第158話:第2種接近遭遇
リュンヌが猫を助けて、一週間が過ぎた。
彼が約束通りに待ち合わせの場所へと向かうと、彼女はほとんど同時に現れた。
そのまま、近くの広場へと向かい、二人はベンチに腰掛ける。
「あれから、猫の様子はどう?」
リュンヌが訊くと、少女は苦笑を浮かべた。
「相変わらずですわ。前より、ほんのちょっとだけ大人しくなりましたけれど、私が学校に行っている間は、家の中をあっちこっち走り回って、大変みたいですわね。目を離すと、何をしでかすか分からないんだから」
そう言って、彼女は籠の中にいる猫を撫でた。今日は、猫は大人しくしている。
「首に、紐を付けたんだね」
「ええ。外出するときはね。こうでもしないと、また逃げたしたら大変ですもの」
あんな目はもうこりごりだと言わんばかりに、少女は嘆息した。
「それで、お礼ですけれど――」
笑みを浮かべながら、彼女はショルダーバッグを開き、中に入っているものを取り出してリュンヌに見せる。
それを見た途端、リュンヌは顔を引き攣らせた。
「どうかしら? 家にあまり男性用のものって無かったから、少し悩みましたけれど。これなら、きっとあなたに似合うって思ったんですの。気に入って頂けると嬉しいですわ」
「いや、あの? ちょっと?」
「気を悪くしたらごめんなさい。実を言うと、あなたの首元とか、胸元とか。見ていてちょっと寂しいかと思いましたの。でも、これを付けたら、一層、男ぶりが上がること間違い無しですわ。よかったら、今ここで付けてみてくれませんこと?」
「いやいやいやいや? 待って。待って。ちょっと待って。というかそれ、すぐに仕舞って」
慌ててリュンヌは彼女の手に自分を重ね、それを隠した。周囲を見渡し、警戒する。人通りが少ないとはいえ、広場にはそれなりの往来がある。幸いにして、注視してきた人間はいなさそうだったが。
「な、何ですの突然? あの? ひょっとして、気に入りませんでしたの?」
「いや、そういうことじゃなくて――」
「なら、何が問題だっていうんですの?」
「金額的な意味で大問題だよ」
リュンヌが答えると、少女は目を丸くした。
「足りませんでしたの?」
「逆だよ!」
空いている方の手の指をこめかみに当てて、リュンヌは深く嘆息した。
「あのさ? 君? これ、何?」
「ブローチですわよ?」
「それは分かるけど。これ、相当凝っているよね? 何か、宝石が凄く立派だったし」
「ええ。大粒で透明感のあるガーネットを中心に、サリネアの名工達が技巧を凝らした一品でしてよ」
「いったい、幾らくらいするのこれ?」
「さあ? 詳しくは知りませんけれど。金貨数十枚程度だと思いますわ」
「そんな高価なもの、受け取れないよ」
必死でリュンヌは訴えた。
「ああ、遠慮しているんですのね? そんな気遣いは無用ですわ。この子の命を救って下さったんですもの。私の感謝の気持ちは、これでも足りないくらいですわ」
どうぞどうぞと押してくる少女の手に、リュンヌは抵抗する。
「君の気持ちは嬉しいし、それだけ猫を大切に想っているっていう気持ちも分かる。けれど、これは流石に駄目だよ。絶対に受け取れない」
「まあまあ、そんな事仰らないで――」
「駄目ったら駄目」
「堅い事言わないで、あなたはこれを受け取ったら良いんですのよ」
「絶対に受け取らない」
「強情ですわね」
「君の方こそ」
そうして、二人で笑みを浮かべながらも、睨み合う。
しばらくそうした後、先に折れたのは少女の方だった。大きく溜息を吐く。
「まったく。リュンヌ? あなたが、こんなにも頑固な人だったなんて、思いませんでしたわ」
「エリシアに言われたくない」
リュンヌは半眼を浮かべる。
「どうして、そこまでして受け取ろうとしないんですの?」
呆れたような声で、少女は訊いた。
「僕はこれでも騎士見習いだよ。こうして、木剣を持ち歩いているのを見れば分かると思うけど、ここの騎士士官学校の生徒だ。先日にその猫を助けたのも、大袈裟に言えば騎士として見過ごせなかったからだし。お礼目当てのつもりじゃない。エリシアが、精一杯の感謝の気持ちを伝えてくれようというだけなのも分かるんだけど。でも、こういうのはお礼にしては過剰すぎる。そういうのを受け取るのは、上手く言えないけれど、騎士道に反すると思うんだ。だから、受け取れない。悪いけれど」
「あなたがこれを受け取らないのは、あなたなりの誠意の証。そういうことなのですね」
リュンヌは頷いた。
それを見て、少女は寂しげに笑みを浮かべる。
「残念ですわね。これは、本当にあなたに似合うと思っていましたのに」
そう言って、彼女はバッグの中へとブローチを仕舞った。
「でも、困りましたわね。それなら私はあなたに何を贈ったらいいのかしら? リュンヌ? あなたは、どんなものなら受け取って下さいますの?」
「う~ん。そう、だなあ」
リュンヌは顎に手を当て、少し考える。
「ああ、それなら。何かお菓子か何かの差し入れが欲しい」
「お菓子? そんなものでいいんですの?」
「そんなものでというか。そういうものがいいんだよ」
「それはまた、何でですの?」
気恥ずかしそうに、リュンヌは頬を掻いた。
「実を言うと、学校の寮にいると、そういうものって食べたくなってもなかなか食べられないんだ。かといって、こうやって外に出ても、男一人でそういうものを買うのはなかなか勇気が要ってね。別に、咎められるようなことじゃないんだけど。女の人達の間に入って、そういうものを買うのは気後れがするというか」
「あらあら」
リュンヌも、ソレイユ地方にいた頃は、ティリアやソルが作った菓子を貰えることもあった。しかし、王都に来てからはそういう機会も無い。なので、甘味には少し飢えていた。
リュンヌの告白に、少女は愉快そうに笑う。
「分かりましたわ。なら、来週にまた、ここには来られまして?」
「それは、大丈夫だよ」
「なら、決まりですわね。来週を楽しみに待ってなさい。最高のお菓子を用意して来ますわ」
「それはいいけど、今度は食べきれないほどの量を持ってくるとか、そういうのはやめてよ?」
「や、やりませんわよ? 私を何だと思っていますの?」
顔を赤らめながら、少女は唇を尖らせる。
その様子に、リュンヌは微笑みを返した。
「というか、エリシア? 君ってさっきの品もそうだけど。その言葉遣いとか。実はかなりのお嬢様だったりするの? その服も、一見すると庶民的に見えるけれど、かなり上等な生地を使っているよね?」
訊くと、少女は呻き。リュンヌから目を背けた。
「ああ、やっぱりそうなのか。でも、気を付けた方がいいよ? 多分、大丈夫だと思うけれど、もしさっきのが誰かに見られて付けられたりしたら危ないかも知れない」
「あら? 心配してくれているんですの? 優しいんですのね。でも、大丈夫ですわ」
少女はスカートのポケットから、小瓶を取り出した。自信たっぷりと言った表情で、リュンヌに見せてくる。
その、毒々しいほどに赤い液体を見て、リュンヌは息を飲む。物凄く、見覚えがある代物だった。
「伝手を通じて手に入れた、護身用のスプレーですわ。これを使えば、どんな相手でも撃退出来ましてよ」
「あ、ああ。うん。それかあ。それなら、うん。そうだね」
乾いた笑いがリュンヌから漏れた。
「知っているんですの?」
「ま、まあ。ね。噂で聞いたくらいだけど。本当に、凄い威力らしいね」
というか、これの製品開発の際は、実際にリュンヌも実験台になった。なので、その威力は骨身に沁みるほど理解している。心底、思い出したくない日々であった。
と、少女の顔色が変わる。
「ええ。本当に凄い威力ですわ。こんなものを作るなんて、生み出した人間は、きっと最低最悪の悪魔みたいな心の持ち主に違いありませんわね」
妙に怨念が込められた少女の言葉に、リュンヌは肯定も否定も出来ず、遠い目を浮かべた。




