第47話:愛と誇り
妻が死んだ。
出産に立ち会った助産婦から、申し訳なさそうに告げられた。
赤ん坊の泣き声も、聞こえない。
微かな望みに縋って訊いてみたが、そちらもダメだったそうだ。
くらりと、視界が歪む。
視線の先には、床しか見えない。
不思議と、涙は流れなかった。そんな感情すらも、喪われたのだと。
祈りは届かなかった。あんなにも、毎日妻の無事を祈っていたのに。産気づいてから、あんなにも祈り続けていたというのに。
神なんて、この世にいやしない。
妻は、いい女だった。客観的に見れば、器量も性格も、どこにでもいるような。そんな、普通の女だったかも知れない。けれど、自分にとっては掛け替えのない女だった。何でもない日常が、ただ一緒にいるだけで、幸せなのだと感じさせてくれるような。一緒にいるだけで、そんな風に思わせてくれるような女だった。
そんな毎日を送って、少しずつお互いに歳を取って。子供の成長を見守って。孫の面倒を見たりして。やがて、一緒に生きる事が出来てよかったと伝えて、静かにこの世を去って行く。そんな人生を夢見ていた。
けれどもう、その夢は二度と叶わない。代わりとなる夢は、見付けられない。
カンセルは自分を呪った。
自分は、間違えたのだ。リオンと正々堂々と戦いたい。そんな、手前勝手な誇りが、妻の命を奪ったのだ。
これが夢なら、醒めてくれっ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大きく息を吸い込んで、カンセルは目を見開いた。
息が荒い。相当に激しい訓練をしたかのように。
視界の先は、暗い天井。月明かりの差し込む寝室。
「夢?」
呆然と、呟く。そうだ、夢だ。現実にしては、さっきまで見ていた光景は、あまりにも唐突過ぎた。
怖々と、首を回して隣を見る。妻は、静かな寝息を立てていた。
その様子を確認して、カンセルは安堵する。
相当にうなされていたのか、全身から汗が噴き出している。
そうだ。あれは夢だ。悪い夢だったのだと。ソルに言われた言葉を気にして、最悪の結果を考えてしまっただけなのだと。
けれど、あの夢で感じた思いは、夢で片付けるにはあまりにも生々しすぎた。
きっと自分は、あんな未来を迎えたら、ああなるのだと。この夢はそれを教えていたように思える。
そして、その未来を迎える可能性は、現実味がありすぎるのだ。
カンセルは瞑目した。ソルの「提案」を思い出す。
その提案とは、八百長だった。それで、優勝出来ない代わりに、優勝賞金などよりもよっぽど好条件で妻に必要な費用すべてを用立てようというものだった。
そのお金も、彼女が個人で稼ぎ、家にも報告済みのものであり、なんら後ろ暗いものではない。だから、その点も心配無用と言っていた。
騎士にはなれなかったが、同じだけの誇りは今も持っているつもりだ。騎士の誇りに懸けて、リオンとは互いに全力を出し切って勝負したい。それこそが、リオンにとって最も誠実に応えられる行動だろう。
警邏の途中で、河原で修練に励むリオンの姿を見掛けた。
基本の型。そして、自分で創意工夫の末に編み出したのだろう、敢えて型を崩した動き。そういった反駁練習の一つ一つに、隙が無い。時折、頭の中で想定した、一対一や一対多を相手にした戦闘も行っている。たゆまぬ努力の成果だろう、彼がどんな強敵や過酷な状況を想定して戦っているのか、それすらも視えた。
彼と同じく、剣の道を志した男として、魂が震える。
しかし、その結果、愛する妻の命を危険に晒していいものだろうか?
この世に二つと無い命は。自分の騎士の誇りとやらに比べて、どちらが重いものだろうか?
「すまないな。こればっかりは、俺には譲れないんだ」
カンセルは自分の胸に手を当て、虚空に向かって謝罪した。その目から、涙が零れた。
覚悟は決まった。
ソル「くっくっくっ! 賢明な答えを期待していますわよ?」
リュンヌ「その台詞、悪魔そのものじゃないですか」




