第153話:迷走した想いの果て
学校の休み時間。「話したいことがある」とリコッテから言われ、ソルは彼女に校舎裏へと連れ出された。
周囲に人気が無いことを確認して、リコッテが訊いてくる。
「ソルさん? ちょっと聞きたいことがあります。ソルさん、アストル殿下と何かありましたか?」
やっぱり、用件はその事だったかと、ソルは僅かに顔をしかめた。
どう答えたものか、ソルは少し躊躇ったが。その反応こそが、何事かあったことを白状しているようなものだと、彼女は隠すのを諦めた。
「やっぱり、そんなにも見ていておかしいかしら?」
「おかしいですよ。一体どうしちゃったんですか? 最近、素っ気ない態度ですけど。特に、これでもかって言うくらいにアストル殿下に冷たいじゃないですか。殿下がもう、処刑台に向かう死刑囚みたいになっていますよ?」
「私としては、これでも極力、いつも通りに振る舞おうと頑張っているつもりなのですけれど」
「出来てないっ! 全然出来ていないんですっ!」
真剣極まりないリコッテの返しに、ソルは呻く。
「本当に、一体何があったんですか? まさか、喧嘩でもしたんですか?」
「そういう訳ではありませんわ」
「じゃあ、何か殿下の何か嫌なところを見てしまったとか?」
「全然、違いますわ」
「だとしたら、私やアプリル君の方が問題だったり? 何か、知らないところでソルさんを怒らせたり、困らせたりしていたの?」
「いいえ。そうではありませんの」
ソルは首を横に振った。
「そうではなくて、問題があるとしたら私の方ですわね」
「ソルさんの方?」
しばし、リコッテは顎に手を当てて首を傾げる。
「その。ごめんなさい。こういうことって、あまり訊くべき事では無いのかも知れないけれど。だから、気に触ったら、ごめんなさいって先に断っておきますけど」
「何ですの?」
リコッテは、少し頬を赤らめた。
「ソルさんって……あの。今、きていたりするんでしょうか? それが、重くて辛いとか。女の子として」
「違いましてよ」
ソルは目を細めた。リコッテが悲鳴を上げる。ソルとしては、ちょっと半眼を作ったつもりだったが、思った以上に恐がらせてしまったらしい。
「そういう話ではなくて、単に気持ちの整理が付いていないだけですわ。ちょっと、色々とあったんですの」
「私は、その色々を教えて欲しいんですけど?」
「そうですわね。言わないわけにはいかないですわね」
小さく、ソルは嘆息した。
「何と言ったらいいのかしらね? アストルに、急に迫られて――されたんですの」
「された?」
「キスですわ」
「ひうっ!?」
リコッテが唖然とした表情を浮かべる。
「何ですのその反応は?」
どうせ、あなた達も隠れてやっているんでしょう? そんな思いを込めながらソルがリコッテを睨むと、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「あ、そ、そうなんですね。それで、殿下はソルさんにどんな風に?」
「夜遅くまで、庁舎で書類作成を手伝って貰って。寮まで送って貰って、別れ際に突然ですわ。こう、壁際に追いやられて、顎を持ち上げられて」
「おっふ」
呻き声を上げて、リコッテは口元に手を当てた。
「それが、あまりにも突然だったというか。心の準備が出来ていなかったというか。とにかく、そういう訳なんですの。いつかはそういう事もあるって、期待もしていましたし、覚悟もしていたつもりなんですのよ? それなのに、どうしてもこう。あれから、私の頭の中がぐちゃぐちゃで、それでも普段通りに振る舞おうって、今は必死なんですの。余裕が全然無いんですの!」
「ええ? ソルさんって、余裕が無くなると、そうなっちゃうんですか?」
ソルが首肯すると、リコッテは乾いた笑いを浮かべた。
「私だって、自分がどうかしているって思っていますわよ」
苦しげに、ソルは呻く。
「本当に私は、一体どうしたらいいのかしらね?」
ソルは自嘲した。
「ねえ、ソルさん?」
「なんですの?」
「どうして、そんな気持ちになるのか、ソルさんには分かっているの?」
リコッテから聞こえてきた静かな問いかけに、ソルは心臓を鷲掴みにされたような痛みを覚えた。
「ええ、分かっていましてよ」
沈痛な面持ちを浮かべながら、ソルは答える。分かっているから、辛いのだ。
「本当に、殿下のことが好きなんですよね?」
「ええ、本当に、心の底から愛していますわ。キスして貰って、嬉しかったんですのよ」
その言葉にも偽りは無い。だからこそ、心が苦しい。
「無理、していませんか?」
「していませんわよ」
きっぱりと、ソルは答えた。
「なら、いいんですけど」
心配そうに、リコッテがソルを見詰めてくる。
「でも、それなら少し、アストル殿下と距離を置いてみるというのはどうですか? 事情を話して、心を落ち着かせて、そうしたら色々と見えてくる物があるかも知れませんよ?」
柔らかい笑顔で、リコッテが提案してくる。その誘惑に、ソルは心が揺らいだ。
「ダメですわ!」
が、歯を食いしばって、ソルは踏み止まった。
「私には、あの人しかいませんの。いつまでも、私がこんなことで立ち止まっていたらダメなんですの。私の心はもう、決まっているんですの!」
「ソルさん?」
戸惑った表情を浮かべるリコッテの前で、ソルは深く、深呼吸した。
「ありがとう、リコッテ。私、覚悟が決まりましたわ。分かりきったことを再確認しただけですけれど」
ソルはリコッテに笑顔を浮かべた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
放課後の帰り道。
いつものように、アストルと並んで歩きながら、ソルはその二人っきりの時間を楽しむ。
ここ数日、平常心を失った態度だったというのに、アストルはまだ一生懸命、会話を探して話しかけてくれていた。その気遣いが、ソルには心苦しくも嬉しかった。
改めて、自分がアストルを想っているのだと再確認する。
「あの。だな? ソル。この前は済まなかった」
「何がですの?」
「ほら、この前。急に、君にキスしてしまって。君の気持ちも考えずにあんな真似をしてしまって。本当に、済まなかった。許して欲しい」
「ああ、その話ならもういいんですのよ?」
「もういいって。それはどういう意味なんだ? まさか――」
アストルから血の気が引いた。彼が何か悪い想像でもしてしまったのかと、ソルは苦笑する。
「大丈夫ですわ。単に、私が心の準備が出来ていなかっただけですもの。ですから、一つお願いがあるんですの」
「お願い?」
「今度また、デートさせて下さいまし? ただし、私が前に言っていたような。ですわ」
そう言って、ソルはアストルに顔を近づけ。これが証拠だと、軽く唇を重ねた。悪戯っぽく笑う。
ソルが唇を離すと、アストルは照れくさそうに笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その翌日。
休み時間に、ソルはリコッテを校舎裏へと連れ出した。
周囲に人がいないこと確認する。
「――と、いうわけでアストルとのデートを約束しましたわ」
心配させてしまった以上は、友人として報告すべきだと思い、ソルは伝える。
「わざわざこんなところまで来て貰った割には、長い話ではなくて申し訳なく思いますけれど」
「そんなこと。別にいいんですよ。それより、教えてくれて私も嬉しいです。私も、二人のこと応援していますから」
安心したように、リコッテは笑顔を浮かべる。
「ところで、デートはどこに行くんですか?」
「また王城ですわ。ですが、今度は馬術場に行くんですの」
「護衛の人は?」
「勿論来て貰う事にはなるでしょうけれど、ちょっと遠くで見守って貰いますわ」
「そうなんですね」
護衛役となるリオンを邪魔だと言うつもりは無いが、二人っきりの気分を味わいたい。今度はそれが叶いそうで、うんうんとソルは頷く。
「ソルさん。デート、気を付けて行って来て下さいね」
「何ですの? 『気を付けて』って、そんな心配すること何て、何もありませんでしてよ?」
どうやら、ここ数日本当に心配させてしまっていたらしい。リコッテの気遣いに、まだ少し硬い物が混じっている気がして、ソルは苦笑した。
アストル「胃薬が欲しい」
リュンヌ「その気持ちが分かりすぎて辛い(涙)」