第166話:繋ぐ想い
ソルは走った。こんなにも全力で、長い時間、そして長い距離を走り続けた経験は、覚えている限り無かった。
息が苦しい。胸は張り裂けそうなほどに痛く、脚も重い。しかし、止まれない。
乗合馬車を利用する余裕は無い。待っている時間も、馬がのんびりと歩く時間も、今は惜しい。
確証は無い。しかし、どうしても嫌な胸騒ぎが収まらなかった。
エリアナとリュンヌ。二人が新しい友人を得たのがここ一ヶ月ほど前。その、出合った切っ掛けが猫を助けたこと。偶然にしては、あまりにも重なりすぎている。
それに、リュンヌの友人が自分の前には姿を現さなかったこと。これも、そうだ。
もしもあの日、どこかでエリアナが自分の姿を見掛けていたとしたら? 姿を現さなかったとしても、当然だ。
狙う相手が、常に当人であるとも限らない。だってそうだ、自分だって、散々そういう手は使ってきたのだから。現に、エリアナは既に、エトゥルを狙った前科がある。
これは、油断していたと、ソルは後悔する。独立性が高い騎士学校ならば、エリアナの手も早々届かないと考えていた。
ソルは騎士学校の門へを駆け抜け、敷地へと入る。
校舎の入り口脇にある小窓から、職員と思しき男が顔を出した。
ソルは肩を落として荒く息を吐く。肩が大きく上気し、汗が雫となって流れ落ちた。胸の中で粘つく粘液を飲み込み、息を整える。
「ど、どうかしましたか? お嬢さん? ここに、何か用なのか?」
「リュンヌ」
「え? リュンヌ?」
「リュンヌ=ノワールは無事? お願い。今すぐ会わせて。急いで話さないといけないことがあるの」
「ええと? ここにいる生徒に会いに来たっていうことですか?」
ソルは頷く。
不安で不安で。どうしようもなく不安で、涙が零れた。
「落ち着いて。いきなりそんな事を言われても、すぐに答えは出せない。ただ、取り次ぎはするよ。君が必死なのも分かる。けれど、落ち着いてくれ。まず、君は誰で。その、リュンヌっていう生徒とどういう関係なんだ?」
「ソル。ソル=フランシア。フランシア男爵家の娘。リュンヌは私の家で長く使用人をしていた。私はその家の娘ですわ」
「分かりました。確認してみます。しかし、リュンヌねえ。またか……」
「また?」
「ん? ああいや、すみません。ほんの独り言です。実を言うと、あなたの他にも、リュンヌっていう学生に用事があってきた人がいて」
「何の用? 誰が?」
「届け物ですよ。名前までは忘れたけれど、彼の友人から。その家の使用人が来た感じだね。詳しいことは、彼に聞くといいと思う」
ソルは絶句した。
そのとき――
「大変だ~っ!」
事務室の奥から、叫び声が聞こえてきた。
「学生が一人。急に倒れ込んだ。医者を呼んでくれ!」
「医者? 医者ってどういう事だ? アレク先生じゃ駄目なのか?」
「駄目だ。先生じゃ手に負えない。薬とか、そういうのに詳しい奴だ」
ソルは考えるよりも早く、建物の奥へと走っていった。
後ろで何か大声で言っているようだったが、まともに聞こえなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
騎士学校にも、保健室のようなものはある。そして、騒がしい場所を辿る。
そんなとこから目星をつけて、ソルは保健室へと駆け込んだ。
その中では、想像はしていた。けれど、決して見たくは無かった光景が広がっていた。
「リュンヌううううううううぅぅぅぅぅぅっ!!」
ソルは悲鳴を上げた。
リュンヌが、ぐったりと保健室のベッドの上で横たわっている。
「お、女の子? 君は一体誰だ? どこからこの学校に入った? それに、この生徒とどんな関係が?」
誰何の声を無視して、ソルはリュンヌの元へと駆け寄った。まだ、彼の息はある。そのことに、ほんの少しだけ安堵する。
「ちょっと。君」
恐らく彼が、アレクとかいう保険医なのだろう。ソルは隣で訊ねてくる中年の男に目を向けた。
「私は、ソル=フランシア。彼を育て、使用人として雇っていた家の娘です。教えて、彼に何があったんですの?」
「そうか。それが、詳しくは分からない。急に苦しみだしたらしい。食あたりにも似ているようだが。なので、今そういうのに詳しい医者を呼んでいる。すまない。私は、怪我や骨折のようなものならお手の物なんだが」
「症状はいつから?」
「詳しくは分からない。ただ、10分から30分ほど前だろう」
ソルはリュンヌの手を取り、脈を確認する。本職の医者とは違うので、どれだけ分かったものかとは思うが。それでも脈は弱く、また早い気がする。
真っ白になって脂汗を流すリュンヌの容態からソルは確信する。これは間違いなく、毒を盛られた結果だ。
「リュンヌ。気をしっかり持ちなさい。私があなたを必ず助けますから」
「ソル。さま?」
返事が返ってきたことに、ソルは笑みを浮かべる。
「そう。あなた、意識はあるんですのね。でも、無理に話さないで」
顔を再び、保険医と思われる男へと向ける。
「あなた。急いでありったけの水と炭を用意して。炭は竈の黒い奴。食堂にあるでしょ? 早くっ!」
「どういうことだ?」
「解毒処置をします。大丈夫。私、こういうのに詳しいんですの」
「分かった! すぐに用意する。そこの君達も協力してくれ、水と炭だ。持ってきてくれ。大急ぎで!」
野次馬となっていた生徒の何人かが保健室の外へと遠離っていくのが、ソルの耳に聞こえた。
「なんで、ここにソル様が?」
「それは、後で教えますわ。そんなことより、今は話さないで」
ソルは着ている服の襟と袖の中へと手を突っ込んだ。隠し持っている解毒薬と吐き薬を取り出す。こんな事なら、もっと持ち歩いておくべきだったと思う。
リュンヌは、弱々しく笑った。
「でも、よかった。最期に、ソル様の顔を見ることが出来て」
「その無駄口叩くのを止めなさい! あなたは、絶対に助かるの!」
リュンヌの症状から、ソルは何の毒かを推測する。大丈夫。これは、間違いなく校舎にある植物によるものだと、自分に言い聞かせた。
リュンヌの手を握りながら、ソルは水と炭の到着に焦れた。今は、こんな事しか出来ないのがもどかしい。
「ソル様。どうか、幸せになってください。僕は、ずっとあなたが――」
リュンヌは大きく、体を震わせた。
小刻みに、震え始める。
「水と炭を持ってきました」
「いいわ。ここに持ってきて」
「それをどうするんだ?」
「まず、この吐き薬を飲ませます。そして次は、炭を混ぜたものを。炭は毒を吸うの。その繰り返し。あなた、リュンヌを起こして」
保険医によって、リュンヌは上半身を起こされた。
「さあ、リュンヌ? 口を開けて?」
力無く開いた口へと、ソルは吐き薬を入れた。そして、水をコップに汲んで飲ませる。
ソルは顔をしかめた。上手く、飲んでくれない。水が口の脇から零れる。もう、そんな余裕もリュンヌには残っていないのかも知れない。
「駄目……なのか?」
男の悔しそうな声が聞こえたが。
ソルは再び水を汲む。そして、今度は自分の口に含んだ。
「君? 一体何を?」
ソルはリュンヌの口へ自分の口を重ねた。目を瞑って、彼の反応に集中しながら。そのまま、含んだ水をリュンヌの口の中へと、ゆっくり流し込んでいく。
そんな状況ではないと分かっているのに。いつかの思い出。初めてリュンヌとで会った頃の、記憶の底に埋めて忘れようとしていた思い出が、ソルの頭に浮かんだ。
ソル「今度からは、鞄に各種の薬と治療器具も一揃い入れて持ち歩いた方が良さそうですわね。ユテルに頼めば何とかなるかしら? それと、緊急手術セットのようなものも――」
リュンヌ(瀕死)「(どこの高額請求無免許医師ですかあなたは?)」
ソル「何か思いまして?(意識確認。ヨシ!)」




