第51話:愚か者の報い
ソル「こんなにも苦しいのなら。こんなにも悲しいのなら、愛など要りませんわっ!」
ソル「私はここに、不恋の誓いを立てるっ!」
リュンヌ「勘弁して下さい。話がここでバッドエンドじゃないですか」
ソルはこれまでと同じ時間通りに、いつもの河川敷に向かった。
ただ、その場に立ち尽くす。
道行く人達には、川の流れを眺めているように見えることだろう。けれど、そんなものはソルは見ていない。
見ているのは、ここまでの約半月で起きた出来事。リオンと過ごした時間だ。そのすべてが、ありありと思い出させられる。
その一つ一つを思い返す度に、自分は本当にリオンのことが好きだったのだと実感した。
「リオンなら、残念ですがどれだけ待っても来ませんよ。ソルお嬢様」
唐突に、横から声を掛けられる。
横目で見れば、見知った顔だった。カンセル=グランだ。
「知っていますわ。未練がましいと言われようと、自己満足だと言われようと否定はしません。けれど、これは私なりのケジメのつもりよ」
「ケジメ?」
「私は今日、あの人とこの時間ここで会う約束をしていたわ。けれど、私はあの人が大事にしているものを踏みにじってしまったんですの。ですからせめて、こうして約束を破られなければ、私は私を許せない」
「だから、来ないと分かっている人を待つ。そういうことですか」
ソルは頷いた。
「あなたは、何のためにここに来たんですの? 報酬の件なら安心なさい。今更、反故にする気は無くってよ」
「そうして頂けると有り難いですが、お気遣いは結構です。お金なら、リオンが賞金の分を貸してくれるように言ってくれたので。ですので、ここには別の用件で立ち寄らせて頂きました。警邏の途中のついでですが」
ソルは嘲笑を浮かべた。
「何ですの? 人の弱みに付け込んで脅迫し、騎士の誇りを踏みにじった挙げ句に失敗し、男にフラれた愚かな女を嘲笑いに来たとでもいうんですの?」
まあ、それならそれでも構わないが。
冷ややかな視線をカンセルに送る。
しかし、カンセルは困ったように嘆息して、頭を掻いた。
「そういう気持ちがまるで無かったと言えば嘘になりますが。泣いている女を目の前にして、追い打ちを掛けるような真似は私には出来ないようです」
「泣いている? この私が? 何を馬鹿なことを」
人目に付く外で見せる涙など無い。そういう風に、自分を作り上げてきた。
現に今も、この瞳は乾いている。
「そうですか。あなたがそう言うのなら、そういうことにしておきましょう」
勝手に納得したように、カンセルは頷いた。その態度は、まるでただ意地を張る小娘扱いされているようで、ソルは不愉快に思った。
「私がここに来たのは。リオンから伝言を頼まれていたからです。もし、本当にあなたがここに来るようならと。まさか、本当にいるとは思いませんでしたが」
そう言って、カンセルは苦笑を浮かべる。
「伝言?」
「はい。『親愛なるソルへ。君の気持ちに応えられなくて、本当にすまない。君の幸せをいつまでも願っている』と。そう伝えてくれと」
それを聞いて、ソルは俯く。
「私も、リオンを説得しました。自分のためだけじゃなく。あいつ自身に、気持ちの整理を付けさせるために。それでも、ダメでした。やはり、王都に行って近衛騎士の入団試験を受けるのだと」
そういえば、昨日。自分が呆然としている間に、カンセルはリオンを追いかけていった。その後、色々と彼と話をしたのだろう。さっき言っていた、リオンからの借金の件も、そのときにカンセルが事情を説明した結果と考えれば、話も辻褄が合う。それこそ、弁明のためではなく、説得のためというのが意外だったが。
「どうして、あの方はそんな優しいことを言うんですの? 私はあの人に嫌われて当然の真似をしたというのに」
掠れる声で、呟く。
ほとんど独り言で、聞こえなくてもいいと思って吐いた言葉だったが。カンセルの耳には届いたらしい。
「あいつも、頭では分かっているんですよ。あなたがあんな真似をしたのも、すべてはあいつへの恋心のせいだったのだと。だから、心の底からあなたを嫌うなんて真似は出来なかったのでしょう。あいつは、そういう奴です」
「そうね。そうかも知れませんわね」
だからきっと、自分はあんなにも彼のことが好きになったのだ。そして自分もまた、彼の明るい未来を願うのだ。
「私からの用件は、以上でございます。職務に戻りますので、これにて失礼致します。あとどれほど、ここにおられるつもりか分かりませんが。日中は暑いので、お気を付け下さい」
そう言って、カンセルは踵を返した。
「待ちなさい」
その背中をソルは呼び止める。
「まだ何か?」と、カンセルは振り返った。
「私、あなたに一つ言ってやりたいことがありますの」
にやりと、ソルは笑みを浮かべる。
「カンセル。あなたはどうしようもなく、大甘で馬鹿な男ですわ」
「確かに、その通りかも知れませんね」
苦笑を浮かべ、今度こそと再びカンセルはソルから立ち去っていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
これは一体、どういうことだとカンセルは困惑した。
早朝に、領主から急な呼び出しを受けた。昼過ぎに来いと。折角の休日だったというのにだ。
いや、下手をすれば休日がどうのこうのと言っていられる状況でもないのかも知れない。はっきり言って、真っ当な理由で呼び出される心当たりが無いのだ。
嫌な予感がする。先日はつい、甘く考えてしまったが。あのソルは人の命を盾に脅迫してくるような性悪娘だ。不興を買って、有ること無いことを領主に吹き込んでいても不思議では無い。
しかし、それでも疑問が残る。それならそれで、こんな呼び出しなどせず、自宅に他の警備隊を押し掛けさせて、問答無用で処分すれば済む話だ。
どんな理由であれ、領主の屋敷に招かれるのだからと、久しく着ていなかった礼装に袖を通してはいるが。
応接室に通されると、にこやかな笑みを浮かべる男が立っていた。見覚えがある。つい先日、剣術大会で拝顔した顔だ。エトゥル=フランシア。この地域一帯を治める領主その人である。
「よく来てくれた。君が、カンセル=グランだね。急な呼び出しですまない。にもかかわらず、こうして来てくれて嬉しく思うよ。先日は剣術大会でも見事な戦いを見せてくれたね。聞けば、去年は優勝したとか。生憎と、その話は言われるまで覚えていなかったのだが。申し訳ない」
思いがけず丁寧な物腰で言われ、カンセルは恐縮する。
「い、いえ。こちらこそ、お招き頂き光栄にございます」
カンセルは頭を下げた。
取りあえず、雰囲気的に何かを叱責しようだとか、そういう用件ではなさそうで安堵する。
「まあ、そう固くならずに。顔を上げ給え。さあ、こっちへ」
「はい」
エトゥルの導きに応じ、カンセルはエトゥルが腰掛けるのを見届けてから、向かいのソファへと腰掛けた。
「あの。差し出がましい真似とは思いますが、本日私をお招き頂いた用件について、お聞かせ願えないでしょうか」
「うん。そうだね。君にしてみれば、気になる話だと思う。もっともだ」
エトゥルはうんうんと頷いた。
「今日、君をここに呼んだのは他でもない。頼みたいことというか、訊きたいことがあるからだ」
「それは、どのようなことでございますか?」
「あくまでも君の都合による話だが。もしよければ、君に騎士となって貰いたい」
「何ですって?」
あまりにも想定外の話に、カンセルは目を丸くした。
「実を言うと、前々から年齢を理由に隠居を願い出ている騎士がいてね。新しい人に任せたい土地があるんだ。しかし、あまり卑下するようなことは言いたくないが、やはりここは地方の片田舎だ。なかなか、色好い返事をくれる騎士も見付からなくてね。いや、恥ずかしい話なんだが」
「いえそんな。ここは治安もよく、よい土地だと思います。これも、エトゥル様のご尽力の賜物だと存じ上げます」
「そんなことはないさ。私の方こそ、それは君達のような警備隊が真面目に仕事をしてくれて、領民の一人一人が善良でいてくれるからこそだと思っている。感謝しているよ」
静かな口調で、しかし、それ故にエトゥルの言っていることは本音だと分かる。
「それで、話を元に戻すけれど。その隠居を願い出ている騎士の代わりに、君を新たな騎士として任じたいんだ。長女のソルに聞いたところ、君はリオンと同じ騎士学校を卒業した、彼の先輩だそうだね。剣術の腕も見事なものだ。警備隊での指揮や指導も的確だと聞いている。そんな人間には、やはり騎士として来て貰いたいのだよ。君の経歴から考えたら、あまりにも役不足かも知れないがね」
「そんなことはありませんっ!」
大きく、カンセルは否定した。
エトゥルとは少し話しただけだが。分かる。この方は人の心を慮れる人間だ。仕える相手として、それだけで自分にとっては十分に過ぎる。
カンセルの胸が熱く疼いた。騎士になりたい。警備隊でも満足はしていた事に偽りは無い。しかし、心の奥底で眠っていた夢は完全には消えていなかった。欲を言えば、という形で。
しかし、カンセルは苦しげに呻いた。
「ですが、私には今、身重の妻がおります。それを思うと、今すぐの返事という訳にもいかず。少し、考えさせては頂けないでしょうか。お声がけは大変有り難く、心より、可能であれば喜んで承りたいと思っておりますが」
「うん。その事情もソルから聞かせて貰ったよ。何でも、奥さんのつわりが重くてろくに食事も摂れず、体力が落ちる一方だとか。夫としては、さぞ心配なことだろうと思う」
「そこまでご存じでしたか。左様でございます」
重々しく、エトゥルは頷いた。
「実を言うと、そっちについても少し提案があるんだ」
「何でございましょうか?」
「もう大分昔のことになるんだけれど。妻のティリアがソルを身籠もったときも、酷いつわりに悩まされていてね」
「そのようなことが?」
「ああ。あの時は大変だった。何をどんな風にしたら食べられるようになるのかと。ああでもないこうでもないと、あちこちの人に聞いて回ったよ」
「それで、如何なされたのでしょうか?」
「結局、色々と試して、ティリアが何とか食べられるような食べ物や調理法を見付けて、それで彼女は持ち直した」
「それは、本当に良かったと思います」
「でだ。そのときに色々と試したレシピが残っているんだけれど。君達にも参考になるかも知れない。試してみてはどうだろう?」
「教えて頂けるのですか?」
「勿論だ」
「有り難うございますっ!」
カンセルは頭を下げた。
「あと、ソルもその件については、全面的に協力するそうだよ。命の恩人である、リオンの知人が困っているのは見過ごせないって。あの子はお金を稼ぐ才能に優れているみたいでね。金銭面についても、遠慮は要らないと思う」
リオンの知人だからって。随分とまあ、そこは綺麗に誤魔化したものだなとカンセルは内心苦笑する。真相を暴露する気は無いが。
「僭越ながら申し上げますが。念のため確認させて頂きたいのですが。そのお金は、後ろ暗いところは無いのでしょうか?」
その問い掛けに、エトゥルは首を横に振る。
「いや、その心配は全く無い。お金の流れについては、きちんと報告を受けているし、各町村などから上がってくる報告書と比較しても整合性は取れている。私自身が見回った限りでも、おかしな雰囲気は感じていない。あの子は投資と買収で稼いでいるんだが。これが結構、地域の活性化に繋がっているようなんだ。ああ、あと最近は色々と薬を作って、それも売り始めた。散財して金銭感覚がおかしくなっているようなら、止めるつもりだったけれど。そんなことも無いようだし、父親としても、領主としても止める理由が無い。全く誰に似たんだか、出来た娘だよ」
そう説明されて、カンセルは安堵した。
未来にも、希望が持てる気がする。
ソル「見なさいリュンヌ? これが、愚か者の末路というものですわ」
リュンヌ「顔を真っ赤にしてツンデレするくらいなら、言わなきゃいいじゃないですか(微笑み)」
エトゥル「ああ、領主モード疲れたぁ。ティリア、癒やして~」
ティリア「あらあら、うふふ」
ソル「……ちっ(舌打ち)」
あとほんの少し、EX話が入って3章は終わりです。




