第30話:ほろ苦い贈り物
2025/09/09
イラストを追加しました。
王都へと向かう旅の、1日目が終わろうとしていた。
アプリルは、安宿のベッドの上で、天井を見詰めていた。見知らぬ町だけれど、王都への旅程を考えても間違いは無い。
今日は早朝から、学校のある街に来て、始発の馬車を利用した。王都へ行くには、いくつもの乗合馬車を乗り継がないといけない。だから宿賃を最小限に抑える為にも、一日に行けるだけ進むように計画している。
家族には前々から言っていたことだけれど、別れは少し、寂しかった。次に帰れるのは、いつのことになるのか分からない。
けれど、帰ってくるときは必ず立派になったと、誇れるようになって帰りたいと思っている。
アプリルは、大きく溜息を吐いた。
街道沿いに進めば、治安も悪くはない。こうして少年一人でも旅が出来るくらいだ。しかし、だからといってまったくの安全という訳でもない。気疲れが絶えなかった。
それと、胸の奥が疼いて、痛い。トゲが刺さっているような。そんな痛みだ。
ソル=フランシアが自分の大事な百科事典を盗んだとき、どうにも我慢ならない失意と裏切りを感じた。信じていたし、尊敬もしていた。ひょっとしたら、恋とまではいかなくても、憧れていたかも知れない。だからこそ、余計に軽蔑の心が抑えられなかった。
そして、徹底的に彼女を無視してきた。他のクラスメイト達にも、どうせこの先短い付き合いなのだからと、壁を作った。
遠目で、彼女が自分に対して何か言いたげな表情を浮かべているのを見る度に、昏い愉悦が心を満たしてくれた。
宝物の百科事典を失うのは惜しかったけれど。それを失った分、徹底的に彼女を悪として断罪し続けてやった。
けれど、何故だろうか? いざ、こうして離れてしまうと、どこか虚しい。
忘れたくても、忘れられない。彼女と勉強をしていた日々を。彼女に髪型を指摘されたときのことを。未練たらしく、そのときの髪型を続けてしまうくらいに。
「僕は、後悔しているのかな?」
あの日自分は、感情のままに怒りをぶつけた方がよかったのだろうか。その方が、彼女も謝る理由が作れたのだろうか。
いや、そもそもとりつく島も無い態度を取り続けたけれど、どこかで「返せ」と言ってやった方が良かったのだろうか。
自分も、恐かったのかも知れない。明確に許さないと口にしてしまわないか。そうして、本当にもう完全に彼女と決裂してしまわないかと。
時間を掛けて、結局こうして取り返しの付かない真似をしておいて、何を今更と思うけれど。
気分転換に、荷物の確認でも、しておこう。アプリルは、そう考えた。
結構な額になる旅費や手形を持ち歩いているけれど、それを移動中に確認するのは流石に躊躇われた。
脇に置いた背嚢の中身を取り出す。旅費や手形は、きちんとしまった場所にあった。着替えの類いも、問題ない。
そして、もう一つ。
旅費や手形と一緒に、出立の直前にフランシア家の使いから渡された布袋をアプリルは手に取った。結構、大きな袋だ。重くもなければ固くもないが、正直言って嵩張る。到底背嚢には入らないので、手荷物が丸々一個増えた形だ。
使いの者は見たことがある。確か、ソルと一緒に視察に来ていた少年だ。自分と同級生の。来ないと分かってはいても、そこにソルが来ることを少し、期待していたかも知れない。
使いの少年からは「これは宿に着いたら必ず。早めに確認して下さい」と言われている。
「何だろう? これ?」
固く縛られた紐を解き、袋を空ける。
「服?」
それも、これまで着たことのないような立派な服だ。華美な装飾がされているわけではないが、かなり上等な生地を使っていることは分かる。
「あと、他にも何かある?」
丁寧に折りたたまれた服を取り出そうとすると、服の間に異物感があった。
取り出すと、アプリルは息を飲んだ。
見間違えようにも、見間違えようが無い。
「僕の、百科事典」
あの日、ソルに盗まれたものだ。
そして、百科事典の間には、便箋が挟まっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
拝啓 アプリル=ナシア
あなたがこの手紙をどこで読まれているのか、私には分かりません。
移動中の宿の中でしょうか。それとも、王都に着いた後でしょうか。あるいは、もっとずっと後の話でしょうか。
どういう形にせよ、あなたが無事に王都の学校に辿り着くこと。この手紙を読んで貰う事を心から願っています。
あなたの大事な百科事典は、お返し致します。
あのとき私が手に入れたかったものは、このような本ではなく、あなたの心でした。
それをあのような手段を以て実現しようとしたのは、私の不徳の致すところです。
告白の聖樹の下で、絶対の成功を目論みましたが、大切なものを見失い目が眩んでいました。
あなたはさぞ怒り、私を軽蔑したことでしょう。
心より、謝罪致します。
私は、あなたから大切なことを学びました。それは、人を無理矢理従えようとしても、決して相手の心は手に入らず、離れていくということです。
私はもう、二度とこのような真似は致しません。
お詫びの品として、私が見立てた服を一式、贈らせて頂きます。
王都の名門校ともなれば、相応の格式が求められることでしょう。この服が、あなたの役に立てば幸いです。
それと、前にも少し言いましたけれど、髪は短く刈った方が絶対によろしくてよ。
ソル=フランシアより
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
手紙を読み終えて、アプリルは大きく、息を吐いた。
「僕は、馬鹿だな。大馬鹿野郎だ」
もう少し、彼女を信じて、理解していればまた違う結末があったのかも知れない。
ただもう、終わった話ではあるが。少しだけ、心は晴れた気がした。
と、百科事典の他に、もう一つ小さな袋が服の中に挟まっていることに気付く。
無言でその中身を取り出す。
十枚程度のクッキーが入っていた。丁度、小腹も空いているし、悪くなっても勿体無いので頂くことにする。
「少し、苦いな」
クッキーは焼き過ぎて焦げが混じっていた。
けれど、今の気分には丁度良い気がする。アプリルは、苦笑を浮かべた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
居間でボリボリと、半眼を作りながらソルはクッキーを口にする。何杯目か忘れたお茶を啜った。
アプリルには比較的成功したものを選んだが。あと数日は、失敗作の山を片付ける必要がありそうだ。
こんな事なら、もっと練習しておけば良かったかも知れない。
なお、食べ物は無駄にしてはいけないと、捨てるのは禁止された。
その上で、家族は処理を積極的には手伝ってはくれない。
「そこまで不味いかしらね? これ?」
「決して、美味しいとは言えないと思います。甘い牛乳と一緒に食べれば、比較的マシだと思いますけど」
ボリボリと、ソルと同様の半眼を浮かべながら、リュンヌもクッキーを口にしていた。
彼は割と片付けるのに協力的だ。嬉しいとまでは言わないが、多少安堵を覚える。
「アプリル。今頃どうしているかしらね? 手紙、読んでくれたと思う?」
「きっと、大丈夫ですよ。僕からも念入りに言っておきましたし」
「そう?」
リュンヌは頷いた。
「そうだと、いいですわね」
あの手紙の結果がどうなったのかは、確かめようが無い。
けれどソルは、心に刺さった棘が抜けた気がした。
ティリア「お残しは許しませんよ」
ソル&リュンヌ「(どうしても逆らえないものを感じる)」
リュンヌ「もう終わった話ではあるのですが」
ソル「何ですの?」
リュンヌ「原作では、クッキーさえ食わせておけば、アプリルは攻略可能なキャラだったらしいです。何でも、一番攻略しやすいキャラだったとか」
ソル「何でそんなことを今になって言うんですの?」
リュンヌ「"裁定を下す者"の嫌がらせですかね?」
ソル「(怒りに震える)」




