第52話:肖像画の依頼
今回から新章。肖像画家編となります。
長い冬も明けようとしたある日。ソルは両親から呼び出された。
執務室にてエトゥルが座り、その傍らにティリアが立っている。
「改まって、何ですの? お父様、お母様」
「ああ、うん。それなんだけどね」
エトゥルはそう言って、ティリアに視線を送った。
一方で、ティリアは首を横に振る。
そんな彼女の様子を見て、エトゥルは顔をしかめた。
「いや、出来れば君の方から言って貰えないかな? こんな話、どう切り出せばいいのか、父親としては悩ましいんだよ。特に、ソルはそういうのに敏感な年頃だろうし」
「何を言うの。大事な話だからこそ、こういうのは父親が威厳を持って切り出すべきものだと思うわ」
「そうは言ってもだね? やっぱりこういうのは同性からという方が、抵抗が少ないと思うんだ」
「大丈夫よ。ソルは頭の良い子だもの。きっと、落ち着いて答えてくれるわ」
「いやいや、やっぱり君が」「いいえ、あなたから」と。どうぞどうぞとよく分からない責任の押し付け合いをする二人を見て、ソルは半眼を浮かべた。何でこんな茶番劇を見せられなきゃならんのかと。
ソルの口から嘆息が漏れる。
このまま放って置いても時間だけが無駄に過ぎていきそうである。なので、ソルは自分から訊くことにした。
「一体、何の用だって言うんですの? お父様? そんなつまらない夫婦漫才を見せるために私を呼んだ訳ではないのでしょう?」
「あ、うん。まあ、その通りだ」
エトゥルは頷いた。一方で、名指ししたことで観念したらしい。
彼は軽く咳払いをして、訊いてきた。
「ええと? あれだ。これは、本当に正直に答えて欲しいんだが。俺達はソルの気持ちを最大限に尊重するつもりだと先に断っておくけれどね?」
「はあ」
更に、少しの躊躇いを見せた後、エトゥルは続けた。
「ソルは今、好きな男の子とか、いるのかな?」
「いませんわ」
即答する。
アプリルに振られ、リオンに振られた今、本音を言えば本命で想っているのはアストル王子なのだが。流石に地方領主である父や母に、そんなことを馬鹿正直に答えるつもりは無い。言ったところで、ただの夢だと思われるだろう。それどころか、下手に本気度が伝われば、頭のおかしい子扱いされかねない。
学校や取引先などで出会った男達にも、一応は攻略可能な対象はいるが、眼中に無い。攻略対象外に比べれば、少しは見所があるようには思うけれど、それでもアプリルやリオンに比べ見劣りがするように感じてしまうのだ。
「あんまり彼らと比べてハードルを上げて、高望みし過ぎても、選択肢を狭めるだけですよ」とリュンヌからはねちねち言われているが。
しかし、それを抜きにしても、彼らとの失恋の傷は癒えていないのだと思う。そんな気にはなれなかった。
「そ、そうか。本当に?」
「本当ですわ」
「本当の本当に?」
「ですから、本当ですってば」
「ソル? 隠さなくていいのよ? 本当に、正直に答えて大丈夫だから」
「ですからっ! 本当に、そんな相手はいないって言っているじゃありませんの。しつこいですわっ!」
あまりにも念入りに訊いてくる両親に、ソルは癇癪を起こした。
むぅ。と、エトゥルが唸る。
「そうか。いないのか。安心したような。残念なような。どういう気持ちなんだろうなこれ?」
「知りませんわよ。そんなの」
腕組みをして首を捻るエトゥルに、ソルは呆れる。
「そんなことより、さっさと本題に入って貰えませんこと? まさか、本当に私の恋愛事情を探るためだけに呼んだとか、そういうのじゃありませんわよね?」
だったら、引っ掻いてやる。と、ソルは右手を挙げ、構えて見せた。
「そんな訳じゃないよ。ちゃんと話すから」
ならば良し。と、ソルは右手を引っ込める。
「真面目な話。ソル。お前も大分大きくなった。そろそろ、結婚相手についても考え始めないといけない年頃だ」
「ならつまりは何ですの? 私に見合いなり何なりしろと。そういう話ですの?」
しかし、エトゥルは首を横に振った。
「いや、まだそこまで話は進んでいない。そもそも、どういう相手がソルに相応しいのか、それすら悩んでいるというところなんだ」
「どういうことですの?」
エトゥルは頭を掻いた。
「親馬鹿かも知れないけれど。ソル。お前は本当に出来た娘だ。こんな田舎の地方で埋もれるには、惜しい子だと思っている」
「いえ、そんなことは――」
まあ、あるんですけれどね? 当然ですわ?
ソルは口では謙遜しつつ、頭の中で高笑いする。
「それで、俺達としても少し欲が出てきてしまったんだ。出来るだけ、お前の嫁ぎ先には立派なところを狙うことは出来ないだろうかと。いや、可能性を広げたいと言った方がよかったかな?」
「と、いいますと?」
「ちょっと、ソルのためにきちんとした肖像画を描いてもらって、それを王都に集うような、そんな方達の目にも触れるようにしようかと。そう思っているんだ」
「ソルは可愛いから、きっと素敵で立派な方の目にも留まると思うの」
「普通は、俺達のような地方の田舎領主なんかだと、内々に近くの有力者や貴族と相談して、そうして見合いや月婚を準備していくものだから。それを考えると、身の丈に合わない真似かも知れないけどね」
「まあ、私のために、そんなことを考えて下さったんですの?」
ソルは目を輝かせた。
「ということは、この話を進めても大丈夫ということかい?」
「勿論ですわっ!」
つまりは、アストル王子は勿論、より自分に相応しい男と知り合う可能性が高まるという訳である。
歓迎しない理由が無い。
「そうか。喜んでくれて嬉しいよ。それじゃあ。どんな人が来るのかは分からないが。近いうちに王都の画廊に手紙を出してみるから、それでいいね?」
「ええ、よろしくてよ」
是非も無し。と、ソルは大きく頷いた。
と、エトゥルが悩ましげに腕を組む。これで、問題は片付いたはずだが?
ソルは首を傾げた。
「お父様? 何でそこで、また悩むんですの?」
「ああいや。ソルはまだいいとして、ヴィエルのときはどうしようかなあと今からちょっと心配になってね。姉妹で差は付けたくないから」
「なるほど」
エトゥルの性格を考えれば、その悩みは理解出来る。
「お金の心配でしたら。私が幾らか融通致しましてよ? 他ならぬ妹のためなら、それくらいは惜しみませんわ」
「本当かい? 最初から頼るつもりはないが、もしも必要になったら、そのときは頼まれてくれるかな? 頼りない父で済まない」
「お安い御用ですわ」
それに、妹も格式ある家に嫁ぐとなれば、それはソルにとっても有益なのだ。ヴィエルも器量は悪くないし、むしろいい方だろう。美人というのとは少し違うが、気立ても良く愛くるしい魅力を持った少女だ。見込みは十二分にあると思える。
「しかし、そうなると後はユテルだよなあ」
エトゥルは大きく溜息を吐いた。
「そういえば、ユテルには肖像画とかは必要ありませんの?」
男だからといって、とりわけそういう差別的な扱いをする父ではなかったように思うのだが。
「いや、だってユテルはあの通りの性分だし?」
「ええ、まあ。確かに?」
納得したと、ソルは乾いた笑いを漏らした。一年中工作室に籠もっているような少年が、どこをどうすれば夜会で女性をリードするような紳士になれるのかと。
一応、それでもエトゥル達が色々と仕込んではいるようだが、あまり成果があるようには見えない。
「それに、あれでもユテルはこの家の長男だから。下手に格上の貴族と繋がりが出来ちゃっても、釣り合いがね? 色々と難しいことになりそうなんだよ」
長男である以上は、何事も無ければこの家を継ぐのはユテルということになっている。本人にどれだけの自覚があるのかは疑わしいが。そこに、遙かに格式ある家の娘が嫁いできても、ほぼ乗っ取りに近い形で、尻に敷かれるだけだろう。
何かの間違いで、より由緒ある家柄の娘と懇意になったとしても、厄介事になる可能性の方が高そうだ。
「あの子も、ソルも言っている通り、ある意味で優秀は優秀なんだと思うんだけどねえ。どうしたものかな本当に」
「私のときみたいに、どこかの商家の娘にでも探した方がいいのかしら? そうしたら、少しはあの子のこと理解出来る娘もいるかも知れませんし」
「望みすぎかも知れないけれど、場合によっては、領主としての仕事も出来るような才も持っていてくれると。まあ、それは俺達が教えればなんとか。なるといいんだけれどなあ」
エトゥルとティリアは、共に大きく溜息を吐いた。
子供や家のことを考える親の悩みは、尽きないようである。
ソル「これで、アストル王子にまた一歩近付きましたのね」




