第54話:もう恋なんてしないなんて言わない
寝台に座り、ベリエが描いた家族の肖像画を手にして、ソルはそれを眺めていた。
ベリエが、集まった家族をモデルに描いていたのが、小一時間ほど。そしてそれから更に仕上げとして一日を費やし、渡されたのがこれだ。
その出来映えに、家族は皆、声を失った。
「大したものですね」
目の前に立つ、リュンヌが言ってくる。
「ええ」
ソルも芸術そのものの理屈に明るい訳ではないが、前世の経験からそれなりの審美眼は持ち合わせていると自負している。
玉と石を見分けるだけではなく、玉の中でもより価値あるものを選りすぐるだけの目を持たなければ、貴族達の間で生き抜くことは出来ない。
絵そのものは、極めて写実的である。モデルの各人を精密に描写しきっている。とても、鉛筆で描かれた「絵」であるとは信じがたいほどの出来だ。そのときの光景を切り抜いて、紙に貼り付けたかのような代物だ。
ただ、それだけであれば、王都の芸術大学を出た者であれば至れる者は少なくないだろう。むしろ、それぐらい出来なければ、この先を生き残っていくことは厳しい。描き上げるのに、必要な時間の差はあるだろうが。
この写実性の上に、更にベリエの個性なのだろう。繊細な柔らかさや温もり、そんな空気感が伝わってくるのだ。そこは、どうやっているのかは、本人にも上手く説明は出来ないし、他の画家に再現出来るものでもないだろう。
「これだけの絵を掛ける画家は、前世でも数えるほどしか見た覚えがありませんわ。いえ、ひょっとしたらそれ以上の天才かも知れませんわね」
「それでは?」
「最後に決めるのは、ソル本人だ」ということで、ゆっくり考えなさいとエトゥルからこの絵を渡されていたが。家族は既に、誰もが文句が無いようだった。
「ええ、私としても異存はありませんわ。ベリエに描いて貰います」
今日はもう遅いので。その返事は、また明日に伝えることになるが。
「それで? 話って何ですの? 私、さっさと寝たいですから、用件は手早くお願いしますわ」
それでわざわざ喚んだのだが。実を言うと何となく想像は付いている。
「はい。ベリエですが。ソル様から見て如何でしょうか? お気づきかも知れませんが、彼も、攻略可能な男性の一人です。ご覧の通り、絵の才能も相当なもので、結ばれた場合の未来も明るいと思われますが」
やっぱりその話か。と、ソルは嘆息した。
ベリエの姿を思い出す。貧弱とまでは言わないが、全体的に線が細く華奢だ。顔立ちは美しく整っていて。長く癖の無い金髪は首の後ろあたりで、紐で括られている。
「悪いけれど。興味はありませんわ。美形なのは認めますけれど、私ああいう線が細くて女みたいな殿方は好みじゃありませんの。そういう殿方が好きという女がいること自体は、認めますけれど」
だから、この世界の元になった遊戯でも、このような男が用意されたのだろう。
「そうですか」
落胆したように、リュンヌは肩を落とした。
一方で、不機嫌にソルは顔をしかめる。
「だいたい、あなたの方こそどうなんですの?」
訊くと、リュンヌは首を傾げた。
「僕ですか? 僕が何か?」
「私にばっかり色々と訊いていますけれど、あなたの方こそ恋人を作ろうとか思いませんの?」
「いつの頃からか、僕が幼女趣味だっていう噂が立って、その誤解を解くのに大変なんですけど?」
リュンヌがこちらに対し、犯人だと疑いきった目を向けてくる。事実その通りなのだが、ソルはしらばっくれた。
「それは大変ですわね? でも、だったらなおのこと、同じ年頃の女性と付き合うとかすればいいじゃありませんの? そうすれば、そんな噂もすぐに消えますわ」
「それはまあ、その通りなのかも知れませんが」
リュンヌは渋い顔を浮かべた。
「相手がいないというのなら、好みを教えてくれれば、あなたに気のある女子生徒から選んで引き合わせますわ。それとも、胸に秘めた相手でもいるんですの? それならそれで、相談に乗りますわ」
「それは謹んでお断りします。ソル様に相談すると、何かとんでもない事やらされそうな気がするので」
「なんですって?」
半眼を向けてくるリュンヌをソルは睨んだ。
ここで引っ掻こうとしても、どうせひらりと躱されるだけなので、襲いかかったりはしないが。
「そもそも、僕が相談役としてここにいるわけで。ソル様が僕のことを相談に乗るとか、立場が逆じゃないですか?」
「まあ、確かにその通りですけれど」
とはいえ、だからこっちが相談に乗ってはいけないという理屈は無いと思うのだが。
「ねえ、リュンヌ?」
「はい?」
「あなた。前世で失恋でもしたんですの? 初めてあなたとここで会ったときに、『大きな悔いがある』って言っていましたけれど。それが忘れられなくて、こちらの世界で言い寄られても、受け入れる気になれなかったりしますの?」
それはソルにとっては、本当に何気なくふと思い付いた疑問だったのだが。
思いの外、その問い掛けに対して、リュンヌは寂しげに笑った。
「そう。ですね。概ね、そうなのかも知れません。単に気持ちの整理が付かなくて、それで先に進めないのかも知れません。僕が、告白してくれた女の子に対して、断る理由として言っている『今はソル様のお世話が何よりも大事だから』というのも、決して嘘ではないのですが」
「それは、私が誰かと結ばれれば、あなたの中で後悔が消えるものなんですの?」
「はい、その通りです。きっと、必ず」
しみじみと言って、リュンヌは頷いた。
どんな理屈だと。さっぱり訳が分からないとソルは虚空を見上げるが。
「別に『もう恋なんてしない』とか、そんな風に思っている訳では、ないんですのね?」
「はい。違います」
と、リュンヌは心配そうな視線を向けてきた。
「ですが、ソル様の方こそ『もう恋はしない』とは、考えていたりするのでしょうか?」
訊き返された質問に、ソルは自問する。
そして、数秒の後、静かに首を横に振った。小さく、笑ってみせる。
「私なら、大丈夫ですわ。今もアストル王子を想っていますもの」
それに、アプリルやリオンとの出会いで学べたことは、確かにあると思う。今後、彼らに報いる方法があるとすれば、その経験を活かし幸せになることだ。
だから、絶対に「もう恋なんてしない」なんて事は言わない。
1992年かあ(遠い目)。
ヴィエル「ねえ? リュンヌが幼女趣味って本当なの? 学校で噂になっているんだけど?」
リュンヌ「酷い風評被害っ!? 誤解ですヴィエル様」
ソル「そうでしてよ? ヴィエルも気を付けなさい」
リュンヌ「ソル様も乗らないで下さいっ!」




