第50話:男達の語らい
人は結局、経験的に成功したと思ったことを繰り返してしまう。
その呪縛からは、なかなか逃れ難いということなのだろうか。
ふと、そんなことをソルは思った。
出来るだけ、リスクを避けたつもりだった。リオンの予定は確認していたし。それならば、さっさとカンセルの問題を片付けてしまった方がいいという判断だった。
隠し事というのは、隠されているからこそ価値がある。カンセルに約束の確認や保証をしないことで、催促される可能性があっては、秘密が露見するというリスクが高くなる。我ながら大甘な判断だが、報酬を保証したこともそうだ。疑心や反感を持たせるというのは、リスクだ。だから、速やかにリスクを潰しに行った。
だというのに、何故こうなるというのか。
焦っていた? それも確かにある。あの白熱した戦いを見て、カンセルが裏切っていたという疑念が湧き、リオンに密告されるという真似は封じておきたかった。
しかし、よりにもよって、あのタイミングでリオンがカンセルの家を訪れるなどと。誤算だった。もう少し冷静だったなら、より慎重に。絶対にリオンが来ない場所と時間を指定していたかも知れない。
アプリルとの一件で、相手を脅しても心は手に入らないと理解したつもりだった。けれど、それは脅す相手が心と手に入れたい本人でなければよいなどという話ではない。結局は、そういう話なのかも知れない。
カンセルのあの最後の大振り。彼は、それについて確認しに来たのだという。たったそれだけで彼は疑問を持った。そして、自分への告白を後回しにした。
閉会式の直後に駆け寄ったとき、彼がどこか心あらずだった理由が、分かった気がした。
「世の中、上手くいかないものですわね」
そう呟いて、ソルはペンを置いた。
また同じ事を繰り返していると思いつつ。便箋に紙を畳んで入れる。
「リュンヌ。来なさい」
静かに、彼の名を呼ぶ。
「はい」
すぐに、彼の返事が傍らから返ってきた。もう、大分夜も遅いというのに。何も言わないくせに、色々と見越していたかのように思えてしまう。
「これを明日。リオンに渡して頂戴。謝罪と、激励を書きましたわ。ひょっとしたら、朝早くに発つかも知れないから、そのつもりで」
リュンヌには目を合わせることなく、手紙を机の端へと移動する。
「畏まりました」
リュンヌは何も訊いてこなかった。まあ、勘づくのだろう。リオンと結ばれたという結果なら、自分がこうして大人しくしている訳が無い。これまでは、惚気話を延々と聞かせていたのだから。
「ねえ、リュンヌ? 一つだけ、訊かせてくれません事?」
「何でしょうか?」
「騎士の誇りって、どのくらい重いものなんですの?」
しばし黙して、リュンヌは答えた。
「人にもよりますが。命か、あるいはそれ以上です。そして、だからこそ、敬愛する主君には絶対の忠誠を誓い。逆に主が暴君、暗君の類いであればそれを正します。また、自らにも正義を課すのです」
「そう。ありがとう。よく分かりましたわ。もう、休んでいいわよ」
「はい」
傍らから、リュンヌの気配が消えた。
ソルは自嘲した。
優れた騎士を抱えるには、主君にもそれだけの器が要求されるとはよく言ったものだ。自分はまさに、目的のためには手段を選ばず権謀術数で人を陥れ、苦しめる悪女なのだから。そんな女は、見限られても仕方が無い。
視界が滲む。手紙はもう書き終えた。涙が零れるのを我慢する必要は無い。
声を押し殺して、ソルは嗚咽した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
早朝。朝日が地平線から昇るかどうかという時間。
街から少し離れた、王都行きへの街道の脇。
リュンヌが待っていると、予想通りにリオンが現れた。革鎧を装備し、馬に乗っている。
こちらの姿に気付くと、僅かに警戒したようだが、彼は馬を降りた。そのまま、馬を引いて近寄ってくる。主人の言う事をよく聞く、よく訓練された馬だと思った。
目の前まで近寄ってきたところで、リオンは苦笑を浮かべる。
「お早う。リュンヌ。まさか、こんなところで会えるとはね。君は、何故? こんなところに?」
「とぼけなくていい。薄々、勘付いているんだろう?」
それまで見せていた態度と違うことに違和感を覚えたのだろう。彼は目を細め、怪訝な表情を浮かべた。
「ソルお嬢様に何か言われたのかい? 私を止めてくれとか。それなら悪いけど聞くことは出来ない。私は今日、街を発つことにしたんだ。彼女には、世話になった。本当に感謝していると伝えてくれないか?」
リュンヌは首を横に振った。
「いや。お前を止めるつもりは俺には無い。どうやっても止まる気は無いんだろう? だから、そんなつもりは無い。俺がソル様から頼まれたのはただ一つ。手紙を渡して欲しい。それだけだ」
「手紙?」
リュンヌは手にしていた手紙をリオンに渡した。
「中身は確かめていないが、ソル様からの謝罪と激励が書かれている。今はそんな気分じゃないんだろうが、落ち着いたときにでも読むがいいさ」
「そうか」
「何があったのかは詳しくは聞いていない。けれど、何があったのかはだいたい察しが付いた。彼女が何を企み、何故カンセルが最後、あんな攻撃を仕掛けたのか」
「驚いた。そんなところまで分かったのか」
小さく、リュンヌは嘆息した。
「ソル様は本当に、後悔していた。騎士の誇りというものが、どういうものか分かったとも思う」
「そうか。それは。うん、それなら、よかった」
リオンは笑みを浮かべる。それが聞けてよかった。少しでも救われた気がする。そう言いたげに。
「でも、用件がそれだけなら、君は何故そんな格好を?」
リュンヌもまた、革鎧と木剣を身に付けていた。
「俺の個人的な理由だ。お前には色々と言いたいこと、聞きたいことが山ほどある。けれど、多すぎてとても口では語り切れそうにない。だから、これで語らせて貰いたい」
そう言って、リュンヌは木剣を抜いた。
一方で、リオンの気配がピンと張り詰めた。
「私と仕合おうというのか?」
「俺では不満か?」
煽ると、リオンは笑みを浮かべた。
「いいや。望むところさ。私の方こそ、君とは一度戦ってみたかった」
馬から距離を取って、リオンは剣を取った。鞘は被せたままだ。
「悪いけれど。手加減は出来ないよ。こっちも、そんな心の余裕は無いんだ。それに、私も口が上手い方じゃない。言ってやりたいことが山ほど有るんだよ」
「分かってる。だから、それも含めて受けて立つし。俺もお前にはぶつけるんだ。遠慮は不要。せいぜい、これ以上失望させてくれるなよ?」
「言ってくれるね」
互いに、正眼の構えを取った。
裂帛の気合いを入れて、同時に打ち込む。
勝負の結果は、二人以外誰も知らない。
言うだけ野暮かも知れませんが。
この二人の決着については、決して書くつもりはありません。
読んで頂いた方のご想像にお任せします。




