第27話:罪の形、恋の形
アプリルに拒絶されてから、日々は重苦しくも確実に過ぎていく。
翌日には、盗んだ百科事典を返して、謝ろうと思った。
けれど、出来ないままにもう一月が経とうとしている。
アプリルは、あれからいつも、何人たりとも寄せ付けない雰囲気を発していた。昏く、冷たい目付きを止めようとしない。
そんな彼にはもう、以前は変わり者扱いしつつも寄っていた様な人間すら、誰も近寄らなくなっていた。そして、当の本人は、そんなこともお構いなしのようだった。
女子生徒の間の噂でも、「何だか恐い」というのが、彼の評価になってしまっていた。
髪型だけは、これまで通りではあるけれど、それでも。その変わりようが、見ていて胸が痛む。
「お姉様?」
妹の声に、ソルは我に返った。
そうだ、今は食事前の時間を使って、彼女とカードゲームをしている最中だった。
心配そうな視線が、彼女から向けられてくる。
「最近、悩み事でもあるんですか?」
「あら? どうして?」
「だって」
ちらりと、ヴィエルは卓上の互いのチップを見比べた。
「最近、お姉様。遊んでいてもミスが多いです。今日だって、もっとお姉様なら上手くやっていたはずです」
今日の勝負は、ソルが大きく負けている。というか、最近は勝率が落ちている。手を抜いているつもりは、無いのだけれど。
にやぁと、ヴィエルが笑みを浮かべる。
「ひょっとして、お姉様。好きな人でも出来たんですか?」
途端、心臓が軋むような痛みを発した。その痛みに、思わず顔をしかめる。
「な、何を突然言い出しますの?」
まさか、こんな小さな子からそんな話が出てくるとは思わなかった。
「え~? 噂で、お姉様が南校舎にある。告白の聖樹に向かったって噂が」
あからさまに大きく、ソルは溜息を吐いて見せた。
「それは、確かにあの大木には行った覚えがありますけれど。単に、立派な樹だから気になっていただけのことですわ。私には、好きな人なんていませんわ」
もしかしたら、好きだったかも知れない人はいたけれど。
「ごめんなさい。もうじき、また試験の時期じゃない? だから、それが気になって。ゲームに集中力が欠けることが増えたのは、きっとそのせいですわ」
「ええ? お姉様、頭が良いのにですか?」
「何を言っているんですの。私は別に頭が良いわけでもありませんわ。これでも、一生懸命勉強しているんですのよ?」
「本当に?」
疑わしげな視線を向けてくるヴィエルに、ソルは苦笑を浮かべた。
「本当ですわ」
ヴィエルは溜息を吐いた。
「嘘だあ。信じられない。私だって、頑張っているのに。全然良い点取れない」
「ヴィエルは、勉強が嫌いなの?」
「嫌いじゃないけれど。でも、どんなに頑張っても平均点よりちょっとマシくらいの点しか取れないの。私も、お姉様みたいになりたいのに」
そういえば、彼女はそのくらいの成績だった気がする。
それを両親が責めたりはしていなかったが、10歳の子どもながらに、彼女としては、この屋敷の子供として忸怩たる思いもあるのだろう。
「そう。何か、苦手な科目とかありまして?」
「苦手って言うか。あちこち、よく分からないところが度々出てくるの。先生の説明、難しすぎるのよ」
「それは、困った先生ですわね」
「ねえ、お姉様? ちょっとでいいの。 私に、お勉強を教えてくれない? 分からないところだけでいいから」
妹の懇願に、ソルは迷った。
気持ちとしては、助けになってあげたい思いもある。この妹は、嫌いではないから。
その一方で、今はそんな心の余裕があまり無い。
「お父様やお母様、ユテルではダメなの?」
「お姉様がいい。お父様はお仕事終わるといっつもだらけてばっかりだし、お母様はそんなお父様に甘々だし。お兄様は、算術とか工学は凄いけど、歴史とか文学とか全然ダメダメだもん。教え方だって、先生よりも言ってることわけ分かんないし」
言われて、弟の成績も思い出す。確かに彼の成績は極端だった。ヴィエルが言うほど、文系がダメという訳でもないのだが。そっちは平均点そこそこ。一方で理系はぶっちぎりでトップを取るという具合だった。全体でならしてみると、中の上か、上の下という成績である。
「それなら、仕方ありませんわね。今度のお休みの日に、教えてあげましてよ」
「本当? ありがとう。お姉様」
仕方なく、ソルは折れることにした。ヴィエルが笑顔を浮かべる。
考えようによっては、そのときになれば良い気晴らしになるかも知れない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食後になり、ソルは自室の勉強机に向かう。
けれど、勉強に身は入らなかった。
アプリルから盗んだ百科事典を開き、目を通していく。
何度も読んでいたのだろう。どのページを見ても、アプリルの手垢でまみれ、ボロボロになっていた。
本当に欲しかったものは、こんなものではなかった。
これを見る度に、胸が痛くなって仕方がない。けれど、無視することが出来ない。何故なら、それはきっと、自分の罪そのものであり。また、好意を寄せていた男の物だから。
明日こそ返そう。そう思うのに。きっとまた、返せないのだろうと。
そして、今度の試験は、あまり良い成績を残せないと、そんな気がした。




