を愛しているって。愛を込めて私の肖像画を描いてもいいかどうかっていう言い方でしたけれど。許して貰えるのなら、その方がきっと絵の出来も良くなるからとも言ってましたわ」
「それはまあ、彼も思いきった真似をしたものですね。それで? ソル様は何て返事を返したんです?」
「想いに応えることは出来ないけれど、そういう気持ちで絵を描くのは構わないって。そう返しましたわ」
「ああ、それでですか。何だかベリエの機嫌が良かったのは。仕事でも筆が乗っているみたいでしたし」
「リュンヌは、あの絵を見てどう思いましたの?」
「どう? とは?」
「ですから。どこか、おかしいとは思いませんでしたの? こう? 出来が良すぎるというか、私にしては棘が無さ過ぎるとは思いませんでして?」
訊くと、リュンヌは半眼を浮かべてきた。
「何を突然しおらしいこと言っているんですか? そりゃまあ? ソル様は人を実験台にして吐き薬飲ませたり、有り金全部出せとか無茶苦茶言ってくる。そんな性格悪いところは山ほどありますけど?」
ソルはリュンヌを軽く睨んだ。自覚はあるが、はっきり言われると腹が立つ。
「でも、僕から見てもソル様はあの絵の。ああいう感じですよ」
「そう。あなたから見ても、そうなのね」
いつも通りの気負いのない返事が、リュンヌの本心だと伝えてくる。そんな彼の評価に、ソルは少し安堵した。
「でも、私には絵の中の私が本物より理想的に過ぎるんじゃないかって、それで問いただしたんですの。そうしたら、ベリエはどうも本気で私のことを愛しているみたいで。彼も、ああ見えているって」
「それで、何か問題でも?」
「『回想記録』にベリエとの出来事が収まっていて。ルートが出現してしまったんですの」
「へえ?」
にやあと、リュンヌが笑みを浮かべてきた。「くっ」とソルは歯を食いしばる。
「何ですのその顔は? ただちょっと、本気の告白が存外嬉しかったというだけですわ。最初は全然興味無いとか言っていたくせに、ちょっと告白されただけで靡くお手軽な女だとか、思わないでくれませんこと?」
「いやいや? そんなことはこれっぽっちも思ってませんよ? 僕は純粋に、ソル様が恋する気持ちを失っていなくて嬉しいだけです。ベリエもそれだけ、本気でぶつかったからこそ、ソル様も心がぐらつくものを感じたのでしょうし?」
妙に口調に生温かい優しさが混じっているのが苛立たしい。ベリエが真剣だったからこそというのは同意するが。
「そういう訳で、あなたにも関係あるから。ちょっとこの話だけ伝えておきたかったというだけですわ」
「なるほど。それはどうも。それで? ソル様はどうされるおつもりですか?」
ソルは深く溜息を吐いた。
「それが。分からないんですの。ねえリュンヌ? 私は一体、どうしたらいいのかしら?」
「それは、お気持ちは察しますが。僕が決める話ではないと思います」
「そうね。それは、分かっていましてよ」
「ええ。僕も、そんなつもりでソル様が仰った訳ではないと分かっています」
ただ少し、弱音を吐きたかっただけだ。
「ただ僕は、ソル様がベリエの想いに応えて、彼を精一杯に想えるかどうか? その心に従えば、それでいいのではないかと思います」
「それが分かれば、苦労しないですわ」
「僕も同感です。ただ、話しているうちに気付くところもあると思うので。何かあれば、相談には乗らせて貰います」
うん。と、ソルは頷いた。
絵の進捗具合から考えて、このままだとベリエがこの家に滞在するのもそれ程日がある訳でもないだろう。
そんな短い時間でどう答えが出せるのか、ソルは改めて悩ましいと思った。
ソル「これが、私?」
リュンヌ「何を古典的少女漫画のネタやってんですか?」
ソル「私、こんなに綺麗じゃない」
リュンヌ「どこの宅急便やっている魔女かと。というか、超絶ナルシストのくせに何をしおらしいこと言っているのかと」
ソル「リュンヌ? 後で覚えてなさい?」
リュンヌ「その反応で少しホッとしましたが。勘弁して下さいマジで」




