第49話:霧散する夢
満面の笑顔を浮かべて、ソルはリオンの元へと駆け寄った。
長々と続く表彰式なんて、さっさと終わってしまえと思った。特に、もっともらしく各出場者達を褒め称える父の挨拶が一番長かったように思う。引っぱたいて、首根っこを引っ掴んで壇上から引きずり下ろしたい欲求を我慢するのは大変だった。
でも、それもようやく終わり。
待ちに待った瞬間が訪れるのだ。
喜びと期待で、胸が早鐘のように鳴っている。
真っ直ぐに、上目遣いでソルはリオンを見上げた。
「ねえ? リオン? 先日に言っていた。『剣術大会で優勝出来たなら、私に聞いて欲しい言葉』って何かしら?」
答えは分かっている。けれど、それでも口に出して貰いたいのだ。
けれど、リオンは口をつぐんだままだった。
たっぷりと、数十秒ほど待っても。それなのに、リオンは何も言ってこない。
「リオン? どうか、しましたの?」
訊くと、リオンは優しく肩に手を置いた。
少し困ったように、彼は苦笑いを浮かべる。
「ごめん。ソル。その約束は、あとほんの少しだけ待って欲しいんだ。そう。明日のお昼に、いつもみたいに来てくれないかな? そのときに言うつもりだから」
「え? ええ、分かりましたわ」
あまりにも唐突なリオンの申し出に、ソルは反論する理由も思いつけず。思わず頷いてしまった。
「どうしても嫌。今、ここで」と言えばよかったと後悔するが。それでリオンの機嫌を損ねるというのも、よくないように思える。
「ならリオンは、今日はこれからどうするんですの?」
「そうだね。今日は、激しい勝負をして疲れたから、宿に戻ってゆっくり休むことにしようと思う」
「そう。ですわね。本当に凄い勝負でしたものね」
出来れば、もう少しだけでも一緒にいたい。
しかし、素人目で見ても、あんな戦いをした後では体力的にも精神的にも疲れ切っているのは理解出来る。ここはきっと、リオンを休ませてあげるのが、優しい対応なのだろう。
「分かりましたわ。また明日。いつもの場所に伺いますわね」
「うん。待っているよ」
そう言って、リオンは優しく笑顔を浮かべる。この笑顔を思い浮かべていれば、あと一日くらいなら我慢出来そうな気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
リオンは宿を出て、カンセルの家へと向かった。休もうとはしたのだが、いても立ってもいられなくなってしまった。
勝負には勝った。本気で戦って、力の限りを尽くしてカンセルには勝ったのだ。
だが、何か釈然としない。あれは、本当に勝ったと言えるのだろうか?
ソルに言ったとおり、体も頭も疲れ切っている。本音を言えば、休んでいた方が賢明だろう。
しかし、それでも気になるのだ。カンセルに問いたださなければ、到底納得出来ないだろう。そして、その納得が得られない限りは、自分はいつまでも悩み続ける。ソルには、胸を張って言いたい言葉を伝えられないような気がするのだ。
カンセルの家。その入り口へと差し掛かる。
「――どういうつもりでしたの?」
ソル? 何故ここに?
聞き間違えようのない、彼女の声が聞こえてきた。
同時に、リオンは混乱する。これは、本当にソルの声なのかと。彼女のこんな棘のある口調、初めて聞いた。
思わず、リオンは立ち止まる。
「どういうつもり? とは?」
カンセルの声。
「私との約束を違えるつもりだったんじゃありませんこと? 何ですのあの勝負は。結果的に、リオンが勝ってくれましたけれど」
「いいえ。約束を破るつもりなど、最初からありませんでした」
「下手な言い訳なら、しない方が賢明ですわよ? 分かっていまして?」
「その様なことは致しません。すべて、偽りなく説明致します」
何だ? 何の話をしている?
ソルがカンセルと何か取引をしていた? そんな風に聞こえる。
呆然とリオンはその場に立ち尽くし、壁一枚を隔てた向こうの会話から、耳を離すことが出来なかった。
「そもそもの話として、リオンは強い男です。そんな男にあからさまに手加減をして挑んだら、どうなると思いますか?」
「一瞬で決着が着く。そういうことですの?」
「左様でございます」
カンセルから溜息が漏れるのが聞こえた。
「そして、私がそんな真似をすれば、リオンは私がわざと負けたことなどすぐに悟ることでしょう。それでは、自分の成長を確認したいというリオンの望みは叶わない。挙げ句は、何故そんな真似をしたのかと私を疑うでしょう」
「八百長はバレるし、問いただしてきて、下手をすれば私にも疑いが及ぶ可能性が出てくる。そういう訳ですのね?」
「はい。ですから、私はあのように戦ったのです」
「なるほど。大した腕前ですわね? リオンを打ち負かさず、そしてリオンに容易く負けもせず。そんな風に試合を操っていたなんて」
リオンは歯を食いしばった。知らず、握りしめていた拳に力が籠もる。
あんな。あれだけ死力を尽くして戦ったというのに。自分はまだ、カンセルにそうして掌で踊らされる程度の腕しか無かったというのか?
「いいえ、それは違います」
しばしの沈黙の後、カンセルが口を開いた。
「試合を操るだとか、そんな余裕ははっきり言ってありませんでした。私はずっと、全力でリオンと戦っていたんです。でなければ、あんな戦いにはなりません。逆に言えば、実力は拮抗し、ああなると分かっていたからこそ、全力で戦ったんです」
「そう。全力でぶつかってこそ、私にとっても、リオンにとっても最も望ましい結果になるって考えたということですのね?」
「そういうことです」
カンセルから自嘲の息が漏れた。
「結局、最後の最後だけ。負けを見越して隙のある大振りを仕掛けましたが。そんな隙を見せれば、まず間違いなくその隙を突いて私を仕留めるだろうと」
リオンは納得した。やはり。釈然としなかったこの違和感は、間違いではなかったのだ。
「つまり、そこで私との約束は果たそう。そのつもりは有ったという訳ですの?」
「そうなります。というより、最初からそのつもりでした。そこで負けたなら、あるいはそれでもリオンは違和感を覚えて訊いてくるかも知れませんが、例え訊ねられても、長期戦による判断ミスだと答えておけば、そこまで違和感も無いでしょう。実際、私ももう限界でしたので」
「そして、あなたの狙い通り、作った隙は見逃さず、リオンはあなたを破った」
「いいえ。少しだけ違います」
「はあ? どういうことですの?」
不機嫌なソルの声。続いて、諦めたような、納得したような、そんなカンセルの溜息が聞こえた。
「あいつは、私の予想の上を行っていました。私が想定していた間合いよりも遠く、そしてずっと速く間合いを詰め、深く沈み込んで一撃を繰り出したんです。あの最後は、例え私が本気でやっていたとしても、結果は変わらなかったことでしょう。こちらが剣を振り下ろす前にかいくぐり、私を討っていたはずです」
カンセルはそう言うが。
リオンは項垂れた。本当にその通りなのか? そんなこと、やってみなければ分からないじゃないか。
でも、そんな機会はもう、失われてしまった。
「なるほどね。まあ、いいでしょう。事情は分かりましたわ。あなたが、決して裏切っていなかったということも、信じましてよ。結果的には、望み通りではありましたし」
「では?」
「ええ? 約束は守りますわ。安心なさい。それでは、ご機嫌よう?」
そこで、ソルとカンセルとの会話は終わったようだ。
はっ、とリオンは我に返る。
気付いたときには遅かった。ソルが、カンセルの家の門から姿を現す。
こちらの姿を見た瞬間、ソルが息を飲んだ。目と目が合う。
「リオン? どう……して? そんな?」
唇を震わせて、彼女は自身の腕を胸に抱いた。
「ソル。話は全部、聞かせて貰ったよ」
リオンは、自分が怒っているのか、泣いているのか。よく分からない。
ただ、血の気を失い、怯えた表情を浮かべる彼女に対して。自分の声が、酷く冷たいものになっていることだけはよく分かった。
ソル「…………(呆然)」
リュンヌ「(せめて、今はそっとしておいてやろう)」




