第149話:商人の天秤
ソルがエトゥルの代わりに引き継ぎ、そして更に外部委託した仕事は順調に片付いていった。
主な人手は、バランとアシェットの商会から借りているが、それでも片付けるのに数人がかりで十日程度の日数が必要だったあたり、どう考えてもエトゥル一人で消化しきれる量では無い仕事だった。
ついでだからと、中央貴族達が余分に仕事を押し付けてきたという線もあるが、これには多分に自分に対する妨害工作も含まれていただろうと、ソルは判断している。
とはいえ、片付けてしまえばそれはそのままソルの功績になるのだから、それはそれで、彼女は与えられた仕事を美味しく頂いた。
そして、予定通り期日である今日中にすべての仕事が片付くはずだ。ぎりぎりにはなってしまうが。
放課後に、いつものメンバーとも別れてからソルは庁舎へと向かった。流石に、毎日ここに来ることはしなかったが、委託先が処理した書類を更に集計するのは、ここに来ないと出来ない。
庁舎に着くと、ソルは目を細めた。
胸の奥から、ザラついた感覚が湧き上がってくるのを彼女は感じる。
「あ、あの。お嬢様。突然に、その。申し訳ございません」
庁舎の門の前に、悲壮な表情を浮かべた男が立っていた。その顔にはソルにも見覚えがある。
「あなた、確か――」
「覚えておいででしたか。はい、私はバラン様から言われて、お嬢様の仕事の手伝いをしていた者です。ほんの短い間ですが、面接で挨拶をさせて頂きました」
「ええ、覚えていましてよ。何かありまして?」
ソルが問うと、男は唇を噛み締めて項垂れた。
「本当に、申し訳ございません。何と申し上げれば良いか」
「謝罪の前に、まずは話を聞かせてくれません事? 何か、ありましたの?」
「はい。ただ。説明するよりも、実際に見て頂いた方が早いかと思います。少し、職場まで来ていただけないでしょうか? 勿論、途中で説明も致しますが」
「分かりましたわ。よろしくてよ」
冷静に、ソルは頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
黄昏時だというのに、灯り一つ無い部屋に彼女はいた。
部屋の奥で頬杖をつきながら椅子に座る彼女の表情は、はっきりと目に見ることは出来ないが、嗤っているとアシェットは確信していた。
「あなたが、そうなのかしら? 話は、オルトラン伯爵から聞いていましてよ。楽になさい」
「はい。お初にお目に掛かり、光栄に存じ上げます。アシェット=マーシャンと申します。エリアナ様」
アシェットは口角を上げる。自分では見えないが、その口の形は、目の前の少女ととてもよく似た口の形になっているだろうと思った。
「あなた、なかなか面白い提案をしましたわね。しかも、口だけではないあたり、気に入りましたわ。大胆ですのね」
「商機は決して逃すな。それが代々受け継がれてきた家訓であり、私の信条でございます」
恭しく、アシェットはエリアナに頭を下げた。
「商機ねえ? あなたはこれを商機だと判断したんですのね? どこから、そんな風に考えたのかしら? 興味深くてよ」
「もはや、名ばかりとはなりましたが、これでも王室御用商人の端くれでございます。また、最古参の御用商人の矜持もあります。詳細は明かせませんが、常にそこは目を配らせて頂いております。ええ、誰かがお困りなら、それを手助けし、皆様方が最も得となる道を模索する。それが商機であり、商人の本懐です」
「困っている人間。ねえ? ふふっ。ああ、オルトラン? そういうことですの。本当に、商人っていう人達は目聡いことですのね」
「お察しの通りです。流石はエリアナお嬢様。鋭いお方ですね」
愉快そうに、エリアナの笑い声が部屋に響いた。
「あと、これは余計な忠告かも知れませんが。私としましては、もうあの男にはこの手の頼みはしない方がいいと思います。彼、向いていませんよ。いずれ、ボロが出ます」
「そうね。そうかも知れませんわね。でも、困っていた人間というなら、それはオルトランだけではないのではなくって? 今回のあなたの動きで、むしろ困った子もいるんじゃないかしら? それは、どう思いまして?」
「残念ですが、どんなに最大限に幸福を分け与えようとしても、手から零れ落ちる人間というのはいます。悲しいですが、世界の幸せは有限なのですよ。為政者の立場なら、むしろそのことは良くお分かりではないでしょうか?」
「ええそうね。よく分かるわ。政治には『剪定』が必要なのよ」
全くその通りだと言わんばかりに、アシェットはエリアナに相づちを打つ。
「そして、誰に付いていけばより多くの幸せを人々に分け与えることが出来るか? 商人の天秤に懸けて、その判断を私は間違えないつもりです。つまりは、そういうことですよ。エリアナ様」
「ふふっ。些か出来すぎた世辞にも聞こえるけれど。まあ、それも商人の嗜みなのでしょう」
エリアナの皮肉に対して、アシェットは沈黙を以て答えた。
「でも、天秤に左右されるからこそ、商人というのは信用出来るのと同時に、油断ならないとも思いますわね。どうかしら、あなた自身は商人というものに対して、そう思うことはありまして? これは、別にあなた達を貶そうと思って言っているわけではなく、私にも偏見はあるかも知れないと思っていますけれど。気に触ったなら、謝りますわ」
「いえいえ、そう思われるのも尤もですよ。何しろ、いつも腹の探り合いをしているのが私達ですからね。ですが、金勘定だけで動いているわけでもありません。そこは私達も人間です。天秤には感情的な要素が乗ることもあります。今回も、そうですよ」
「あら、そうなの? その感情的な要素とやら、聞かせて貰ってもよろしくて?」
アシェットは頷く。
「あのソルっていう娘。結婚する前の話ですけれど、私の夫が入れ込んでいたそうです。流石に、今さら商売上の付き合いを超えた真似があるとは思いませんけれど、妻としては面白くないんですよ」
それを聞いて、エリアナが吹き出すのをアシェットは聞いた。
「あらあら、そうなんですの。それはとっても人間的な理由ですわね。いいですわ。今後も、あなたに色々と頼み事をさせて貰いたいのだけれど、よろしくて?」
「はい、何なりと」
エリアナの高笑いが響く中、アシェットもまた、ほくそ笑んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
野次馬が取り囲み、残骸と化した建物をソルは眺める。
彼女の隣で、案内してきた男は恐縮しきっていた。
「ご覧の通りです。書類も、すべて焼けてしまいました」
「なるほどね。話には聞いていたけれど。これは酷いわね」
ソルは大きく嘆息した。
「それで? あなた達は全員無事だったのかしら?」
「はい。それは、無事でした」
「そう、それは何よりですわ。それじゃあ、火が出た時間は? 何時くらいだったのかしら?」
「それは昼過ぎに、出火は多分倉庫から。おかしいんですよ。あんな場所、火の気なんて何もないはずなのに。どうして。でも、火があっという間に広がって。この有様です」
「なるほどね」
ふむ。と、ソルは頷いた。
「あなた達も、大変でしたわね。お給金は約束通り支払いますから、安心なさい。燃えてしまった建物の代金も、私が払いますわ。商会に迷惑は掛けません」
「そんな。いや、私がいうのも何ですが、そんな真似。本当に大丈夫ですか? 決して、安くない額ですよ? それに、燃えてしまった残りの仕事だって。今日が締め切りだって言っていたじゃないですか」
「ええ、分かっていますわ」
ソルはそう言いながらも、顔をしかめた。この展開は半ば覚悟していた話ではあるが、実際に目目の当たりにすると堪えるものがある。
「あの女、やってくれましたわね」
ソルは確信を持って。そして、心底つまらなさそうに呟いた。
踵を返し、廃墟を後にする。そして、リュンヌを連れ出すべく、騎士学校へと向かった。