第161話:見えてくる終わりの前
その晩、リュンヌはソルの召喚に応じて、彼女の前に姿を現した。
寝台に腰掛ける彼女の前で、恭しく一礼する。
「こんばんは、リュンヌ。久しぶりね」
「はい、お久しぶりです。ソル様」
ここ数週間ほど、ソルからの召喚は無かった。
そのことに何の不安も抱かなかったと言えば嘘になる。便りがないのは良い便りだと考えてはいたものの、こうして彼女の無事な姿を見ることが出来て、リュンヌは安堵した。
僅かに、ソルも微笑む。彼女も、同じだったのかも知れないと、リュンヌは思う。
「その。お父様の様子はどうかしら? それが聞きたくて。本当はもっと、ちゃんと様子を見に行ったり、あなたからも話を聞かないとって思っていたんですけれど。なかなか顔を出せなくて、気になっていたんですの」
「そうですね。ソル様がアストル王子にぞっこんで、今が大事な時期だというのは分かりますが。エトゥル様、少し寂しがっていましたよ。容態は、少しずつ良くなっている実感があるそうです。良い傾向だと思います。僕から見ても、表情が以前に戻りつつある様に見えますし。あと数ヶ月も休めば、完治するのではないでしょうか?」
「そう。それは良かったですわ。なら、今度は私もお父様のお見舞いに行きます」
「いいのですか?」
「ええ、いいのよ。たまには、家族の事情の方を優先させて貰っても、罰は当たりませんわ」
「そうですか。エトゥル様も、きっと喜びます」
ソルの申し出に、リュンヌは心から歓迎した。
「ソル様の方は、あれから何かお変わりないでしょうか? アストル王子とは、上手くいっているんですか?」
リュンヌが訊くと、ソルの顔から表情が消えた。
「ええ、順調ですわ」
その平坦な口調に、リュンヌは眉をひそめ半眼を浮かべる。
「本当ですか? とてもそうは見えない反応なんですけど?」
「本当に大丈夫ですわよ。アストルとの、回想記録で空白になっているものがもう、残りがありませんの。このまま行けば、まず間違いなく私はあの人と結ばれて、ハッピーエンドを迎えることになりますわね」
「そうなのですか? 良かったじゃないですか」
リュンヌは心から、彼女を祝福する。
「でも、どんな顔をして良いのか、分からないんですの。私自身、嬉しく思っていますわ。本当の本当に、こんなにも――」
「何か、不安なことでも?」
ソルはしばし、虚空を見上げた。
「そうね。そのハッピーエンドが、どういうものになるのか分からない。それが少し、恐いのかも知れませんわね」
リュンヌは苦笑を浮かべた。
「らしくないですね」
「そうね。私もそう思うわよ」
「ハッピーエンドがどうなるか分からないなんて、そんな受け身な事、僕が知っているソル様なら言いません。ご自分が望むハッピーエンドのために、何だってする。それが、ソル様じゃないですか?」
「その、望むハッピーエンドがどういうものか分からないから。困っているのよ!」
「ソル様?」
突然に崩れた無表情。そして、彼女の苛立った声に、リュンヌは困惑する。
「ごめんなさい。取り乱しましたわ」
荒く息を吐き、額に手を当ててソルは俯く。
「大丈夫ですよ。きっと、ソル様が望む最高のハッピーエンドを迎えられます。そのために、僕も出来るだけ協力しますから」
「本当ですの?」
「本当です。僕が、これまでこういう話で嘘を言ったこと、ありますか?」
ソルは弱々しくも、笑みを浮かべて返した。
「約束ですわよ? 絶対に、守って貰いましてよ? 守らなかったら、承知しませんわよ」
「はい。約束します」
力強く、リュンヌは頷く。少し、ソルの顔から緊張の色が消えたように、彼は感じた。
「あの? ところでリュンヌ? あなたの方の話も、聞かせて貰って良いかしら? あなたは何か、変わりがありまして?」
「僕ですか? 僕の方はこれといって――」
「何も無い」と言いかけたところで、黒髪の少女の姿が、頭に思い浮かんだ。
ソルが眼を細める。
「その反応。何かありましたわね? 何ですの? 白状なさい」
リュンヌは呻く。一瞬、黙っておこうかと思ったが、そうもいかなさそうだ。目の前の少女は、とかく隠し事に対しては鋭くしつこい。
「ええと。大したことじゃないです。最近、友達が出来ました」
「友達?」
より一層、ソルの眼が細くなる。
「あなた、まさか騎士士官学校でまだ独りぼっちだったんですの?」
「違います。そっちはちゃんと、やってますよ。エトゥル様の見舞いに行く途中で、偶然知り合ったんです。猫が逃げて、困っていたから助けてあげたのが切っ掛けで」
「ふぅん? 男? 女?」
「女の子です」
「へぇ~え? 女の子? そうなんですのね?」
「何ですかその反応は? 僕が誰と友達になろうと、別にいいでしょう?」
拗ねたと言わんばかりに、ソルは唇を尖らせる。
「別にいいですけれど。気にはなりますわ」
「誤解する前に言っておきますけれど、本当にただの友達ですからね? その子には、既に好きな相手がいるんですよ。小さな子供の頃からずっと大好きな相手が。僕は、その恋愛相談相手というか、男性心理の情報提供しているだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。報酬として、お菓子の差し入れとか貰っていますが」
「胃袋を掴んでくるとは、なかなかやりますわね」
「だから、そうじゃないって言っているでしょうがっ! 話聞いて下さい」
リュンヌは大きく溜息を吐いた。どう言えば、信じて貰えるのだろうかと。
「それで? どんな女の子なんですの?」
「どんな女の子って、言われても――」
リュンヌは口籠もった。
「顔、赤いですわよ?」
「だから、そういうのじゃないですから。そうじゃなくて――」
「そうじゃなくて?」
「ソル様に、少し似ているんですよ」
リュンヌはソルから目を逸らした。
「私に? どんなところが?」
「気高くて、負けず嫌いで、努力家で、自分のことには不器用で、好きになった相手のことを一生懸命に想って。だから、応援したいと思ったんです。本当に、それだけです」
これ、絶対に馬鹿にされるだろうなと。リュンヌはがりがりと頭を掻いた。
しかし、彼女は何も言ってこなかった。
リュンヌが横目でソルを見ると、彼女は顔を赤くして俯いていた。
「何ですかその反応? まさか、照れているんですか?」
「う、煩いわね。だって今まであなた、そんなこと言ってくれなかったじゃありませんの。仕方ないじゃない!」
「そんな事言われても。言うような機会、無かったんですよ。事あるごとに、色々とやらかしてくれましたし。まあそれも、今となってはいい思い出ですが」
とてもこんなところ、彼女――最近出来た友人には見せられないなと、リュンヌは思う。もし見られたら、またおかしな誤解を深めそうだ。
「ねえリュンヌ? その女の子には、今度はいつ会うんですの?」
「今度の休みの日です。エトゥル様のお見舞いに行く前に、少し」
「なら、私にも紹介なさい」
「ええ? 何でですか?」
「そんな嫌な顔しないでよ? リュンヌの友達なんでしょう? 私だって、リュンヌのことをよろしくって挨拶したいし、その子と友達になりたいもの」
親指を立てて、笑顔を浮かべてくるソルに、リュンヌは苦笑した。
確かに、彼女ならきっと、ソルの良い友達になってくれるだろう。リュンヌは、そう思う。




